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弟矢 ―四神剣伝説―

第七十五話 四天王家に生まれて

「そこまでして、俺に『白虎』を抜かせたかったわけか……」

 乙矢は悲しげな目をして宗次朗を見た。「乙矢が『白虎』の勇者だから」――逃げる一方の乙矢に神剣を抜かせるために、宗次朗は妻子をも殺したのだ。無論、他にも理由はあったのだろう。
 だが――神剣は人の手により受け継がれるべきものではない。いや、やはり、そうであってはならないのだ。
 乙矢はその思いを強くした。この先自分の為すべきことを心に決めたと言ってもいい。

「乙矢、これは私自身の願いではない。四天王家に生まれた者の宿命なのだ。私は『朱雀』に選ばれ、お前は『白虎』に選ばれた。それ故に」
 乙矢は急に声音を変え、宗次朗の言葉を遮る。

「宗次朗――寝言は寝て言え」

 言うなり、乙矢は懐から紐を取り出した。片方を口に咥え、解けた髪を後ろで結わい付ける。
 ほんの二十日前、上弦の月に照らされ映し出された少年の横顔は、最早そこにはなく――。己の弱さを正面から受け止め、それでも“守るため”に戦う、ひとりの男がいた。
「御託はもういい。そんなにやりたきゃ、『白虎の主』として俺が相手をしてやる。但し、弓月殿を離すんだ」

 宗次朗が見せた動揺はほんの一瞬であった。微笑の裏で、奥歯を噛み締めた程度だ。
「残念だが、それは出来んな」
「――殺すぞ、宗次朗」
 
 乙矢から沸き立つ殺気に、長瀬や新蔵は息を呑むばかりだ。宗次朗の拒否で、それは更に強くなる。
 直後、宗次朗は口笛を吹いた。森の中から一頭の鹿毛馬かげうまが、宗次朗目掛けて駆け寄る。馬は、呼ばれるのを待っていたかのようであった。
 宗次朗は素早く手綱を確保すると、弓月を馬上に押し上げた。そして、その弓月を抱え込むように、自らもひと息に跨る。
「長く待ちわびた勇者との一戦だ。邪魔の入らぬ場所にさせてもらうぞ」
 そう言うと、森に駆け込もうとした。
 だが、宗次朗の行動に、乙矢のほうが血相を変える。
「待てっ! まさか――南国まで来いとか言うんじゃねぇだろうなっ!」
「場所はその男に聞け!」
 宗次朗は短く言い捨てると、強く馬の腹を蹴った。鬼や神剣に怖気付き、腰の引けた正規軍兵士らが引き止める間もなく、彼らを蹴散らして走り去るのであった。


〜*〜*〜*〜*〜


 一矢との戦闘が繰り広げられた場所から僅かに東――ちょうど弓月らが、蚩尤軍兵士の一団と目した野営地に乙矢はいた。
 随所に天幕が張られ、『朱雀の鬼』に斬られた者たちが運び込まれる。そこには凪や一矢を診る為に、津山城下から派遣された医師がいた。しかし、予想外の怪我人にてんやわんやの騒ぎとなっていた。

 そんな中、最優先で乙矢の手当てがされる。
「そうですか……『朱雀の主』まで現れるとは」
 さすがの凪も、弓月が攫われたとあっては言葉も少ない。顔色の悪さは出血のせいだけではなさそうだ。彼自身、此度の一件が、願わくば伝説が絡んだ騒動ではないことを祈っていた。幕府や政治の思惑に、神剣が利用されたに過ぎないと思いたかったのだが……どうやら、そうはいかなかったようだ。
「でも、どうして姫さまを? 乙矢さまは戦うと言ってるのに」
 いつの間にか、弥太吉の中で乙矢は敬称付きに昇格したらしい。
「皆実の宗次朗どのは、我々の周囲を徘徊していて気付いたのでしょう。乙矢どのを本気にさせるためには、弓月どのが必要だ、と」
「俺も行くからな! 第一、お前だけじゃ手綱も満足に捌けまい」
 と言いつつも、新蔵もいい加減傷だらけであった。狩野に斬られた背中の傷も、一矢に痛めつけられた関節も悲鳴を上げている。

「じゃあ、湯治場を少し北上した山中で、一矢と宗次朗を見かけたんだな」
「如何にも。川沿いを五町ほども遡った辺りであろうか」
「ま、その辺まで行きゃ判るだろ」
 乙矢は新蔵を無視し、長瀬と話を進める。
「乙矢、『青龍一の剣』は持って参るか?」
 天幕の片隅に、白木の箱に入れて納められた『青龍一の剣』があった。それがあれば、いざと言うときには弓月も戦力になる。長瀬はそう言いたいのだろう。 
「いや、こいつだけで充分だ」
 乙矢は長瀬の問いに軽く笑うと『白虎』を指差した。だが、余裕の表情を見せる乙矢に、新蔵は腹立ちを隠せない。
「お前……弓月様のことが心配ではないのかっ!?」
「心配だが奴は手は出さねぇよ。弓月殿に何かあったら、奴が倒したい『白虎』の勇者はいなくなっちまうからな」

 乙矢は太腿の傷に、晒木綿さらしもめんを細かく裂いた帯状の布を幾重にも巻き、きつく縛って貰う。医者には、城下の診療所に行き、ちゃんとした手当てが必要だと言われたが……そんな時間はない。
 本来なら、当の昔に怪我人は津山城下に運ばれて然るべきであった。だが、どうやら鬼と化した一矢を受け入れるのが嫌なようだ。どの藩も四天王家の問題に関わるのを避けようとする。触らぬ神に祟りなし、といった心境なのだろう。

「乙矢どの――皆実家の宗主が斬れますか?」
「ああ。言ったろ、俺は二度と誰からも逃げないって」
「ほんの数日で、こうも変わるものなのですね」
 凪はホッとしたように口にする。
 しかし、乙矢の答えは……
「正三に教わったんだ。剣士の生き方と――死に方を」
 
 乙矢は立ち上がり『白虎』を腰に差した。そして、返答に詰まる凪たちに向かい、
「じゃ、ちょっと行って来る。――新蔵、そんな顔すんな。ちゃんと戻って来て、女の抱き方は俺が教えてやるからさ」
「死んでもご免だ! 誰が貴様の心配なんぞするものか! 弓月様だけは無事に返してくれ……貴様は勝手に死ね!」
 憤懣やるかたない、といった口調で新蔵は我鳴った。
 そんな新蔵を無言で往なし、乙矢は一矢が収容されている天幕に向かう。


 一矢は目を閉じたまま横たわっていた。
 医者は「おそらくはこのまま息を引き取るであろう」と乙矢に告げる。そのせいだろうか、監視役も少なく天幕の外に立つ程度であった。
 乙矢はこの世で唯一人、自分の対となる双子の兄に声を掛ける。
「弓月殿を迎えに行って来るよ。お前には、甘いって怒られそうだけど……出来れば、宗次朗さんも助けたいんだ」
 乙矢はそうっと一矢に触れる。兄の指先はすでに硬く、死人のように冷たかった。

「一矢、次も一緒に生まれて来ような」

 優しい声で呟き、乙矢は兄に背を向ける。
 その時、青黒く固まった指先が微かに動いたことなど、気付くはずもない乙矢であった。


 乙矢のために用意されていたのは、美作の関所で調達した黒鹿毛の馬であった。先ほど、散々悪態を吐いた新蔵が手綱を引いている。
「――死ぬなよ」
 その一言だけで他には何も語らず、新蔵は黙したままだ。
「判った」
 同じく短い返事をすると、乙矢はあぶみに左足を掛け、鞍を掴むと一気に跨る。切れの良い掛け声と共に、乙矢を乗せた黒鹿毛は一瞬で森の中に消えたのだった。


 
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