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弟矢 ―四神剣伝説―

第六十七話 勇者の選択

 新蔵の太い首に、赤い直線が入る。そのまま、脇差の峰に膝でも乗せ、体重を掛けられたら……神剣の鬼でもなければ、二度と立ち上がることはなくなる。

「人質が必要なら私がなります。――新蔵を放しなさい」
 そう言って、弓月が一歩前に出た。
「いけません、弓月様……俺は破門された身です。どうか、俺のことなど……」
 肘を逆に決められた状態では、身動きが取れない。一矢は無表情で、とても力を籠めているようには見えなかった。だが、ほんの少し一矢が体の位置を変えるだけで、新蔵の肘は関節から砕かれるであろう。
 それが判るだけに……乙矢は尚更、動くことが出来なかった。
「馬鹿を申すな。新蔵、お前は遊馬一門の剣士です。この男の策略に乗ったというなら、私も同じ。軽々しく、破門など口にしたために、お前を追い込んでしまった。許して下さい。だが、新蔵……お前が無事で、本当に良かった」

 窮地には違いない。だが、弓月の言葉と笑顔に、新蔵の胸は潰れそうなほど苦しくなる。
 それは、悪夢のような一夜の出来事が脳裏に浮かんだからだ。新蔵は、自由になる左手の指で、地面を掻き毟った。そして、この地方独特の、目が荒く硬い赤土を握り締める。


「人質? そんなものは要らぬ」
 一矢の求めるものは、弓月の思惑とは反していた。そのまま乙矢に向き直り、呪詛のような言葉を吐く。
「やはり、父上は貴様にも無刀術を授けておったのだな。忌々しい!」
 それは、これまで乙矢の見たことのない兄の顔であった。
 いや、そうではない――見ぬようにしてきた、が正解であろう。如何な乙矢でも、認めざるを得ない。
「一矢……もう判ってるだろう? 俺たちが乗ってきた馬も、あの弓矢も、蚩尤軍のものだ。いや、関所に駐留する蚩尤軍は全員投降したぞ。彼らはもう、幕府の正規軍で、蚩尤軍兵士じゃねぇ。なあ、もう止めにしよう。俺は――」
「それは『青龍一の剣』だな。なるほど、織田正三郎を殺して手に入れた神剣か」
 一瞬で乙矢の表情が曇る。
「違う! 乙矢が殺したんじゃない! 織田さんは……クッ」
 何か言いかけた新蔵の口を、一矢が閉じさせた。ほんの僅(わず)か力を加えただけで、新蔵の右肘は悲鳴を上げる。

「弓月殿……正三が『青龍一の剣』を取り戻してくれたんだ」
 背中を向けたまま、乙矢はそれだけを口にした。それが何を意味するか……弓月は咄嗟に理解し、歯を食いしばる。
「物は言い様だな。よかろう……では、『青龍一の剣』と引き換えに、この愚か者を返してやろう」
「ならん! 乙矢、死んでも渡すな!」
「……だから、死ぬのは俺じゃなくお前なんだぞ。少しは黙ってろっ!」
 今度は乙矢が新蔵を黙らせた。
 一矢は、嬉々として新蔵の喉元に刃を突きつけている。手にしているのは神剣ではないが、その表情は……骨の髄まで鬼と同化しているように見て取れた。
(いつから……こんな笑い方をするようになったんだろう)
 そう思うと、乙矢のほうが泣きそうだ。

「乙矢殿……」
 乙矢の背中が微小に揺れるのを、弓月は勘違いしたようだ。乙矢を労るように優しく声を掛ける。
 しかし、弓月自身も迷っていたのだ。新蔵を助けたいのは山々である。だが、恐らくは正三の命と引き換えに取り戻した『青龍一の剣』であろう。それを三度みたび鬼の手に委ねるのは……。
 躊躇する弓月に乙矢は軽く振り返り、莞爾かんじとして笑いかけた。
「俺はもう、大丈夫だから……俺を信じてくれ」

 それだけを言うと、乙矢はたじろぐことなく一矢に歩み寄った。そして何を思ったか、腰から『青龍一の剣』を鞘ごと引き抜く。
 乙矢は鞘尻さやじりを手に持ち、一矢の眼前に柄頭つかがしらを差し出した。
「そんなに欲しけりゃ受け取れよ」
 ――あまりに予想外の行動に、一同唖然とする。

 一矢は、新蔵の動きを抑えていた左手を離し、『一の剣』の柄に手を掛けようとした……その瞬間、
「でもな一矢……お前が腰に差す長刀、そいつは『朱雀』だろう? 勇者は、それぞれの鬼に選ばれさえすれば、何本でも持てるというが――鬼はどうなんだ? お前が『朱雀の主』かどうか、ハッキリさせようぜ」
 恫喝するでもなく、脅迫めいたものでもない。静かに、諭すような乙矢の声に、一矢は慄然りつぜんとした。

 一矢の手は小刻みに震え『一の剣』を掴めない。

 乙矢は、ここぞとばかりに、更に一矢を嗾けた。
「さあ! 『青龍』に選ばれる自信があるなら抜いてみろっ!」
 これがハッタリであれば、一矢には判っただろう。だが、全てが乙矢の真意――その言葉に嘘はなかった。
 「抜けるわけがない」ではなく、本当に「抜け」と言っている。乙矢は、一矢が勇者であれ、鬼であれ、何も恐れてはいないのだ。
 乙矢はやはり、活火山であった。ほんの二日前まで、内に眠る奔流など忘れ去ったかのようであったのに……。
 一矢は、そんな弟を目覚めさせたことに身震いする。そして、乙矢の奥底から噴き出す気迫に、些末ながら恐怖を感じたのであった。

 その間隙を見逃すほど、新蔵も愚かではない。
 脇差から逃れると同時に、一矢の顔面に目潰しの赤土を投げつけた。そして、なんと新蔵は、一矢の腰から『朱雀』を奪い取ったのだ。
「これで鬼にはなれまいっ!」
「新蔵……後ろだ!」

 一矢も只者ではなかった。
 思わぬ新蔵の動きに気を取られ、乙矢も不覚を取る。そこを躊躇わず、一矢は『青龍一の剣』の柄を握った。抜き様に、新蔵を斬り捨てようとしたのだ。
 しかし――そうはさせじ、と乙矢が鞘を投げつけた。だが、そんなものでは一矢は怯まない。乙矢は無刀取りで『青龍一の剣』を押さえ込もうと、白刃の下に滑り込んだ。
 瞬時、一矢は剣を引く。乙矢は、危うく鍔元つばもとを掴みそうになり――。
 直後、『青龍一の剣』は乙矢の右肩に吸い込まれた。

「乙矢っ! 負けるなっ!」
 叫んだのは弥太吉だった。
「乙矢っ!」
 新蔵も立ち止まり、乙矢に加勢しようとするが……。
「馬鹿野郎、とっとと行けっ! いつまでも神剣持ってんじゃねぇ! 弓月殿に渡せ――俺は、大丈夫だって言ってんだろうがっ」

 乙矢は鍔元を、双手もろての平で挟み、受け止めていた。
 『青龍一の剣』は乙矢の肩口を、薄皮一枚斬りつけたに留まる。だが、この体勢は、長くは持たない。
 それは、一矢のほうも同じであった。一対一なら、間違いなく一矢が有利だ。しかし、間髪入れず後方から襲われては一溜まりもない。
 その時、乙矢の足が動いた。
 つま先で、転がる一矢の脇差を蹴り上げる。そして、一矢の力が引いた瞬間――等しく、後方に飛び退いた。


〜*〜*〜*〜*〜


「弓月どの、早く新蔵を。奴から、『朱雀』を取り上げて下さい」
 凪の言葉に、弓月は急いで新蔵の元に駆け寄った。
 
 『朱雀』からは異様な妖気が漂ってくる。出来れば、弓月自身も触れたくはないが……。佇む新蔵の様子から、そうも言ってはおられなかった。
「新蔵……新蔵、それを……『朱雀』を放すのです。さあ、こちらに渡しなさい」
 中空を睨み、視点が定まらなくなる新蔵を見て、弓月は遠慮なくその頬を叩いた。周囲に、小気味好い派手な音が響き……。

「弓月様……。あ、乙矢は」
 新蔵の瞳が弓月を見た瞬間、その手から『朱雀』を取り上げた。

「乙矢なら、今のところ無事だ。此度の一件は、奴がつけねばならぬ決着であろうからな」
 新蔵の問いに弓月ではなく、長瀬が答える。弥太吉と長瀬に支えられ、凪も近づいてきた。
 弓月は『朱雀』を手に、乙矢たちを食い入るように見つめている。
 その内なる変化に、この時、誰も気付くことはなかった。



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