PREV | NEXT | 目次

弟矢 ―四神剣伝説―

第六十二話 『白虎』の鬼

「何奴だっ?」
 長瀬が誰何し、同時に弓月を背に庇う。
 そして、凪は短く弥太吉の名を呼び、手元に引き寄せた。
 凪にとって弥太吉の父、小弥太は親友であった。子を持てぬ凪にとって、亡き親友の息子なら我が子も同然である。弥太吉が罠に嵌められたのなら、責任は自分にある。凪はそう思った。何をおいても、一矢の魔の手から少年を守らねばならない。その気持ちが変わろうはずもなく……。
 だが、茂みから現れたのは、凪たちが想像もしていない男であった。


「狩野……天上?」
 弓月が小さな声で呟く。
 それは、高円の里で、一矢を名乗った乙矢と弓月の後方から、突如姿を見せた男であった。だが、その時とはだいぶ様相が変わっている。先達せんだっては、余裕の薄ら笑いを浮かべていた。その地位も実力も、武藤より上に見て取れたのだ。
 それが今は……赤く見える口元は血の汚れで、唇は紫に変色している。血は顎を通り、首筋を伝って衿元を真っ赤に染めていた。かつて、乙矢が気味悪がった爬虫類を思わせる双眸には、何の色も映ってはおらず、まるで死人のようである。
 そして何より……奴の右腕は肘から下が無かった。布の切れ端を大雑把に巻いただけなのだろう、それは止血の役目を果たしてはいない。切断された部分は真っ赤に染まり、地面に血が滴り落ちている。どうやら、口元や衣類に付いた血痕は、そのほとんどが右腕の傷から流れ出たものらしい。

「ふふふ、見つけたぞ。……遊馬弓月!」
「それは……どういう意味だ?」
 弓月は、声を詰まらせながらも返答した。だが、この場で最も驚いていたのは弥太吉であろう。
「おまえ……一矢さまの間者がなぜこんな場所に?」
「間者? それはどういう意味だ、弥太! お前はこの男を知っているのかっ?」
 聞き捨てならない言葉に、即座に長瀬が反応する。だが、弥太吉は虚ろな表情のまま、独り言のように恐ろしいことを口にした。
「昨日の夕刻、一矢さまはこいつと話してた。乙矢が……神剣を手に里を襲った、って。でも、織田さんや新蔵さんがいるから……遊馬の剣士は鬼に負けたりしないって」
「弥太……お前、知っていたのですか? 知っていてどうして私に言わないのです!」
 弓月のため、であった。そう一矢に言われたのだ。
「姫さまのためだって! 一矢さまがそう仰って……。一矢さまは勇者さまだから。おいらは、勇者さまの言いつけを守っただけだ。間違ってない! おいらは間違ってなんか」
 敬愛する弓月に、悲鳴のような声で責められ、弥太吉の心は粉砕寸前であった。『勇者』を連呼し、それに準拠じゅんきょする。もはやそれしか、弥太吉に縋るものはなかった。

「勇者か……ははははっ! 愉快、愉快よの。その通り、乙矢は神剣を抜いた。そして、私の腕を切ったのだ! 里……そう、神剣の鬼は確かに里を襲い、遊馬の剣士を殺した。――いや、神剣などであるものか! あれは鬼の剣に過ぎん。手にした者は皆鬼になるのだ。ふふふふ……そうだ、いいことを教えてやろう。東国を襲った仮面の男、あの方の正体が知りたくはないか?」

 狩野は、俄には信じられない内容の言葉を叫び続けた。
 弓月は軽い眩暈を覚え、足元がふらつく。だが、『仮面の男の正体』の一言に……彼女の嘆きは怒りへと摩り替わった。父の、一門の仇を討つ、それだけは捨て切れない憎しみなのだ。どうやら、凪は彼女にこの恨みを捨てさせたいようである。そして、弓月から憎悪の念を取り去れるのは乙矢のみ。乙矢への恋心だけが、弓月の心を暗黒の淵から救い上げることが出来るのだ。
 そしてそれは――弓月だけでなく、四天王家全体にとっても大きな意味を持つことであった。


「狩野であったな。答えよ。仮面の男の正体を! この刀に懸けても、口を割らせて見せるぞ!」
 弓月は一歩踏み込むと刀を抜き、正眼に構えた。更にもう一歩――その時だ。
「いけません、弓月どの! この男――神剣を持っております!」
 凪が焦眉しょうびの急を告げる。ゆらっと狩野が動いた半瞬早く、弓月は後方に飛びずさっていた。

 狩野は手にしたそれを一気に引き抜き、鞘を草むらに投げ捨てる。
 そして、抜き身の刀を左手に持った。朝の清んだ光を浴びながら、それは白濁の輝きを放ち……。  

「まさか――『白虎』!」


〜*〜*〜*〜*〜


 『白虎』
 二尺一寸の両刃の剣。籠められた念は最強で、常に祭壇に祀られ堅く封印がされている。何百何千と斬っても刃毀れ一つなく、血糊すらつかない。刀身は常に、打ち上がった時と寸分違わぬ真白き光を放つ……四神剣のうちで、最も強い鬼の宿る剣である。

 また『白虎』の鬼は勇者でなくては斬れないと言われる。最強の鬼を作り出してしまう剣なのだった。


〜*〜*〜*〜*〜


「なるほど、さすがの貴様も腕を落とされ血迷うたか」
 
 ハッとして、来た道を注視したのは弓月らのほうだった。遠目には、泰然とした面持ちで一矢が立っている。近づけば、額に浮かぶ脂汗に気付いたかも知れないが、目に映る距離ではなかった。声にわずかな顫動せんどうを感じ取ったのは、形ある物が見えぬ凪だけだった。
 
 この時、問われた狩野の眼睛がんせいは濁り、限りなく灰色に近い。この男がこのまま鬼となっては、『仮面の男の正体』を訊ねることは出来なくなる。
「仮面の男とは……この爾志一矢ではないのか? 答えよ、狩野!」

 ふふ……ふふふ……。弓月の問いに狩野は笑みを浮かべたまま、短兵急たんぺいきゅうに斬りかかった。一矢の後ろには数人の蚩尤軍兵士の姿も見える。その連中にも、狩野は見境なしである。
 
 片腕とはいえ『白虎の鬼』は侮れない。
 狩野の剣先を遮るべく、凪が立ちはだかった。


〜*〜*〜*〜*〜


「我らの始末は、蚩尤軍の任せるつもりではなかったのか?」
 狩野の剣を逃れ、弓月は一矢に接近した。
 事ここに至って、ようやく仮面の男の正体が一矢であると弓月も確信した。だが証拠がない。狩野の口から吐かせたかったが……最早、不可能だろう。
 無念の思いで問う弓月であったが、なんと、一矢は悪びれる様子もなく平然と言ってのけた。

「無論、そのつもりだが。おぬしほどの女子を、むざむざと死なせるのは惜しいとは思わぬか?」
「それは……自ら、蚩尤軍と通じた裏切り者だ、と認めるのだな」 
「裏切り? 何を愚かな。初めから味方であったためしなどない。そのようなことは先刻承知であろう? だからこそ、私を里から引き離したのではないかな……弓月殿自らが囮となって」
 少しずつ、一矢の気配が変わり始める。弓月は、知らず知らずのうちに膝が震えるのを感じた。だが、ここで臆する訳にはいかない。

「如何にも――貴様は、何か卑怯な手を使って乙矢殿を厄介払いし、新蔵までも追い払った。本当は、里に正三だけでなく、凪先生も残して行きたかったのであろう? 我々を分断し、真っ先に私を殺す予定であったのに、凪先生が宗主となり付いて来てしまった。貴様は――本当は、自分が勇者ではないと判っているのであろう?」
 
 それは、一矢の中の真実に果てしなく近い――弓月の出した結論であった。 



PREV | NEXT | 目次
Copyright (c) 2010 SHIKI MIDOU All rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-