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弟矢 ―四神剣伝説―

第六十三話 折れた一番矢

 『一矢は一番でなきゃ駄目なんだ』
 乙矢はそう言った。最初からずっと、一矢が助けてくれる。一矢なら、きっと何とかしてくれる。
 もちろん、弓月もそう思っていた。勇者だ、と信じたからこそ、はるばる西国までやって来たのだ。だが、一矢と再会して……期待ではなく疑問が、弓月の中で膨らんでいくのだった。
 
 一矢の乙矢に対する態度は、常軌を逸したものがある。それに気付かないのは、乙矢本人くらいであろう。乙矢の優しさに付け込み、甘えて……いや、足蹴にしていると言っても過言ではない。一矢は長い年月を掛けて、弟の心を蝕み、兄を絶対だと信じ込ませた。切っ掛けが何であったのか……。
 乙矢が以前、一度だけ兄に勝ったことがある、と言っていた。その敗北が、一矢を勇者の肩書きに執着させたのかも知れない。
 だが、何かが一矢を、勇者のフリが通用しない事態に追い込んだのだろう。彼は鉄の仮面を被り、幕府に取り入って蚩尤軍を結成した。だが、最初に乙矢を殺さなかった訳は……。
 

「爾志一矢、貴様は勇者などではない。『青龍』一本であるなら自在に扱えるのだろう。だが、一対を抜くことは出来ぬ。その腰に下げた『朱雀』も、爾志家の『白虎』も、貴様には抜けぬのだ。そして恐れたのであろう? 双子の弟が真の勇者であることを」
 弓月は声にする度に、確信に近づいて行くのを感じていた。

「勇者? 本当に信じているのか? 勇者が存在すると」
「信じているから、乙矢殿を殺さなかったのだ。貴様のせいで、自信も自尊心も失った乙矢殿を、目覚めさせるために我らと会わせた。武藤や狩野らに襲わせたのもそうだ。鬼を作ったのは、勇者を目覚めさせるためとしか思えない! だが、ならばなぜ里を狙った? 乙矢殿に『青龍』を持たせ、我らを襲わせれば良かったものを」
「里はついでだ。勇者の血を引くあの男、織田正三郎は危険だ。次は『青龍』一本なら使いこなすやも知れぬ。まずは、一人……。そして、私の顔を見たあの小娘。口が聞けるようになれば、余計なことを言い出さぬとも限らん。事が終われば、私は勇者として西国の領地に戻り、爾志家を復興する。これよりは、爾志家が四神剣、四種五本の神剣を守ることになる」

 一矢は己の企てを、薄ら笑いを浮かべながら平然と話す。
 弓月が、おきみの言わんとしたことに気付いたのはこの時であった。卑怯も何もない。一矢の誘導にまんまと引っ掛かったのは自分たちだったのだ。

「では、新蔵に乙矢殿を追わせたのは何故だ! 貴様、新蔵に何をした!?」
 弓月の問いに何かを思い出したのか、さも可笑しそうに一矢は話した。
「ああ、あの勘の鈍い役立たずか? 奴はおぬしに惚れておった。乙矢を殺せばおぬしが手に入る、と刷り込んでやれば……簡単に心を明け渡しおったわ。『青龍二の剣』で乙矢を襲うように仕向けたまでのこと」

 膝だけでなく、弓月は腕も肩も小刻みに震え始めた。
「まさか……本当に皆を殺したと言うのか……まさか」
「嘘だと思っておったのか? めでたいな。なに、心配せずとも良い、すぐに仲間を送ってやろう。だが――おぬしは殺さぬ。おぬしを乙矢にだけは渡さぬぞ」
 そう言うと、一矢はスッと『朱雀』の柄を握り締めた。
「抜けぬ、だと? 愚かな女子よ」
 
 薄紅に艶めく刀身は、滑るように鞘から姿を現した。

 弓月は自分の目を疑った。
「馬鹿な……そんな」
(一矢は勇者なのか? 『朱雀』の鬼が選んだ『朱雀の主』なのか?)
 眩暈を感じつつ――弓月はそれでも両足に力を入れ、地面を踏み締めた。息を止めると、自身の刀を抜き放つ。
 
 
 一矢はそんな弓月の反応を見て、低い声で嘲笑した。
「神剣を抜くのは心地良い。女子を抱くより、もっとだ。乙矢も……さぞ興奮したであろうな」
 卑猥な言葉に、弓月は頬を赤らめた。その上、わざと乙矢の名前を引き合いに出し、挑発する。
 一矢はまともに剣を構えようとせず、片手で『朱雀』を弄んだ。弓月は、揺れる剣先に危うく意識が散らされそうになる。それも、この男の計略に違いない。弓月は必死で一矢の心中を推し量った。

「中々どうして……さすがは遊馬の姫だ。やはり、殺すのは惜しい。――知っておるか? 過ぎたるは、なお、及ばざるが如し、とな」
 
 そう言うと『朱雀』を鞘に納め、一矢は後ろに下がった。
「なぜ下がる? 私では、貴様の相手に役者が足らぬとは言うまいな」
「足りておるから言ったのだ。楽しみが過ぎては次がなくなる」
「楽しみ、だと? 貴様、己の快楽にために神剣を抜くのかっ!?」
 
 それではあまりに乙矢が不憫である。自らを二番矢、弟矢と称し、兄矢が勝ち続けるためなら何でもすると言った。兄を勇者と信じ続けた乙矢は――。
 
「この剣は私を最強の剣士だと言う。私もそう思っている。――ああ、殺すな、生け捕りにするのだ」
 最後の言葉は、一矢の代わりに前に出た、蚩尤軍兵士に言ったものであろう。二人の兵士が弓月を左右から挟んだ。その中には、ほんの数刻前、一矢と森で会っていた男はいなかった。
 ――動くか? と弓月が足の親指に力を入れたその時だ。

「うおぉぉぉぉっっ!」

 それは『白虎の鬼』の咆哮であった。


〜*〜*〜*〜*〜

 
 凪は、普段閉じたままの瞼を開けて、鬼と対峙していた。
 病を得て光を失った目は、白目が赤く濁ったままだ。それは黒目を浮き立たせ、魔物の眼と忌避された。そのため、人前ではなるべく閉じたままでいるようにしている。
 無論、その朱色の瞳は何も映してはいない。ただ、立会いとなれば、奇異な色の双眸に相手のほうが惑わされるであろう。但し、人間であれば。鬼が相手では意味がないと思えたが……。
 瞼より眼球のほうが感度が良い。受ける風がまるで違うのだ。普通の人間であったなら、気付くかどうかの違いであろう。だが、凪にとっては……その動きに、天と地ほどの差が出たのである。

 見えぬ分、太刀筋に惑わされることもなく。剣先が風を切る動きに呼応して、鬼の攻撃を読む。それは剣術ではなく、さながら演舞のようだ。凪の浅葱色の着物が蝶の如く舞った。そのまま、次第に速まる鬼の剣を紙一重でかわし続け、一撃必殺を狙う。
 だが、神剣に宿る鬼は、宿主に血を吸えぬ不満を言い出したようだ。白濁とした刀身はやがて鈍色にびいろへと姿を変え――矢庭に血を求め、蚩尤軍兵士に襲い掛かった。
 出し抜けに矛先を変えられては、凪には対応出来ない。ましてや、相手は『白虎の鬼』。迂闊に近づけば、餌食になるのは必定である。

「長瀬どのっ! 弓月どのと弥太を」
 そこまで、周りの状況を見る余裕など凪にはなかった。身近に長瀬の気配はするが、弓月と弥太吉がいない。
「凪先生! 姫がお独りで一矢の元に――。しかも奴は『朱雀』を抜いております!」
「それは拙い――弓月どのっ!」



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