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弟矢 ―四神剣伝説―

第六十九話 『朱雀』の鬼

「姫っ……駄目です、お止め下され!」
「姫さまぁっ!」

 長瀬らの叫び声が聞こえた直後――『青龍一の剣』の剣速が僅かに鈍った。それは、ほんの少しであったが、乙矢には充分な、形勢逆転の攻め口となる。
 一矢のしくじりは、乙矢の手足を自由なままにしたことだろう。乙矢は、胸に突き立てられる寸前の刃先を、鹿皮の弓懸を巻いた右手で真横から叩いた。刃先は逸れ、脇を掠めたが致命傷は逃れる。同時に左足を右斜めに振り上げた。一矢の体を巻き込むように横から絡め取り、拘束から逃れる。
「チッ!」
 一矢は舌打ちし、素早く体勢を立て直す。乙矢も起き上がった。そして、二人は再び向かい合う。
 だが、そんな兄弟の間に飛び込む人影が――それは『朱雀』を手にした弓月であった。
 

〜*〜*〜*〜*〜


 『朱雀』
 二尺二寸六分の片刃の剣。『青龍一の剣』より短く、『白虎』より長い、ごく標準的な見掛けを持つ剣である。神剣の中で最も扱い辛く、僅かでも心に隙が出来ると、正当な持ち主すら鬼に心を奪われる。見た目、中身ともに正邪の判断がし難いことからも、別名「裏切りの剣」と呼ばれる。刀身は常に妖しげな血の色に染まって見え、それでいて……四神剣のうちで、最も心清く正直な鬼が宿ると言われる剣である。


〜*〜*〜*〜*〜


「正三が『青龍一の剣』を取り戻してくれたんだ」――乙矢はそう言った。

 一矢は、紛れもなく正三を死に追いやったのだ……。ここに正三がいないことが、何よりの証であろう。
 大事なものを失い続けてきた悲しみは、その手の中に神剣『朱雀』を抱いた時、殺意と言う名の蝋燭に赤い炎を点した。

 ――我を手に。赦せぬ者を、断罪するための力をお前に与えよう。

「断罪……力……」
 
 ――勇者の名の下に、正義を行う力をお前に与えよう。

「正義を……」
 自分が女でさえなければ、自分に男と比べても、遜色のない力さえあれば、もっと多くの人間が救えたのだ。自分に力さえあれば……。そんな思いが、弓月の心を血の色に染めていく。

 弓月の手は『朱雀』の柄を握った。鞘は『朱雀』から離れ、地面に吸い込まれるように落ちる。
 そして、視線の先には一矢がいた。乙矢の手から刀を弾き、倒れた乙矢に『青龍』を振り下ろす一矢が……。


「一矢ぁっ! 貴様だけは許さぬ!」

 弓月は『朱雀』を手に、一矢に斬りかかった。見るからに怒りを纏う臙脂えんじ色の炎が弓月を包み込む。

「ゆ、弓月殿!?」
 乙矢は予想外の助太刀に、ただ名前を呼ぶだけだ。
「愚かな女め! 『朱雀』を抜きおって」
 弓月は、これまで見せたことのない鋭い剣捌きで一矢を攻めた。悪態を吐きながらも、一矢は避けるのに必死である。今の弓月は、防御などまるで念頭にない。それは、鬼神のような戦いぶりだ。おまけに、神剣の格においても『青龍』一本では『朱雀』に劣った。
 だが……
「よくも父上を、兄上を殺したな。よくも正三を……よくも……絶対に許さぬ! 貴様を殺してやる。この手で絶対に殺す!」

 ――我が勇者よ。『朱雀』の勇者よ。正義は我らにある。正義の鉄槌を下すのだ。

 弓月の意識は次第に霞んで行く。朱色の霧が掛かったようだ。一矢は、弓月から何もかも奪った。今また、命より大事な乙矢さえも奪おうとしている。眼前に浮かぶのは、乙矢に向かって『青龍』を振り下ろす一矢の姿のみ。

 ――『朱雀』の勇者よ。一矢を殺せ。一矢は鬼だ。鬼を殺すのが我らの正義。

「一矢を殺す。貴様は鬼だ……鬼は殺さねば……」
「聞くなっ! 『朱雀』の……鬼の言葉に耳を貸すな! 弓月殿っ!」
 神剣同士の戦いに割り込むのは至難の技だ。ましてや、乙矢は素手である。弓月を押さえる為、一矢に背を向ければ確実に斬られる。逆でも――今の弓月なら、乙矢すら斬りかねない。

「乙矢っ!」
 新蔵が、乙矢目掛けて長刀を放り投げた。それを受け取ると躊躇うことなく弓月の前に飛び出した。
「弓月殿! 神剣を離すんだ!」
 弓月の『朱雀』を避けた次の瞬間には、後方から一矢の『青龍』が襲い掛かる。乙矢の手にある刀では、まともに斬り合うことは不可能だ。双方の剣を避け、ひたすら弓月の心が取り込まれないように叫び続けた。
「弓月殿――俺を見ろっ! 『朱雀』を俺に渡せ。弓月殿!」
「邪魔をするなっ! 奴は殺さねばならぬ。……殺さねば、乙矢殿まで殺されるのだ。勇者などどうでもよい! この身を鬼に変えても、私が奴を殺す!」
「落ち着けよ。俺は死なない! もう、誰も死なせない! 俺が皆を守るから……俺にその剣を渡してくれ。さあ、弓月殿!」
「退け! 退かねば――貴様を斬る!」

 少し離れた位置にいた凪たちは、弓月の言葉に息を呑んだ。既に、目の前に立つ男が、乙矢であることすら判らなくなり掛けている。弓月の瞳に、赤いものが混じり始め――。
 弓月は『朱雀』を振り上げ、火の構えで乙矢を威圧した。それは、新蔵が得意な一撃必殺、右上段の構えである。弓月は右足を半歩踏み出し、剣先を左斜め後方に振りかぶった。そして、気合を発すると――言葉の通り、乙矢に斬りかかる。

 乙矢は背後から狙う一矢に、長刀を大振りし後退させた。だが――間髪入れず、前方から弓月が向かってくる。
 身を屈めると刀を捨て、突如、乙矢は弓月の懐に飛び込んだ。そのまま抱き付くと、二人は縺れ合う様に地面を転がる。
 だが――それでも、弓月は『朱雀』を離さず、起き上がろうとするのだ。
 乙矢は、半身を起こした状態で弓月の身体を抱き寄せ……抱き締めた。
「弓月殿は、鬼にはならない。俺がさせない。必ず守るから……俺を信じろ」

 憎しみと悲しみに囚われ、奈落の底に堕ち掛けた弓月の魂を、乙矢は渾身の力で引き上げる。
 瞬く間に、弓月の双眸から涙がこぼれ落ちた。だが、その手は『朱雀』を逆手に持ち替え……今にも、血塗られた切っ先が、乙矢の脇腹に吸い込まれそうである。

「……と、やどの……」
「剣を離すんだ。大丈夫、弓月殿なら出来る。自らの力で、鬼を振り切れ!」
 
 ――ガチャン。二人の横に『朱雀』が転がった。
 震える弓月の指先が、乙矢の背に触れ……同時に、乙矢の手が弓月の髪を撫でた。ほんの一瞬、二人が抱擁を交わそうとした。しかし――それを邪魔するように、『青龍一の剣』が風を切り裂き、二人に襲い掛かる。

 乙矢は、弓月を抱き締めたまま、再び草の上を転がった。必死で、一矢から弓月を庇う。だが、予想に反して、深追いはして来なかったのだ。
 一矢は何を思ったか『青龍』を投げ捨てた。そして、弓月の離した『朱雀』を拾い上げたのだった。

「片輪の『青龍』では話にならぬ。この“裏切りの剣”で、四天王家を抹殺してやろう」

 『朱雀』を手に、一矢は満足気な笑みを浮かべた。乙矢はこの時、一矢の中に『朱雀の鬼』を見てしまったのだった。



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