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弟矢 ―四神剣伝説―

第七十話 『白虎』の勇者

 乙矢に思い悩む時間はなかった。
 何をせねばならないか、答えは決まっている。素早く視線を巡らせ、そこまでの距離を目測した。そして、胸の中に抱いた弓月を後方に押しやる。
「弓月殿、下がっててくれ」
 
 弓月は二人の間を繋ぐ確かな愛情を感じた。
 そして――
「乙矢殿……ご武運を」
 それだけを口にする。弓月は、潤んだ瞳に恋慕の情をなみなみと湛え、乙矢に向かって微笑むのであった。
 
 一方の一矢は、乙矢の考えを知ってか知らずか……。
「だが乙矢、貴様がよもや私を疑うことはあるまいと思っていたが。女子が絡めば、ただの腰抜けではおられぬということか」
 一矢は自分が『白虎の勇者でないこと』を知っていた。乙矢にも神剣を抜かせ、自分と同じだと証明したかったのだ。ところが、そこに大きな誤算があった。一矢は、乙矢が『勇者である』という可能性を、自ら指し示してしまったのである。
 更に一矢は、此の期に及んでまだ、腰抜けの弟を欲していた。口汚く罵り、力で押さえつけ、自分が上位であると乙矢に言わしめたい。しかしその思いは、『朱雀』の思惑とは異なるようで……。


 乙矢は、様々な可能性を素早く頭で計算しつつ、一矢に答えた。
「違う。蚩尤軍と繋がってるって、お前自身が言ったんだぜ」
 一矢は怪訝そうに乙矢を見る。
「何を言う。貴様にそのようなことを言った覚えはない」
 虚ろな瞳で、一矢は乙矢を馬鹿にするように言い、鼻先でせせら笑った。

「里で……『白虎』を蚩尤軍に渡した俺を責めただろう? 俺は、姉上は攫われたと言ったんだ、それをお前は――」

 ――『姉上も、武藤とやらに辱めを受け、首を吊って果てたのではないか』
 すぐには気付かなかった。だが、乙矢が里を離れ新蔵に襲われた時、霧が晴れるように、様々なものが見えたのである。
 蚩尤軍精鋭部隊と呼ばれる連中の、不可解な行動も気になったが……。一矢が姉の死に様を知っていたことが、乙矢には最大の疑問となった。

「俺はあの時まで、姉上の不名誉を人に話したことはなかった。この手で木から下ろし、父上母上と共に埋葬した。武藤にも聞いたんだ。奴がお前に話してたら、きっと自慢げにお前に告げたことを言ったはずだ。でも奴はそんなことは言わなかった。――お前は誰に聞いた? 何処で知ったんだ?」
 冷静に落ち着いて話すつもりだった。だが、腹の底からこみ上げるものが、乙矢の声を震わせる。
「一矢――あの日仮面を被り、俺の目の前で『白虎の鬼』を殺したのはお前か? 俺を嘲笑ったのはお前だったのかっ!? 答えろ、一矢っ!」
  
 ゆらゆらと、一矢の体は蝋燭の炎のように揺らめいて見えた。
 何も答えない。その表情にも、罪悪感めいたものは何も浮かんではいなかった。双子の兄を疑うことは、自らの腕を引き千切るような痛みを伴う。それを承知で、乙矢は兄を断罪したのだ。
 しかし、一矢の沈黙は、答えに窮している様子ではなく……まるで他人事のようであった。どうやら、一矢が耳を貸しているのは『朱雀の鬼』の声のみ。
 
 一矢の視線は定まらず、声にならぬ呟きを口の中で繰り返す。その間も、乙矢はゆっくり、立ち位置を一矢より有利な方向に移動しつつあった。そして、一矢より近づいた、と感じた一瞬――乙矢は身を翻し、未だ死に切れずに蠢く狩野の左腕に向かって走った。
 目標は――神剣『白虎』。

 乙矢が駆け出した直後、一矢もそれに気付き叫ぶ。
「乙矢っ! 『白虎』を手に勇者となる自信が貴様にあるのかっ!? 『白虎の鬼』となれば二度と人には戻れんぞっ!」

 先刻とは逆で、今度は一矢が乙矢の心を惑わせ、混乱に陥れようとしたのだ。
 しかし、乙矢は右足で狩野の腕を押さえ、力ずくで指を開かせた。そして、神剣『白虎』を右手にしっかりと掴む。
 乙矢はその白き剣先を一矢に向け……構えた。

 
〜*〜*〜*〜*〜


 雲間から一条の光が射し込む。
 閃光は真っ直ぐに乙矢を照らし、手にした『白虎』に吸い込まれる。鈍色の刀身は、見る間に輝きを取り戻し、白刃に日輪の色を映した。

 ――我が勇者よ、この力、欲しいままに。 

 『白虎』を掴む右の掌から、光は乙矢の体内に入り込んでくる。乙矢の右腕は、火が点いたような感覚に囚われた。そしてそれは、戸惑う時間すら与えず、乙矢の全身を駆け抜けたのだ。

 ――我は『白虎』。我が主に四神剣最強の力を与える。如何様にも。

 鬼の声が乙矢の脳裏に響く。全身が陽光に包まれ――意識の根底まで燃やし尽くされそうになる。その炎はとても収まるどころではない。乙矢は白煙を纏い、放たれた矢の如く、まっしぐらに一矢に向かった。


「あれは……なんだ。さっきの『青龍』の時とは桁外れではないか? 新蔵、どういうことだ!」
 事態はすでに、人為の及ぶところではなくなっていた。長瀬も見守ることしか出来ない。だが『青龍』の時は、乙矢の内から溢れ出る何かが『青龍』を神剣の色に変えたのだ。ところが、今度は違う。天空から降り注ぐ光は、まるで神剣に特別な力を与えているように見えた。そしてその力は、神剣から乙矢に送り込まれる。
「わ、わかりません。里で『青龍』を手にした時もこんな風にはならなかった……」
 新蔵の頭も混乱をきたしている。これが良い兆候なのか、それとも。
「なるほど……そういうことでしたか」
 凪は独り、得心が行ったように肯いていた。そして、さっぱり判らない様子の新蔵たちに話して聞かせる。
「『青龍』は一の剣だけでした。勇者でなくとも、使えることがあるという。内に流れる勇者の血が、神剣に注ぎ込まれ、一時的に制することが出来るのでしょう。だが、真の勇者は神剣に宿る鬼に選ばれ、力を与えられる。私にはただ――感じ取ることしか出来ませんが。勇者の力と鬼の力は種類が違う。神の創りし護国の神剣……神剣に宿る鬼とは、およそ神であり、人の心に巣食う魔物でもあるのでしょう」
 
 新蔵にも弥太吉にも凪の言葉の半分は理解できない。だが、期待と不安が彼らを包み込んでいた。


〜*〜*〜*〜*〜


 乙矢が自分に向かってくる。
 誰より、その姿に驚いていたのは一矢であった。
 こんなはずではなかった、と、一矢の中の一矢が叫ぶ。乙矢は、愚図で鈍間で役立たずで……父上の判断は間違いである。一矢こそが爾志の宗主に相応しい。それを証明したいだけであった。
 『朱雀』がそう言ったのだ。『朱雀』は乙矢から『白虎』を取り上げ、一矢に授けた。その結果、一矢は……。
 その先は、煙幕が掛かったように意識が真っ赤に染まり、一矢は思い出すことが出来ない。
 だが、蚩尤軍を作り上げたのは一矢だ。四天王家に謀反の疑いありとして、訴え出たのは一矢だ。全ての計画を企てたのは一矢だ。――『朱雀』はそう言ったのに。
 今この時、『白虎の勇者』を目にした瞬間、『朱雀の鬼』は一矢の問い掛けに応えず、死んだように黙り込んだ。

「おいっ! 『白虎』を倒すのが『朱雀』の使命ではなかったのか!? なぜ、目覚めぬ。勇者の命令だ。私に最強の力を与えるのだ! 『白虎』を倒す力を、乙矢を倒す力を――『朱雀』なぜ答えぬ!」

 一矢の足元から馴染みのない恐怖が這い上がった。『白虎』を手にした勇者の姿に、全身が小刻みに震える。乙矢が自分を斬るはずはない。乙矢は……。
 一矢は一歩も動けずに立ち竦んだ。そして、手にした『朱雀』を構えるでもなく、前に突き出した瞬間――
 
 キーーーン……

 澄んだ音が山間にこだました。
 
 乙矢の『白虎』は『朱雀』を一矢の手から引き離した。『朱雀』は森の入り口付近まで弾け飛び、奇しくも山毛欅ぶなの木に突き刺さる。
 山毛欅は一定の範囲内に一本しか残らない。根から毒素を出し、他の山毛欅を枯らすためだ。しかし、一つの実の中にある二つの種から生育した双子の山毛欅には、その毒は効かない。それはまるで、一矢と乙矢のようであった。



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