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弟矢 ―四神剣伝説―

第七十七話 決戦の時

「お止めください! 一矢殿!」
 宗次朗の言葉が正しいなら、一矢は父や兄を死に追い込んだ仇である。だが、弓月の中に「討たねば、あの世で合わす顔がない」と叫んだ時の憎しみは消えていた。
 それどころか今の弓月は、全ての原因を作った宗次朗にすら、同情を感じていたのだ。裏切り者の末裔と汚名を受けながら、『朱雀』の守護を押し付けられたという。弓月には誇りとなる自らに流れる血も、宗次朗にとっては苦痛に他ならなかったのだ。
 
 弓月の中で、敵は敵、裏切り者は裏切り者と思えなくなった。
 それがこれほど苦しいことだとは、弓月には思っても見なかったのである。仮面の男や蚩尤軍を、ただ憎んでいた時はどれほど楽であったか……。かつて乙矢は、蚩尤軍兵士も誰かの家族だ、と事も無げに言ったことがある。その心が如何に強かったか、初めて知る弓月であった。

「止めても無駄であろうな。いや、今のこの男から『青龍』を離せば、すぐに命は尽きよう」
 宗次朗は一矢と対峙しながら、静かに『朱雀』を鞘から抜いた。
 やはりそうだ……弓月は胸の中で呟く。『朱雀』から燃え立つように見える炎は、宗次朗を主だと言っていた。この事実は認めざるを得ない。
 片や、一矢の持つ『青龍一の剣』は、弓月や乙矢が手にした時と明らかに違っていた。黒みを帯びた藍色の刀身は、森の暗さのせいだけではないだろう。
「一矢殿! 乙矢殿が参ります。きっと乙矢殿の力で助けて下さいます。どうか、早まったことだけは……」
 今の一矢を乙矢に救う術がないことくらい、弓月にも判っていた。だが……。
 ふらっと一矢の体が揺れ、弓月に近づく。そして、
「弓月……どの……乙矢に……」
「え? 今なんと」
 弓月が聞き返した、刹那――宗次朗は森の奥に向かって駆け出す。そして一矢も、繋がれたように宗次朗の後を追ったのだった。

 弓月は迷った。今なら、宗次朗から逃げられる。だが……彼女の足は森の奥に向かっていたのだった。
 そして、不意に視界が開けたと思った時、弓月は慌てて立ち止まる。すぐ向こうは切り立った崖だ。狭隘きょうあいな場所だが、森の中よりは剣が振るい易いだろう。

 一矢の構えは、本来なら乙矢と同じ下段だ。
 ところが、今は何の構えも取らず『青龍』を手に棒立ちである。しかし、上段から斬り込む宗次朗を、人外の動きで風が揺らめくように避けた。ゆったりとした動きかと思えば、瞬時に素早い動きに切り替え、一矢は打突を繰り返す。不規則な動きで宗次朗を惑わしているように見えるが、実際には傷一つ付けることが出来ない。
 やがて、宗次朗はスッと平正眼に構え――そして、一気に一矢の水月すいげつを突き刺した。
「一矢殿っ!」

 宗次朗は一矢を蹴り飛ばし、『朱雀』を抜いた。一矢の鳩尾から血が噴き出す。だが、二・三歩よろめくと一矢は再び宗次朗に斬りかかった。
 誰の目にも勝負はついていた。宗次朗は軽くかわすと、今度が後方から真っ直ぐに一矢の首を貫いたのだ。だが、決して鬼の首を落とそうとはしない。
「宗次朗――貴様、恥を知らぬのかっ!」
 先ほどの同情が吹き飛ぶほど、弓月は喩えようのない怒りに駆られた。
「時間さえあれば、弓月姫を慰みものにしたかったのだが……まあ、この男も最後に役に立ってくれたから善しとしよう」
「何を愚かな……貴様が戦いたかったのは『白虎』の勇者であろう! それを」
 腰に刀さえあれば斬りかかったものを……。そんな思いを籠め弓月は宗次朗の双眸を射抜くように凝視した。だが、宗次朗の視線は弓月を飛び越えている。彼女の後方を睨み、薄笑いを浮かべた。

「もう充分だ。俺は本気でやるって言ってるだろ! 一矢から剣を抜け」
「……乙矢殿」
 弓月が振り返った時、そこにいたのは今度こそ乙矢であった。


〜*〜*〜*〜*〜


「何処で抜かれたんだ? なんで一矢が先に着いてんだよ。鬼になってまで……馬鹿にも程があるだろ」
 小声で一矢の悪態をつきながら、乙矢は弓月に近づいた。 
 乙矢は哀しみに震える声を必死で抑える。そして、頚部から神剣を抜かれ、地面に転がる一矢を見た瞬間――乙矢は唇の内側を歯で噛み切った。硫黄の匂いを打ち消すように、錆びた鉄の匂いが辺りを覆いつくす。そんな中、口に流れ込む血の味と共に、乙矢は涙を飲み込んだのであった。
 
「弓月殿――絶対に、一矢には近づくな。下がってろよ」
「……はい」

 乙矢は渾身の力で地面を踏み締めた。抜刀せず、『白虎』に左手を添え、鯉口こいくちを切る。宗次朗を正面から捉え、乙矢は浅く息を吐いた。
 しかし、乙矢が呼吸が整える直前、宗次朗は乙矢の喉元を狙って飛び込んだ。

 気力でここまで来た乙矢だが、長くは持たない。鞘離れの一刀で決めようとしたが……。宗次朗相手ではそう簡単にはいかなかった。
 まさにしのぎを削るようにして、刀身が触れるかどうかのギリギリまで下がり、双方間合いを取る。
 人を斬らずとも、『朱雀』は石榴ざくろの如く血色に染まり艶めいていた。それとは対照的に、『白虎』の姿は常に無垢な乙女のようだ。
 燃える『朱雀』を冷ますように、『白虎』から放たれる光は冷気を帯び始めた。

 相対する二人は一言も発せず、宗次朗の額には粒のような汗が浮かんだ。
 この時になってようやく、宗次朗は自分の相手が徒人ただびとでないことを悟った。他の誰を相手にした時とも違う。
 更には――乙矢の視線に憎悪もなければ、憐憫の情も含まれてはいなかった。家族を皆殺しにされ、憎んでいるはずである。あるいは、弓月から感じたように『朱雀の主』でありながら、と同情を寄せるはずだと思っていた。
 それが、乙矢から感じる気配は……何もない。
 我が身が断然有利だと思っていた。しかし宗次朗は、乙矢の内に秘めた光に気圧されつつある。
 そう……声を出さないのではなく“出せない”。長引けば不利なのは乙矢のほうに違いない。にも拘らず、早く決着をつけねば、と動いたのは宗次朗のほうであった。

 同じ間合いを維持したまま、摺り足で二人は円を描くように動く。徐々に、宗次朗は腕を上げ、左上段に『朱雀』を構えた。
 『白虎』より、一寸六分『朱雀』は長い。身長と同じく、手足の長さを考えても宗次朗のほうに分があった。
 そして、宗次朗は森を背に東から西に移動し……木が途切れた一瞬、刃を垂直にして乙矢に斬りかかった。中天からわずかに西に傾いた太陽を利用したのだ。遮られた日光が瞬時に乙矢の視界を奪う。
 だが……。

 ――我が勇者よ。闇を恐れるな。

 『白虎』が主をいましめた。
 猶予はない。『白虎』を信じ、乙矢は即座に両眼を閉じる。
 そのまま、ごく自然な動作で乙矢が『白虎』を持ち上げた時、陽光は見る間に、白刃(はくじん)に吸い込まれて行ったのだ。
 瞬刻――峡谷に『白虎』と『朱雀』の刃音がこだました。宗次朗は、返す刀で乙矢の腕を狙うが、相手は両刃の剣。乙矢はそのまま腕を引き、半瞬早く、宗次朗の右腕を薄皮一枚残して切り裂いたのだった。



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