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弟矢 ―四神剣伝説―

第七十一話 終局目前

 『朱雀』を払われ、一矢は舌打ちして身を翻した。『白虎』を手にした乙矢に刃向かう術はないと判断したからだ。そして、乙矢なら、背を向けた一矢に斬りかかることはない、そう思った。
 だが、今の乙矢は一矢の知る弟ではなかった。
 逃げようとした一矢に、乙矢は間断なく攻め込んだ。ついには足が縺れ、地面に手をつき座り込む。その一矢の顔面に、土煙を上げ這い上がってくる『白虎』の切っ先が目に入った。この時、乙矢の全身から剣気が吹き荒れ……。
 一矢の背筋は一瞬で凍りついた。
 
 しかし、それは乙矢も同様であった。
 腕が、足が、体が、『白虎』の命じるままに動く。目の前の敵を倒そうとするのだ。『青龍一の剣』を持った時とは比べ物にならない。じゃじゃ馬というより野生馬の如き暴れようで、『白虎』は人間の手により制御されるのを、明らかに拒んでいた。
 だが、鬼に憑かれるような感覚とは全く違う。乙矢の意識はハッキリしていて、暴走させまいと必死であった。だが、爾志流下段に刀を構え、一矢の首を捕捉した瞬間……ごく自然に剣先を斬り上げていた。そのまま引導を渡せと『白虎』が乙矢の四肢に指令を出す。
 「殺したくない」――乙矢の思いが、全身の神経と筋肉に急制動を掛ける。それは乙矢にとって、体の節々から火を吹きそうなほどの痛みを伴った。

 『白虎』の刃は、一矢の喉元を切り裂く半寸手前でぴたりと止まった。
 恐怖を通り過ぎ、朦朧とした表情の一矢とは対照的に、乙矢は決死の形相である。指は真っ白になるほど力を籠め、額には汗が噴き出し、滴り落ちた。
「一矢……そのまま下がれ……もう、終わりにしよう。直に幕府軍もやって来る。投降して裁きを受けてくれ。爾志の一門として、俺も一緒に責めを負う。だから」
「殺せ! さあ殺せ。お前自身の手で実の兄を殺してみろ! ぐだぐだ綺麗事をぬかす暇があるなら、お前のせいで鬼になったこの私を、さっさと殺すがいいっ!」
 一矢は一瞬で目を吊り上げ、怒りを露にして乙矢を責め始めた。
 
 これまでの乙矢なら――目を伏せて「俺のせいだ」と俯くことしか出来なかったであろう。それは彼の美点であり、欠点であった。今も、「自分のせいだ」と心の中では自らを責めている。
 だが……乙矢はしっかりと顔を上げ、一矢を正面から見据えて言った。
「一矢、挑発は無駄だ。俺は、二度とお前から逃げない。お前が鬼になったのは、俺のせいじゃない! 俺が死んでも、『白虎』はお前を選ばない! 一矢、いい加減、目ぇ覚ませ!」

 その姿は、誰の目にも勝負はついていた。もちろん、一矢自身も判っている。
「私が、お前に敗れる時は……死ぬ時だ!」
 一矢は小さな声で呟いた。そのまま『白虎』を避け、後ろに飛ぶ。そして、手近な刀を掴み逆手に持ち替え――自らの腹に突き立てたのだ。
 刀身を伝い鮮血が流れ落ちた。直ぐ様引き抜き、次は喉元を切り裂こうと、血塗れの刃を首に押し当てる。
「止せ、一矢っ! やめてくれ!」

「いかん! 乙矢どのっ!」
 咄嗟に警戒を解き一矢に飛びつこうとする乙矢だった。しかし、それに凪の声が重なる。
 凪には一矢の動作も表情も判らない。だが、その気配は……まるで変わってはいなかった。

 一矢の手を止めようと乙矢が近寄った瞬間、刃先は乙矢に向かう。
 それは吸い込まれるように乙矢の右太腿を貫き――刃は肉に食い込んだ。
「クッ!」
「……相変わらずだな、乙矢。貴様を殺して……私も死ぬ」
 一矢の口端から血が一筋流れ落ちた。拭おうともせず、そのまま口元を歪ませ笑う。刀身を引き抜くと、今度は乙矢の腹に突き刺そうとした――だが。

 乙矢の右手が閃き……次の瞬間、ボトリと草むらに腕が落ちた。それは、兄弟の血に濡れた刀を握る一矢の右腕であった。乙矢は『白虎』を一閃し、肘から切断したのだ。
「グゥッ!」
 一矢は唸り声を上げると、そのまま仰向けに倒れこむ。乙矢を騙すために突き刺した腹の傷は、決して浅いものではない。神剣を持たぬ以上、動き続けることは不可能だった。


「乙矢殿っ! 大丈夫でございますか?」
 乙矢の傍に弓月が走り寄り、乙矢の体を支える。
「ああ、大丈夫だ。俺は、大丈夫だから……」
 弓月にそう答えると乙矢は一矢を見下ろした。
「俺たちは二人で生まれてきた。でも、お前は爾志一矢で、俺は爾志乙矢なんだ。別々に生きて、死んで行かなきゃならない。一矢……俺は二度と、何があろうと、誰からも逃げない!」
「お、とや……なら、なぜ止めを刺さん。結局、おまえに……私は……殺せんのだ」
「――かもな」
「後悔……するぞ」
 一矢はそう言うと、静かに目を閉じたのだった。


〜*〜*〜*〜*〜


 乙矢の言った通り、駆けつけて来たのは幕府正規軍の一団であった。乙矢を見張り、弓月らを追い詰めた蚩尤軍は、まるで長い悪夢から目覚めたように、跡形もなく消え失せたのである。

 
「凪先生、生きてるか?」
「私は……かすり傷です。心配には及びません。それより、乙矢どの――その足、避けられたのではございませんか?」
 かすり傷な訳がない凪であったが、どうやらお見通しらしい。乙矢は、ばつが悪そうに横を向いた。皆、呆れた表情だ。
「お前はまだそんな甘いこと……。勇者の自覚はないのか!? 馬鹿者めっ!」
 長瀬の口調は怒っていたが目はそうでもなかった。
 そこに弥太吉が、なぜか手を揃えて突き出し、乙矢の前に出る。乙矢は頭を捻りつつ、弥太吉に尋ねた。
「な、なんだよ。弥太……お前、何やってんの?」
「おいらは、あの男に言われるまま、里に残った人たちを見殺しにして……姫さまの命を危うくしました。おいらも裏切り者です。だから、お縄にして下さい……どんな罰も……受けます」
 そう言うと、弥太吉は深く頭を下げ、しゃくりを上げて泣き始めた。
「馬鹿を申すでない、弥太。お前が鬼に惑わされ罪を犯したというなら、私も同じです」
 弓月は優しい声で弥太吉に話して聞かせ、最後にギュッと抱き締める。
 乙矢も軽く笑いながら、新蔵を指差して言った。
「そうそう、お前が裁かれるくらいなら、まずコイツだろ? 猪野郎が獄門になるほうが先だぜ」
 新蔵にしたら、怒鳴りたくても怒鳴るわけにいかない。だがその通りとも言えず、グッと我慢する。

 兵士たちが戸板を用意して持った来た。怪我人を運ぶ為である。乙矢や凪の横にも置かれたが、まずは一矢であった。
「乙矢殿、一矢殿は助かりそうですか?」
 遠くから一矢を見つめる乙矢に、弓月が声を掛ける。
「どう、かな。本気で腹を刺してたからな。それに……」
 助かったところで、よくて切腹。おそらくは、打ち首のうえ獄門台に晒されるのが妥当だろう。そんな言葉を乙矢は飲み込んだ。

 その時、幕府正規軍の兵士から神剣を回収して欲しいと頼まれ、乙矢が立ち上がる。『白虎』は乙矢の腰にあるが、『青龍一の剣』は草むらの中に、『朱雀』は森の木に刺さったままだ。
「乙矢殿、『青龍』は私が参ります。鞘がありますのでご安心下さい」
 そう言うと、弓月は早々と『青龍』が飛んだ辺りに駆けて行った。「おいらも手伝います」と弥太吉が後を追う。
 『朱雀』は、乙矢とて持てるかどうか不明だ。しかし、人に任せる訳にはいかない。新蔵に肩を借り、二人して森に向かうが……。
「なあ、乙矢」
「なんだ?」
「『朱雀』が見えんのだが……」
「馬鹿言うなよ……落ちたんじゃねぇのか?」
 乙矢も慌てて視線を巡らす。だが、山毛欅に刺さったはずの『朱雀』は真下にも落ちておらず――。

 まさに、静寂は寸閑すんかん。津山の山間は、再び、阿鼻叫喚の巷と化した。 



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