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弟矢 ―四神剣伝説―

第七十二話 『朱雀』の誤算

 彼の目の前に『朱雀』が刺さった。
 まるで、主の下に戻って来たかのようだ。そう思うと、フッと彼は苦笑いを浮かべる。
 彼は山毛欅の木から『朱雀』を抜き、手に取る。このまま立ち去っても良かったが……弓月の剣気を見た以上、このままにはしておけなくなった。
 それに、遊馬の一門があらかた生き残ってしまった。一矢も思いのほか役に立たない男だ。そう思うと、彼は微かに頭を振る。
 乙矢が万全でないのが悔やまれるが、いっそ、此処を決戦の場にしても良いかも知れない。
 彼はそう考え直すと、『朱雀』を手に一団から離れて横たわる一人の兵士に近づいた。その男は、乙矢が腕をへし折った一矢の部下である。未だ意識は、戻ってはいない。
 
「さあ――出番だ。お前に神剣の力を授けよう。我は『朱雀』。奴らは全て敵である。敵を殺せ。お前は最強だ」

 男は折れた腕に『朱雀』を掴まされ、静かに目を開いた。


〜*〜*〜*〜*〜


 凪と長瀬の横を、戸板に乗せられた一矢が、通り過ぎようとしていた。
 兵士を手で制しつつ、凪が一矢に声を掛ける。
「一矢どの、最早あなたの企てはここまでです。協力者の名前を教えて下さい」
「……そんなものは、おらぬ。全て、私が計画し……遂行した」
 魂の抜けた木偶でくのように、一矢は中空を見据えたまま答える。
 凪の質問の意味が長瀬には判らない。なぜこの時になって、突然一矢に協力者がいると言い出したのか……。
「凪先生、それはどういった意味でござるか? 此奴こやつが仮面の男で相違なかろう。何を今更」

「長瀬どの。我ら四天王家は互いに連絡を取り合う間もなく、次々に襲われたのです。西国から東国まで早駆けの馬で約五日。一矢どのが東国を発たれて三日後、我が遊馬家は襲われた――」
 その翌日、凪は領内の隠れ里の一つで、四天王家にかけられた嫌疑を聞いた。それにより差し向けられた蚩尤軍兵士の狼藉を聞いたのもその時だ。そして、兄たちの最期を凪が知ったのは、弓月と合流した後であった。
 時を同じくして、西国からの早馬が次々と訃報を告げた。帰路の一矢や西国の爾志家も、遊馬同様に襲われことを、その時知ったのである。
 「早馬の到着時期から、西国の襲撃は我らより前。となれば、それはどう計算しても、一矢どのが東国の領内におられた時期と重なるのです。遊馬家を襲った仮面の男は、途中で取って返した一矢どのとしても、一矢どのに爾志は襲えません。先に襲われた乙矢どのは、おそらく、我らが襲われた日付を詳しくは知らぬのでしょう」

 凪の説明を黙って聞いていた長瀬が口を開いた。
「仮面の男は……二人いる?」
 凪は無言で肯くと、再び一矢に問う。
「一矢どの。東国でお会いしたあなたは、確かに、何かを渇望されていました。先ほどの言葉から、お父上の信頼と愛情を乙矢どのより少しでも多く、ご自分に向けられることを願ったのでしょう。でも、それは本当に、ご家族の命と引き替えにしても――でしょうか?」
 その言葉は一矢の耳に聞こえているのかどうか……。
 兵士らは次第に苛々を見せ始め、凪に一礼すると、そのまま一矢を運んで行こうとした。その時である。ボソッと一矢が呟いたのだ。

「……『朱雀』が言った。私を選ばなかった『白虎』に勝たせてやる。『朱雀』の勇者にしてやる、と……」

「一矢どの、それは」
 悲鳴が上がったのはその直後であった。


〜*〜*〜*〜*〜


 山毛欅の木には、確かに剣の刺さった跡がある。なのに、何処にもないのだ。
 駆けつけた正規軍の兵士たちは大勢いる。だが彼ら全員に、『神剣』には指一本触れてはならない、と徹底した通達が廻っているはずであった。
 『朱雀』に触れることが出来るのは、鬼を内在させたまま神剣を掴むことの出来る一矢と、『白虎』の勇者である乙矢、そして、本人は気付いていないが『朱雀』を手に斬りかかりながら、自ら手放すことの出来た弓月の三人であろう。可能性だけなら凪にもあるが……彼は自分にその器はない、と悟っていた。

 乙矢は知らず知らずのうちに、左手に『白虎』を握り締めていた。
 嫌な予感が胸を過ぎる。速まる鼓動が左手を伝わり――ゆっくりと、『白虎』の鬼が目を覚ます。
 その瞬間、乙矢の脳天に落雷が直撃した。それは、『朱雀の鬼』の波動であった。

「き、きさま、なんだっ!」
 突如、正規軍兵士の叫び声が上がった。
 狩野の遺体を回収していた兵士が背後に殺気を感じ、振り返った時――彼は、眉間から胸元まで切り裂かれ、血飛沫を上げて絶命した。隣にいた兵士は、振り返る寸前に首を落とされる。突然の出来事に、逃げようとした別の兵士の背中を、今度は右肩口から袈裟斬りにしたのだ。
 『朱雀の鬼』は大量の返り血を浴びながら、真紅に輝く刀身を天に突き上げる。そして、歓喜の雄叫びを上げたのだ。
「鬼だ! 逃げろ、赤い鬼だぁーーっ!」
 辺りを取り囲む兵士らは、鬼の恐怖に打ち震え、我先にと逃げ始めた。


「乙矢っ! 『朱雀』がなんであんな場所にあるんだ!」
 新蔵の声に、乙矢は右足を引き摺りながら立ち上がろうとする。だが、よろけた拍子に山毛欅の木に寄り掛かり……白い幹が僅かに揺れて、青々と茂る若葉の隙間から、乙矢の頭上に光が降り注いだ。
「くそったれ! まだ諦めないつもりか、あの『朱雀』は。一矢を狂わせ、これだけの人間の血を吸って――まだ足りないってのか!?」
 乙矢の怒声に新蔵は振り返り、息を飲んだ。
 光が再び乙矢に集まり『白虎』を輝かせている。『朱雀』に反応しているのだ。新蔵はそう思いながら、改めて正三の判断に間違いはなかったのだ、と胸を熱くした。
「おいっ! ヤバイぞ、新蔵!」
 切羽詰った声に新蔵も慌てて乙矢の視線の先を探した。そこにいたのは……弓月だった。

 
 弓月と弥太吉が『青龍一の剣』を見つけ出し、鞘に納め、立ち上がった瞬間の出来事だった。
 一矢を取り押さえ、これで全てが終わったのだ、と思っていた。一度弛めた緊張の糸を、再び張り詰めた状態には中々戻せない。目の前で起こる惨事を、弓月は呆然と見つめるばかりであった。
 その時、『朱雀の鬼』の動きが止まる。周囲を見回し、その姿は誰かを捜しているようだ。いったい誰を……弓月がそう思った瞬間、鬼と視線が合った。遠目に、ニヤリと笑みを浮かべ……それが妙に一矢と似ていて、弓月の心の臓は跳ね上がる。
 慌てて腰の辺りを探るが、今の弓月は丸腰であった。先ほど『朱雀』を抜く前に、刀を置いたのだ。敵はもういない、『青龍』の回収が優先だ、と思ったのが間違いであった。
 
「姫っ! お逃げ下されぇ!」
 長瀬の叫号が辺りに轟く。
 ハッとした弓月の双瞳に映ったのは、炎を噴き上げ襲い掛かる鬼と化した『朱雀』だ。
 弓月は咄嗟に『青龍一の剣』の柄を握った。
 だが、『朱雀』に惑わされた自分を『青龍』が選ぶとは思えない。次は確実に鬼になるかも知れない。そんな迷いが抜剣を躊躇わせる。
 今の弓月は、ほんのひと月前の彼女とはまるで違っていた。仇討ちに燃えていた十七歳の少女はもういない。彼女の望みは、平和な未来に思い描く女の幸福のみ。
 その時、別の絶叫が弓月に鼓膜に突き刺さる。
「弓月殿ーっ! 『青龍』を抜けっ! 『青龍』を抜くんだーーっ!」

 それは弓月が最も信頼する人の声……乙矢の声であった。
 


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