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弟矢 ―四神剣伝説―

第七十四話 『朱雀』の勇者

 男は笑みを絶やさぬまま、足元にある『朱雀』を蹴り上げ、自らの手に納める。柄を握り締めたまま蠢く二の腕から下を、男は邪魔そうに振り捨てた。そして、斬りかかる弓月の『青龍』を、まるで木刀のようにあっさりと払う。
 乙矢が来てくれるまで、時間稼ぎをしなければ――弓月の心に正体不明の相手に対する焦りと不安が渦を巻いた。
 神剣は持ち主の心を如実に表す。
 弓月を包み込む清涼たる風が止まった。『青龍』の輝きは緑青ろくしょうの色に落ち……。それはまるで、『朱雀』から立ち上る紅蓮の炎に侵されたかのようであった。

「貴様――何者だ? 一矢殿の配下の者ではなかろう? 名を名乗れっ!」
 弓月の問いを軽く無視し、男は左足をスッと前に出した。
 神剣『朱雀』を真っ直ぐに立て、右の拳を肩口に引く。鍔を口の高さに揃えた直後、剣先を弓月のほうにわずかに倒した。八相の構え――陰の構えとも呼ばれる。
 男は決して大柄ではなく、乙矢より若干背が高いくらいであろう。その体躯だけでは、弓月に威圧感を与えることは出来なかった。しかし、男を覆う気配は、『朱雀の鬼』であった一矢をも凌駕している。
 眼前の『朱雀』の持ち主は、『青龍の勇者』である弓月に対して、何の感情も見せなかった。さりとて、鬼の操り人形と化した様子もなく……。

 弓月は相手に合わせて、剣先を体の後ろに隠し、脇構えを取る。
 かつて正三が好んだ構えだ。正三は体を引き、相手を自分の間合いに引き込み、一瞬で勝負を決めていた。もちろん、同じ策が通用するとは思えない。だが、剣の長さは弓月のほうが有利であった。
 その時、男の持つ『朱雀』が炎上する。
 いや、本当に神剣が燃えるわけがない。だが、弓月の目にはそう見えたのだ。
 『朱雀』から陽炎のように立ち上る気を、男はそのまま自身の体に取り込んでいく。それはまさしく、神剣が主に力を与える様であった。

 弓月が男の動きに合わせて剣を振り上げた時、すでに勝敗はついていた。
 正面に打ち込まれ――神剣『朱雀』の切っ先は、弓月の眉間一寸手前でピタリと止まった。


「弓月殿っ!」
 背中に乙矢の声が聞こえた瞬間、『朱雀』の峰は弓月の右手首を払い上げる。弓月は右手を強く打たれ――『青龍一の剣』は再び主の元から引き離されたのだった。


〜*〜*〜*〜*〜


「宗次朗さん? 無事で良かった……でも、なんでここにいるんだ?」

 弓月の窮地に駆けつけ、敵を見たときの乙矢の第一声。それはひどく場違いな……ともすれば、間抜けな質問であろう。それくらい、乙矢は混乱していたのだ。
 弓月が戦っていた相手――それは四天王家の一角を担う、皆実家の宗主、皆実宗次朗であった。
 一矢・乙矢兄弟の従兄にあたる人物だ。一矢が『朱雀』を持っていたことで、乙矢はその生死を案じていた。

「馬鹿野郎! 何を呆けてやがる。そいつの剣を見てみろっ!」
 乙矢は新蔵に後ろから怒鳴られ、ようやく宗次朗の手に神剣『朱雀』があることに気付く。
「なんで『朱雀』を? なあ宗次朗さん、俺に判るように説明してくれよ。それに、弓月殿から剣を引いてくれないか? 彼女は、俺の大事なひとなんだ」

 宗次朗の佇まいから、さすがの乙矢にも状況は飲み込めつつあった。
 だが、如何せん彼の体は限界を超えていたのだ。一矢から受けた大腿部の傷も、一人で立つのがやっとなほどである。
 乙矢は、正三との約束を果たすため、何より、弓月を守るために戦った。歯を食い縛って、兄との勝負に全身全霊を懸けたのだ。此の期に及んで『朱雀の鬼』ならぬ『朱雀の主』の登場とは――思わず、乙矢は膝を屈しそうになる。

「そうであったか……おぬしが皆実の宗次朗殿でござるか」
 遅れて追いついた長瀬が呻くように言った。長瀬も湯治場近くの森で宗次朗の顔を見た一人である。
「長瀬さん! この男をご存知なのですか?」
 新蔵の問いに、長瀬は答えた。
「蚩尤軍兵士の形(なり)をして、一矢殿に……正三が死んだと報告しておった男だ。一矢殿は己の間者だと言ったが、まさか、この男が一矢殿の協力者であったとは。いや、一矢殿は『朱雀』にそそのかされたようだと、凪先生は仰られた。それは――黒幕は宗次朗殿、おぬしでござるか?」

 
 太陽が中天に達しつつあった。
 それぞれの額に汗が浮かび、それは頬を伝って顎から滴り落ちる。
 『青龍』を振り払った後、『朱雀』は弓月の喉元に狙いを定め、宗次朗はそれを下ろそうとはしない。全員が押し黙る中、窒息しそうなほどの閉塞感を打破し、口火を切ったのは乙矢であった。

「一年前、爾志の道場で『白虎の鬼』を一刀両断にしたのは、宗次朗さんだったんだな。さっき、弓月殿に見せた八相の構え。あれと同じ型だった。でも、なんでだ!? 妻子が殺されたんじゃなかったのかよっ!」
 乙矢より七歳年上の宗次朗は、父である先代宗主を十二歳の時に亡くした。それ以来、皆実家の宗主を務めている。数年前に、遠縁から妻を迎え、一人息子がいたはずであった。その妻子が最初の襲撃で殺され――宗次朗は結界を張って姿を隠したと言われたのだ。
 宗次朗が蚩尤軍に加担することはありえない、乙矢はそう思っていた。

「全て、お前のせいだ――乙矢。お前が『白虎』の選んだ勇者だからだ」

 ようやく、宗次朗は言葉を発した。それは、燃えるような『朱雀』とは相反する冷徹な声。宗次朗は面は、冷ややかな笑みを浮かべたままであった。
 続けて、静かに口を開く。
「一矢であれば楽だと思ったのだが……。奴の体の傷を見たか? 『白虎』を持たせたら、立ち所に『鬼』となり、取り上げるのに些か骨が折れた。半殺しにせねばならぬほどにな」
「では……あの傷は」

 弓月は得心するように声を漏らした。里で、一年も姿を隠したままであった一矢を責めた時、『……東国からの帰路、蚩尤軍に襲われ瀕死の重傷を負いました』そう言い訳したのである。体に残った刀傷を見せられ……誰もが、その言葉を信用した。

「待てよ。それってどういう意味だ? 父上の言葉が切っ掛けだったんだよな? そのせいで、八年前あいつの中で目覚めた鬼に、耳を貸しちまったんだろ?」
 乙矢には、一矢が悲鳴のように叫んだ言葉が、偽りだとは到底思えなかった。
「その通りだ。私の誘いに耳を貸す、よい切欠となってくれた。奴は奴なりに、己の内に巣食う鬼と、長年戦い続けていたのだからな。知っておるか? 一矢は本物の勇者になりたかったのだ。それも乙矢――お前を守るために、だ」
  
 宗次朗の言葉に、乙矢は目を伏せた。そんな『白虎』の勇者を見て、宗次朗はほくそ笑む。

「可哀想な男だ。猫の分際で虎を守ろうとは……。いや乙矢、お前が奴を張子の虎に仕立てたのであろう? 『朱雀』で嗾ければ、忽ち奴の鬼は目を覚まし、東国から『青龍一の剣』を持ち帰ったぞ。その後も城に留まり、見事に蚩尤軍の総大将を演じておったな。ああ、奴に問うても無駄だ。奴は、この私を殺したと思っておる。私を小姓に据え置き、最強にして唯一の勇者となるために利用した、と」

「それも全部、俺のせい、か?」

 顔を上げ乙矢は答える。その言葉と共に、『白虎』を取り巻く気配が変わり始めた。 



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