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弟矢 ―四神剣伝説―

第七十三話 『青龍』の勇者

 弓月は『青龍一の剣』を左手に持ち、足を開き、腰を落とした。そして、右手はしっかりと柄を握り締める。
「……姫さま」
「弥太、下がっておれ」
「ですが、姫さまっ」
 弥太吉の声は掠れ、顔色は青褪めていた。搾り出すように弓月の名を呼ぶのが精々だ。疲労困憊の極致であった。だがそれは、弓月にしても同じである。一矢を倒すことで全てが終わったと思ったのだ。凪のように、一矢に協力者がいるなど想像もしていない。
 しかし、『青龍』を掴んだ瞬間、弓月の心に溢れんばかりの力が並々と注ぎ込まれた。

「乙矢殿の望みであれば、さしたる理由など要らぬ」
 弥太吉にそう言い放つと、弓月は向かってくる『朱雀の鬼』をしっかりと見据えた。左手親指で鍔を押し上げ、素早く左足を引く。
 鬼の背中には無数の刀傷があった。矢も三本刺さっている。いずれ致命傷とも言うべき傷であろう。鬼は奇声を発し、『朱雀』を大きく振り被ると、弓月に対して飛び込むように振り下ろした。周囲などまるで目に入っていない。まるで、弓月だけを殺せ、と命じられたかの如く。
 弓月は腰を落とした低い体勢から――すれ違い様『青龍』を抜き放つ。そして、鬼の左脇腹を切り裂いた。だが、鬼はこれでは止まらない。弓月はそのことを狩野で学んだ。抜剣した『青龍一の剣』を振り切らず、直ぐ様、太刀を返す。平正眼の位置から、寝かせた刃を水平に薙ぎ払い、弓月は敵兵の利き腕を落とした。
 『朱雀』の支配を失った鬼は、その場に崩れるように倒れる。絶命しているのは、火を見るよりも明らかであった。

 弓月の周囲に青き風が舞う。
 それは、乙矢の力を得て輝きを放った『青龍』よりごく自然に――蒼々たる様を誇示していた。

 ――我は『青龍』。我が主にこの力の全てを与えよう。我が半身と共に。

 弓月の内にも風が吹き荒れていた。だが、『朱雀』の時のように、胸の真実を燃やし尽くすような痛みはない。『青龍』から流れ込む、水とも風とも取れるものが、体内を縦横無尽に駆け巡っているのだ。それは嫌な感覚ではなかった。
 

〜*〜*〜*〜*〜


「お、乙矢……どういうことか説明しろっ!」
 新蔵は「『青龍』を抜け」と怒鳴る乙矢に呆気に取られ、更には、乙矢の言葉通り『青龍』を抜いた弓月を唖然と見つめていた。
 そして、弓月の手に納まった『青龍一の剣』の閃光に、只只、驚くばかりだ。乙矢の時以上に、神剣そのものが輝きを放っている。
 新蔵は慌てて自分の間抜け面を引き締め、殊更に乙矢を詰問した。

「どうもこうも……見て判るとおり、弓月殿は『青龍の主』、勇者なんだよ」
「そんな馬鹿な、女の勇者など」
「伝説に男も女もねぇだろ? 『青龍二の剣』がないから確実とは言えんが。まあ、あの光具合から言っても間違いないだろうな。……どうした?」
 乙矢に肩を貸していたはずが、気が抜けたように新蔵は地べたにへたり込む。
「探しまくった勇者が、弓月様とは。では、最初に弓月様が神剣を抜いておれば、誰も死なずに済んだのか……それは」
 乙矢は新蔵の言わんとすることが判り、それを途中で遮った。
「馬鹿言え! だったらとっくに凪先生が抜かせてるはずだろ?」
 
 最初に出逢った時、弓月が背負った神剣を目にし、乙矢は不思議な感覚に囚われた。
 『白虎』であれば、無造作に背負うなど信じられないことだ。『青龍』一本なら、それも容易なのであろう、と半ば強引に納得したのであった。
 だが、高円の里での正三の様子と、現実に乙矢自身が手にした感触。
 乙矢が帯剣した時、『青龍』に宿る鬼は周囲の殺気だけでなく、持ち主の心に浮かぶ寸毫すんごうの動揺すら見逃さなかった。そのたびに、“お前を勇者にしてやる”“最強の力をやろう”“目の前にいるのは敵だ”と囁く……やがて持ち主も“敵は斬らねばならない”と思い始めるのだ。
 恨みや憎しみを糧にすれば、一瞬の爆発力は大きなものがあるだろう。だがそれは、心そのものを弱らせる。
 乙矢が最初に『青龍』を手にした時、本当は斬りたくないのに戦わなければならない、と思っていた。あの時の乙矢では、鬼を撥ねつけるだけで精一杯だった。
 だが、今は違う。誰かを、何かを護るために、乙矢もそして弓月も、自らの意思で神剣を抜いたのだ。神剣の鬼に選ばれただけでは勇者にはなれない。勇者となることを、勇者であり続けることを、自ら選び続けなければならないのである。

「才能とか素質とか、勇者の血が証明してくれる。でも、育んできた素養は一人一人違う。仇討ちのために神剣を抜いたら……それこそ、鬼にしかなりえんだろう? きっと凪先生は、弓月殿が過去のためにではなく未来のために、神剣を抜く日が来るまで、黙って見守ってたんだ」
 新蔵は口元を押さえ……そのまま俯きながら、短い髪をガシガシと掻いた。
「谷底に落とした『二の剣』を探しに行かんとならんな。弓月様にお返しせねば」
「その前に『朱雀』だ。ボーッとしてないで、肩を貸せ」
 

 この時、乙矢の腰の『白虎』は未だ落ち着かずにいた。
 『朱雀の鬼』は倒れたはずなのに……乙矢は必死で平静を装い、『白虎』を宥めようとする。だが、内に宿る鬼は、今にも乙矢の体を乗っ取り、暴れ狂う気配を漂わせていたのだった。


〜*〜*〜*〜*〜


「遊馬の姫様! 大丈夫でございますか?」
 『青龍一の剣』を鞘に納め、呼吸を整えつつある弓月の元に、一人の正規軍兵士が駆けつけた。
「私は大丈夫です。その神剣『朱雀』に誰も触れぬように見張っていて下さい。これ以上、無用な犠牲は出したくない。――爾志の乙矢殿を早く此処に!」
 後方から駆けつけてくる他の兵士に弓月は声を掛けた。二人の兵士は「ハッ」と短く答え、乙矢を呼びに取って返す。
 最初にやって来た兵士が、『朱雀の鬼』の成れの果てを見下ろしつつ、弓月に話しかける。
「矢に心の臓を射られ、腹を裂かれても死なぬとは……。これを正気で扱えれば、まさに最強の剣士でございますな」
 弓月は、その些(いささ)か無神経な発言に眉を顰める。
「最強を望むものが手にすれば、間違いなく鬼の餌食となろう。それに、浅ましい了見を持ちて神剣に近づけば、触れずとも鬼は其の方を喰らうであろう」
「……」
 その兵士は一度も弓月のほうを見ようとしない。
 しかし、わずかにその横顔を目にした時、弓月は思い出したのだ。

「おぬし、一矢殿に報告に参った蚩尤軍兵士……いや、間者と言ったか。どちらにしても、一矢殿の手の者であろう! 腰の刀を捨て投降せよ。身元が明らかとなれば、いずれ元の藩に戻れよう」
 男は言われるまま、帯刀した二本を鞘ごと抜き、草むらに放り投げた。
「遊馬の姫様、いや、『青龍』の勇者様のお言葉に、逆らうつもりなどございませぬ」
 背を向けたまま、男は肩越しに弓月を振り返る。その横顔に張り付いた笑顔は、あまりに明白な狂気を宿していた。

「弥太……走れ」
「え? 姫様」
「いいから、走って逃げるのだ! 行けっ!」
 強引に弥太吉を突き飛ばした弓月は、なんと丸腰で背を向ける男に『青龍』を抜き斬りかかった。



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