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弟矢 ―四神剣伝説―

第六十六話 覚醒の兆し

 鬼と化した狩野の姿は、里で暴れた『青龍の鬼』と重なった。新蔵によって、文字通り、首を叩き落とされた男だ。
 
 乙矢は狩野を見て思った。奴の右腕を落としたことが仇となった、と。最早、その肉体に魂は宿しておらず、『白虎』の傀儡に過ぎない。狩野が『白虎』を手に、鬼となっても殺したかったのは自分に違いない。乙矢に向かうはずの怒りが、弓月や凪に向かったのだ。そして……狩野の胸に突き刺さった長刀で、凪が乙矢らと同じ失敗を犯したことにも気付く。
 この時、やり場のない嘆きと憤りが、乙矢の中に渦巻いた。しかしそれは、後悔ではなく……。
「弓月殿……狩野が凪先生を?」
 弥太吉は凪に駆け寄り、横から体を支えている。遠目にも、凪の傷は深手に見えた。

「……はい。心の臓も動いておらぬのに、こうして襲ってくるのです。まさか、ここまでとは――それより、乙矢殿」
 弓月は、高円の里の鬼を知っている。乙矢と正三が立て続けに致命傷を与えても、起き上がり襲い掛かってきた。あの時は、『青龍二の剣』を持ち半ば鬼と化した正三が、『青龍一の剣』を持つ男の首を切り落した。
 それを見た時、弓月も乙矢と同じく「首まで切らずとも」と思ったが……。今は、誤りだったと認めざるを得ない。
 
 だが、そんなことより――乙矢である。
 乙矢が手にする抜き身は、神剣『青龍一の剣』だ。弓月が見間違えるはずのないものであった。
 『青龍』を抜いてどうするのか。乙矢の心は平気なのか。それに、なぜ『青龍』はなんの波動も感じさせないのか――弓月が数々の疑問を尋ねる前に、乙矢が口を開いた。

「下がっててくれ」
 乙矢は右手に神剣を持ったまま、左手で弓月を後方に押しやる。

 『白虎の鬼』狩野は、その奇怪な外見に似つかわしい獣じみた咆哮を上げ、乙矢に突っ込んで来た。
 体の均衡が狂っているのだろう。狩野は左右に揺らめきつつ――だが、不規則に速くなる。

 そんな鬼を目の前にして、とくに構えも取らず、乙矢は狩野に声を掛けたのだ。
「なんで逃げなかった――次は首だと言ったはずだ!」
 
 ――変化は出し抜けに起こった。乙矢の神剣を掴む指に力が籠もる。小手の筋肉が微かに隆起した。そして、それはたちまち全身に及ぶ。
 その様子は、まるで薪を重ね、火を入れた瞬間のようであった。
 青みを帯びた煙が、乙矢の全身からゆるやかに立ち昇り、澱んだ辺りの空気を祓って行く。そして、乙矢の体内を迸る光が右手を伝わり、水のように『青龍一の剣』に注ぎ込んだ。見る見る間に『青龍』は清らかな青に満たされ――それは、神剣へと姿を変えたのだった。

 はじめて見る神剣の神剣たる姿であった。新蔵以外の全員が言葉もなく、その場に立ち尽くす。
 いや、新蔵以外にもう一人、狩野もその姿を目にしていた。且つ、神剣により右腕を落とされ、今また――。

 真下を向いた剣先が、地表スレスレを這い上がって来た。土煙を巻き起こし、それは喉元ではなく、『白虎』を持つ左腕の付け根を切断する。そして片時も空けず、狩野の動きは停止したのだった。
 『白虎』との繋がりを絶てば、元より、命運は尽きている。凪の刀を胸に受けた時点――狩野は、死体に戻ったのであった。

 
「あれが『青龍』……でも、まさか」
 凪の体を支えつつ、弥太吉は言うともなしに口にしていた。 
「……弥太、しっかり、見ておきなさい。あれが、勇者の揮う神剣……本来の輝きです」
「あいつが勇者? 乙矢が……そんな、戦うのが嫌だって、人を斬りたくないって、逃げ回ってたような奴が」
 弥太吉は驚きのあまり、瞬きも忘れて食い入るように乙矢の姿を見詰めた。凪は、そんな弥太吉の気配に苦笑いを浮かべつつ……ホッとしたのか、右膝の力が抜けて体が傾ぐ。
 その凪の体を、すくい上げるように支えたのは長瀬であった。長瀬は凪を気遣いつつも、視線は乙矢に釘付けとなっている。
「凪先生……彼奴あやつが本当に『青龍』を抜くとは」
「もう……大丈夫です。……臥龍は目覚めました。後は、奴の力を信じましょう……」

 
 弓月は間近で“それ”を見ていた。
 これまで抜剣された『青龍』は、暗く沈んだ水底を思わせる青しか見せてくれなかった。その『青龍』が乙矢の手に納まり、清澄せいちょうたる青を取り戻したのだ。

 乙矢は、狩野の残された腕を一閃した。
 その剣技は、地面を掠るように天空に突き抜け、傍らの森に並び立つ、木々の一本一本まで振動させたのである。 


 その姿を得意気に見る男がひとり――新蔵だ。
 ほんの二日前、乙矢を殺すべく崖っ縁まで追い詰めた男と、同一人物とは思えぬ態度である。
 だがそれは『朱雀の鬼』を前にして、新蔵の気構えに隙を作った。

「爾志一矢――貴様が里人を殺し、『青龍』一対を奪ったのか? そして、あやかしの術を使い、俺に乙矢を殺させようとしたのか? 答えろっ!」


〜*〜*〜*〜*〜


 狩野が『白虎』を手に現れた時同様、まるで事態は報告と違っていた。
 いや、今思えば、乙矢が『青龍一の剣』を抜いたと聞かされただけであった。都合よく死んだと思い込んでいたが……。錯綜する一矢の意識を、朱色の濃霧が覆い隠す。次第に混乱は収まり、一矢の心は落ち着きを取り戻しつつあった。
 その時、一矢の脳裏にいつもの声が響く。

――乙矢を殺せ。乙矢は敵だ。乙矢を殺すのが『朱雀』の勇者たる宿命さだめ

 そうだ。『朱雀の勇者』は『白虎の勇者』を殺さねばならない。それは、一矢に定められた使命だと言われたではないか……。


 神剣を手に鬼を斬り捨てた乙矢の姿に、呆然とした一矢であったが……。
 ほんのわずかな時間で、それも、新蔵の罵声のおかげで、すぐに立ち直りを見せた。

「あやかしの術? 何を言う……貴様が乙矢を恨み、妬んでの所業ではないか。私は僅かに、貴様の背中を押してやったに過ぎぬ。折角『青龍二の剣』を持たせてやったというのに……役に立たん男だ」
 その言葉に、遊馬一門の顔色が変わった。一矢はその機を見逃さない。動揺を誘うため、更に言い募った。
「そうそう『青龍二の剣』を滝に落としたのであったな。大事な神剣を失くすなど、前代未聞の失態であろう。よくぞ、生きて姫君の前に顔を出せたものだ。貴様ほどの愚か者はそうそうおるまいな」

 それは、新蔵には禁句だ。一矢は、新蔵の泣き所を巧妙につき、挑発を仕掛ける。
「なんだとぉっ! よくも勇者の名を騙り、我らを謀ったな! 貴様だけは許さん!」
「おい、新蔵――待て!」
 
 頭に血の昇った新蔵は、憤怒の形相で一矢に斬りかかる。そんな新蔵の耳に、乙矢の制止など聞こえるべくもなく。
 だが肝心な所で、正三が心配していた悪い癖が出てしまう。冷静さを欠いた大味な剣捌きは、一矢に掠ることも出来ず……。覿面てきめんに右腕を取られ、肘を返された瞬間、新蔵は地面にうつ伏せに倒されていた。それは乙矢が操るのと同じ、無刀術の技である。
 一刹那、一矢は脇差を抜き、新蔵の首筋に当てたのだった。



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