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弟矢 ―四神剣伝説―

第六十一話 四面楚歌

 一矢は、思いのほか簡単に弓月を手放した。そのことに凪は嫌な予感を覚える。
 里に張られた結界から抜け出すこと、そして、里人からこれ以上の犠牲を出さないこと。そのためには、一矢を出来る限り里から引き離したかった。乙矢が早々に目覚め、弓月を連れて里を発つことが理想だったのだが……肝心の乙矢が逃げ出してしまっては、手の打ちようもなく。

 爾志家の双子は、方向は違えどもそれぞれに天賦の才と剣の素養があると思っていた。だが、二人とも何かが足りない。若さゆえ、歳を経る毎に満たされて行くに違いないと思ったが……。二人が揃った時、凪は気付いてしまったのだ。最初は、何かの間違いだと、自らの勘が狂ったのだと思いたかった。そうでなければ、あの男を勇者と信じ、弓月の許婚であることを喜んでいた先代宗主は、何という愚か者だろう。
 いや……そうではない。伝説の勇者が必要になるなど、誰も考えてはいなかったのだ。これまでにも居た筈である、勇者に違いないと言われた剣士が。凪自身も発病し失明する前は、そんな呼ばれ方をされたこともあった。
 それに今思えば、嫡男の結納であるなら使者を立てるであろう。それが、わずかな供を従えただけで、本人を東国に寄越したのだ。婚礼前に、当人同士を会わせてやろうという気遣いはあっても、いささか礼儀に適ってないように思える。そして、婚礼には凪も出席するようにと言っていた、あれは東国で行うということだったのかも知れない。
 先代の爾志家宗主は、戦うのが嫌だと言う乙矢にも、一矢と変わらぬ剣術を仕込んだ。それが意味することは……。

 山間やまあいを抜けるとすぐに津山の宿だ。そのまま直進すれば美作に戻る。夕刻までには辿り着けるかも知れないが、そこはあらゆる意味で危険な道であった。
 凪の言葉で、一行は津山の手前を北東に折れた。多少遠回りになるが、往路とは別の道を選んだのである。そのため、どれほど急いでも徒歩なら里まで丸一日は掛かるだろう。
 もちろん、一矢を警戒してのことだ。後をつけられて気付かぬほど、凪も弓月も鈍くはない。だが挟み撃ちに遭っては防ぎようがない。こちらはわずか三人と一人前には足りない弥太吉を連れている。

 遊馬一門の目標は「おとや」と言われる人物に会い、弓月の許婚である一矢と再会を果たすこと。そして、彼に神剣を抜いてもらうことが全てであった。
 目的は全て果たされたというのに、事態は一つも変わってはいない。いや、寧ろ敵が増えてしまった感もある。せめて乙矢が……。


「凪先生っ!」
 長瀬の声に、全員が意識を前方に集中させる。まだ山間を抜けたばかりだ。なのに、津山近郊に蚩尤軍兵士の気配を感じる。それは相当な数であった。どうやら、津山城下に蚩尤軍兵士を集結させたと見える。しかも、城よりかなり離れた山沿いに百を超える兵士など……。どちらにしても、本隊は千に届くだろう。
 弓月らは、青々と茂る草むらに身を潜め息を殺す。敵は彼女らに気付いた気配はなかった。
「姫……これでは、一歩も進めぬでござる」
 長瀬の声に焦りを感じる。蚩尤軍の中には騎兵の姿も見えた、その数ざっと四〜五十。とても、この面子で正面突破は不可能だ。
「なぜ、この道に追っ手が?」
「敵は一矢殿ではない、ということでござるか?」
 弓月の問いに長瀬が答える。だが、その答えすら質問に過ぎない。一矢には来た道を引き返すかのように、殊更印象付けたつもりであった。
 一矢が蚩尤軍と通じている。長刀は、神剣に違いない。――そんな自分たちの判断すら信じられなくなる。
 その時、比較的冷静な凪の声が、悩む二人の後方から響いた。
「いえ、我らがこの道を通る事を一矢どのに知らせた者がいるのです」
「それは無理でござる。道が分かれる寸前に決めた事を誰が……」
「そなたであろう? 弥太吉」
 凪の言葉を受け、少年の顔面は一瞬で蒼白になった。
「そ、それは……」


 湯治場の宿を出る直前だった。用足しに一人になった弥太吉に、一矢が近づいた。
「どうやら、弓月殿だけでなく、遊馬の者は皆、乙矢の術中に陥ってしまったようだ。私は弓月殿の身が心配なのだ」
 一矢の纏う禍々しい気配に、舞い降りようとした雀さえ空へと逃げる。
「……おいらも、そう思います。でも、一矢さまっ! 織田さんが亡くなったって本当ですか? それに、新蔵さんまで。やっぱりあの時、引き返してたら」
 弥太吉は、正三や新蔵のことを思い出しながら、彼らの名を口にした。何かが、胸の奥を揺さぶっている。その時、茅葺屋根に止まった数十羽の雀が、一斉に森の向こうへ飛び去った。先の一羽が上げた甲高い声は、およそ警報だったのだろう。それは、弥太吉の胸にも――『目を覚ませ!』と響く。だが……。
「弥太吉! 私の目を見るのだ。――おぬしは正気であろう? 歳若くとも、おぬしは立派な剣士だ。ゆくゆくは遊馬を背負って立つ最強の剣士となる。神剣の鬼を抑えるのは、我ら四天王家の役目。織田正三郎は、役目を果たしたに過ぎぬ。……そうであろう」
 がっしりと両肩に手を掛けられ、一矢の声が弥太吉の耳の奥に届いた。
 人として大事なことが、少年の胸から消えて行く。いや、確かにそこにあるのに、見えなくなって行くのだ。
「弥太吉、神剣を取り戻した暁には、必ずやおぬしの功に報いるだろう。私に力を貸すのだ。出来るな」
 流れるように耳触りの良い声であった。それは少しずつ、少しずつ……弥太吉の心を侵食して行く。
 
 そして――弥太吉は一矢に言われるまま、道標を残して来たのだった。


「弥太……凪先生の勘違いであろう?」
 弓月らは、敵の目に入らぬ位置まで後退を余儀なくされた。その上で、弓月は優しく問い掛ける。
 だが、長瀬は納まらぬようだ。
「弥太! 貴様、我ら一門を裏切ったのか? 凪先生も――それに気付きながら、何ゆえ」
「いえ、そうではありません。長瀬どのの言葉に、弥太吉の気配が変わりました。心当たりがある、ということでしょう。そうなのであろう?」
「おいらはただ……姫さまが心配だと……そう一矢さまが……勇者さまに言われたから」
「弥太! そこに直れっ!」
「止せ! 長瀬」
 刀の柄に手を掛ける長瀬を、弓月が引き止める。
「か、一矢さまは神剣を持っておられるのだから、勇者さまに違いないんだ! おいらは……四天王家の一員として、勇者さまの言う通りに……」
 少年の目は、里で別れた時の新蔵の瞳に酷似していた。
 凪には、目の色から弥太吉の心までは量れない。弓月は、自分が気付くべきだったと愕然とする。 

 その時、ザッと後方の茂みが動く。
 陽炎のように立ち昇るあからさまな殺意に、弓月らは一斉に振り返った。



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