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弟矢 ―四神剣伝説―

第六十四話 陽動

 『白虎の鬼』――狩野は片腕で、近くにいた蚩尤軍兵士二人を、あっという間に斬り捨てた。
 だが、二人では足りぬと雄叫びを上げ続ける。狩野は勢いをつけて、斬り合う直前の弓月らの中に飛び込んで来た。弓月の右手にいた兵士は、刀と共に一刀両断にされ息絶える。
 次は、弓月の番であった。

 鬼の剣と刀を合わせるのは、高円の里に次いで二度目だ。あの時は、それほど腕の立たぬ男を鬼にしたようであったが、今回は違う。
 狩野の両眼は、曇天の如き薄墨の色をしていた。それは、時折色の濃淡が変わり……。不意に、だらしなく開いた口元からは想像できぬような、俊敏な動きで斬りかかった。
 
「クッ!」
 弓月は、鬼の攻撃を避けようとしたが間に合わない。咄嗟に刀で受けたと思ったその時――剣先が折れ飛ぶ。そのまま、白刃が弓月の頭上に迫る。
「――伏せて!」
 凪の声だ。何処から聞こえたのか、どうするつもりか全く判らない。だが、弓月は声と同時に地面に抱きついた。
 弓月の姿が消えた瞬間、その真後ろから凪の刀が真っ直ぐに狩野を貫いた。刃は心の臓を突き差す――それは深く、鍔の部分が狩野の体に触れるほど。
 背中から突き出た刀身は一尺以上ある。凪が如何に弓月を信頼し、迷わず飛び込んだか判ろうものだ。一つ間違えば弓月を串刺しにする所である。しかし、躊躇えば……『白虎』は弓月を二つに斬り裂いていただろう。


「ほう、驚いた。遊馬凪か……嘗ての天才剣士も、今では一門のお荷物とばかり思っていたが。どうやらその剣気、私に悟られまいと隠しておったようだな」
 そんな一矢の問い掛けに、凪も負けじと答えた。
「さて、どうでしょうか。剣聖と謳われた御仁も、真の姿は、鬼の手先に過ぎぬ場合もございますゆえ」
 
 その凪の言葉に、ようやく一矢も頬を歪ませた。弓月相手には悠々たる様を見せるが、凪ではそうも行かぬらしい。
 この時、狩野の登場は一矢にとっても計算外の出来事であった。しかも『白虎』など……。
 一矢が本拠地にしていたのは、街道を進めばここから三十里近く離れた白鷺の名を持つ城だ。そこに置かれた神剣が、なぜこのような吉備の北端で暴れ始めたのか検討もつかない。
 狩野が、神剣を抜いた乙矢に敗れたのがほんの二刻前。馬で駆けても往復出来る距離ではない。ならば、初めから『白虎』を持ち出していたことになるのだが、それなら、乙矢相手に抜いたはずである。
 
 一矢はすぐに口元を引き締め、凪の挑発に乗ることはなかった。さりとて、胸に凪の刀を突き立てたまま、うつ伏せに倒れる狩野に近寄ることもなく……。
 『朱雀』を腰に下げた鬼は、飄々たる面持ちで立ちはだかる。
 山間を吹く風は少しずつ温度を上げ、弓月らの肌を滑るように通り抜けた。ただ、無作為な時が流れるばかりだ。
 一矢は、初めから敵であったと告白した。だが、自身が仮面の男――蚩尤軍の大将であるとは言わない。さすがの凪も、この時間稼ぎに意味があるのか、不安を覚えそうになる。


 その危うい均衡を突き崩したのは、弥太吉であった。その手には刀が握られている。
「一矢さま……ずっと、信じていたのに。あなたを勇者だと……そう思ったから……」
 弥太吉は弓月の後を追い、一矢の話を全て聞いてしまったのだ。
「何を言う? 私は勇者ではないか。最強の剣士だ。神剣がそう言っておる。それは、お前もよく知る伝説であろう?」

 ――神剣には鬼が宿る。
    その鬼が、自身の柄に手を掛けた者の中からあるじを選び、『神剣の主しんけんのぬし』と称され、勇者となる――
 
 弥太吉の中で、神剣を自在に扱う者は勇者と刷り込まれている。だが……勇者と信じた男は、真っ赤な偽者だった。快楽のため神剣を抜き人を殺す――同胞はおろか、親兄弟すら殺す男を神剣は主に選んだ。
 高円の里が襲われた時、乙矢が叫んでいた『護国の神剣が守るもの』――それは、民ではなかった。神剣は、自らを守るために主を選んだのである。 

「伝説も……勇者も……何もかも嘘だったんだ! 四天王家に仕えることを、誇りに思えって父者ちちじゃは言ったのに。神剣は、ただの鬼の剣だったんだ! よくも……よくも、おいらを騙しやがって!」
 少年は心胆を打ち震わせ、腹の底から声を上げた。わずか十歳……しかし、尊敬する父の誇りを汚された怒りは、神剣の鬼に一歩も引かぬ気概を見せる。
「弥太!」
 凪の意識は弥太吉に向いた。弓月も、長瀬もである。そして…… 一矢は顔を上げニヤリと笑った。

 
 凪は、高円の里での鬼の戦いぶりを見てはいなかった。もし見ていれば、このような失態は犯さなかったはずである。
 それは、全くの無意識であった。風が斬られる音に、素早く左に飛ぶ。さもなくば、彼の胴は真っ二つになっていただろう。
「凪先生っ!」
 弓月の叫び声に弥太吉は立ち止まり、すぐさま凪に駆け寄ろうとした。
「来るなっ!」
 凪は脇差を構え立ち上がる。だが……右足元に鮮血が伝い、次第に滴り落ちた。
「凪先生、引いて下さい。私が……」
「誰も来てはならぬ。……近づくな」
 狩野は心の臓に刀を刺したまま、ゆらゆらと立っていた。気配はまるでない。屍にあろうはずかない、と言うべきか。だが、救いはあった。尋常ならざる狩野の姿に、凪が恐れることはない、ということだ。

 そこは山間の狭い場所である。森に程近い位置に、一矢は立っていた。奴に一番近いのは弓月だ。そして弥太吉。馬手めての利かぬ長瀬は、街道寄りの位置で敵兵二人の相手をしていた。苦戦の末、ようやく叩き伏せた所である。


 その時、街道側から馬蹄の音が響いた。山沿いの狭い街道を、単騎で駆けてくる。方向から見て、蚩尤軍の一団から抜け出て来たことは明らかだ。およそ、木立の向こうで刃を交える気配に気付き、先駆けを走らせたに違いなかった。


 一矢と袂を分かつのは時期尚早だったか……凪は、一矢の心中を量り兼ねていた。乙矢らは無事だと凪も願っている。だが、一矢の周囲に蚩尤軍兵士が徘徊し始めた以上、何かがあったことは明白だ。
 弓月と違い、凪の考えは正三に近いものだった。一矢を、『朱雀の主』ではないか、と考えていたのだ。しかし、仮に『朱雀の鬼』の方であったとしても、凪の敵う相手ではないと判っている。
 だからこそ、自らが宗主に立つことを宣言し、一矢に反発した。あの時から、凪は出来る限り思わせぶりな行動を取って来たつもりである。裏がある、一筋縄では行かない――そう思わせなければならなかった。勝機がある以上、努力もせずに腹を見せる訳にはいかない。
 
 勝機とは――言うまでもない、乙矢と弓月だ。
 弓月は一矢の狙いは自分の命だと思っているようだが、そうではないだろう。奴は、弓月を殺すつもりはなさそうである。それが、勇者の血を引く許婚に対する執着か、或いは、乙矢に対する嫉妬か、将又はたまた……。
 
 次代に繋がねばならない。
 せめて『白虎の鬼』だけでも――それは凪の胸に過ぎった覚悟であった。 
 


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