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弟矢 ―四神剣伝説―

第五十七話 『青龍』の声

 短くて長い夜の闇が、東の空から薄れ始めた。
 雲の切れ間から覗く、白く霞んだ有明の月は、乙矢たちに、まだ終わりではない、と告げていた。

「俺も行く。奴の正体を見極めなきゃ気がすまない」
 わずかな休息を取り、背中の傷を手当てして貰い、新蔵は立ち上がった。乙矢に置いて行かれまいと、必死なのだ。
「もし、奴の術中に落ち、鬼の手先に成り果て、お前を襲ったのなら……俺はその責任を」
「取って腹でも切るのか?」
 言葉尻りを引き継いで乙矢は新蔵を茶化す。だが、その乙矢も決して万全ではなかった。左肩の傷が熱を持ち、両手で剣を振ることが可能かどうか……危ういほどである。
「お前……そんなふざけてる場合か! 俺は本気で言っとるんだ! 奴と刺し違えても始末をつける。織田さんを殺されたんだ、何が何でも奴を……」
「止せよ。正三は剣士として立派な最期だった」
「そんなことは判っとる!」
「心が闇に囚われると、神剣に宿る鬼を喜ばせるだけだぜ」

 そう言うと、乙矢は静かに目を瞑り俯いた。――何処か変わった。新蔵は乙矢を見て改めてそう思う。
 ここに到着して最初に与えられた部屋に正三を寝かせた。新蔵はこの部屋に入るのは初めてだ。あの時は、『神剣の主』である勇者の登場に心が浮き立っていた。同時に、勇者の血を過信して、神剣を抜いた正三への怒り、苛立ちが芽生え始めたことも理由であろう。
 今思えば、あれも全て一矢の策略だったのだ。奴が『鬼』であれ『朱雀の主』であれ、関係ない。奴が里人を殺し、奪った『青龍』で正三は死んだ。それだけで一矢を討つ理由は充分過ぎるくらいである。

「第一、その怪我じゃ戦えねぇだろ」
「出血は止まった。それに、ここに医者はいない。凪先生が戻るのを待つくらいなら、俺も行く。止めても無駄だ!」
 新蔵は乙矢の制止を振り切ると、正三に向かい一礼をして部屋を後にした。
 宿坊から渡り廊下を通り、本堂の廊下を抜けて新蔵は寺の外に出る。そして、あらためて里の中央に立った。
 残った数名の蚩尤軍……いや、幕府正規軍の兵士たちが同胞の遺体を回収していた。何名かは美作、備前の代官所に連絡に向かったという。未だ半信半疑なのか、里人は彼らの様子を遠巻きにするだけだ。
 無理もないだろう。蚩尤軍と名乗る連中に、家族を殺されたものがほとんどなのだ。
 我が遊馬の宗主を殺めた、あの仮面の男が諸悪の根源に違いない。奴は何者か……奴と一矢はどういう関係なのか。狩野や武藤がどこまで企みに加わっていたのか。そして、一矢は弓月をどうするつもりなのか。一番の問題はそこであった。
 ふと目をやると、一箇所に集められ、綺麗に並べられた遺体の一つに武藤のものがあった。新蔵が叩き落とした首も胴の横に添えてある。新蔵は怪訝な顔で兵士を呼び止め、尋ねた。

「私たちは、そのまま野犬にでも喰わしてやりたいくらいなんですが……。乙矢様が――あの男も一命を持って罪は償った。亡骸まで冒涜する必要はない――そう仰って」

 新蔵は何も言葉にすることが出来ないのだった。



「ったく……あいつは本当に猪の生まれ変わりらしいな」
 新蔵が部屋を飛び出した後、溜息を一つ吐くと乙矢は正三に向き直った。
「ちょっと待っててくれよな。すぐに弓月殿を連れて戻ってくる。誰もそっちにはやらねぇから……俺も、まだしばらくは逝けそうもないし、な」
「……おとやぁ……」
 おきみの顔を見ていると、彼女の心の声が乙矢の胸に流れ込んで来る。まるで、あの時の正三のように。
「ああ、俺は死なねぇよ。約束する。……なあ、おきみ、俺が戻るまで、正三のこと頼むな」
 乙矢は優しく微笑むとおきみの頭を撫でた。
 大きく肯き、笑顔を見せるおきみであった。

 
 里の入り口付近に見張り台として設置された櫓がある。蚩尤軍が乗り込んだ時、使っていたものだ。その櫓の土台にもたれ掛かるように、新蔵は立っていた。
 乙矢は苦笑しつつも、『青龍一の剣』を右手に持ち替え、腰に差しながら新蔵に近づいた。

「美作辺りはとうに過ぎてる。ここから西に十里あまりか……南国に向かったな」
「な、なんで、そんなことが判るんだ?」
 新蔵の問いに乙矢はスッと左手を動かし、
「コイツが言ってる。弓月殿がそこにいる、って」
 なぜ『青龍』に弓月の居場所が判るのか……新蔵の目は無言で問い掛けるが、乙矢にも仕組みは良く判らない。だが、『青龍』は弓月の元に戻りたがっている。乙矢の心を反映しているのか、それとも……。

「正三が言ってた、一矢が『朱雀』を持ってるという言葉。あいつが南国を目指してるなら、宗次朗さんと一矢の間に何かあんのかな?」
 乙矢はポツリと呟いた。だが、それより、新蔵には気になることがあるらしい。
「お前が持つから『青龍』はそう言うのか? お前は『青龍の主』なのか?」
「……さあ」
「貴様っ!」
「待て待て怒るな。理屈で説明しろって言われても判らんねぇよ。ただ、お前が持ってた時はそうじゃなかったのなら、そうなのかもな」
 新蔵はまるで判らないらしく、口を開いたままだ。
「何のことだ? 俺は神剣を持ったことなど一度もないぞ」
 やはり、まるで気付いてなかったらしい。乙矢は少し躊躇したが、ここで新蔵に話すことにした。

「佐用の手前でお前が俺を斬ろうとしただろ? あの時、谷に落ちた剣……一矢から預かったと言ったあの剣は、『青龍二の剣』だ」
「なっ! そんな馬鹿な……そんな」
「お前の口調とか様子が、神剣を抜いた時の正三に似てたから……こうなった今は間違いねぇだろうな」
「だったらなぜ言わん!」
 血相を変えて新蔵は乙矢に掴み掛かる。
「言ったら、お前が迷うだろ? 弓月殿の許に駆けつけるか。神剣を探すか」
「当たり前だ……そんな」
「俺だったら迷わない。あの時はまだ、確信はなかったし――だから、言わなかった。すまん」
 
 新蔵は少し間を空け、乙矢に尋ねた。
「お前はまだ、一矢のことを死なせたくない、と思ってるのか?」
「……ああ」
「織田さんが死んだのは奴のせいだぞ! それでもか?」
 泣き叫ぶような新蔵の声に、乙矢は胸が詰まった。 

「死なせたくないさ。たった一人の兄だ。奴が、弓月殿を本気で愛して守ってくれるなら……大勢の人を守るためだけに神剣を手に戦ってくれるなら……二番矢は必要ないだろ?」
「乙矢……」
「一矢の悪意の矛先が俺だけに向いてるなら……俺が死ねば済むと思っていた。でも、違ったんだな。もし……奴の心に鬼が巣食い、勇者の仮面で鬼の剣を操っているのなら」
 一瞬、その瞳が煌いた。しかし、乙矢は軽く目を瞑るとすぐに開き、強い意志を持って言葉を紡いだ。

「その時は――俺が斬る。万に一つも、弓月殿を傷つけた時は、この手で殺す」

 その声は紛れもなく本気であった。
「だ、大丈夫なのか? そんな気持ちで神剣を抜いても……まさかお前まで」
 新蔵は、ふいに心配そうに尋ねる。斬れないと言うと怒るくせに、斬ると言ったら途端に不安そうになる新蔵を見て、乙矢は苦笑いだ。

「俺は鬼にはならないんだと」
「何で?」
「正三が言ったんだ。俺の胸に弓月殿が居る限り、鬼にはならない、って」
 
 新蔵はグッと唇を噛み締め――同時に瞳が潤んだ。
「織田さんは……お前が勇者だと、そう信じていた。誰も斬りたくないっていうお前だから、『青龍』は選んだのだろうって。俺も、信じていいんだな」
 縋るような視線をスッとかわし、
「いや、だから、さ『一の剣』だけじゃ何とも言えねぇよ。二本揃えて抜くしかねぇか。いや、もっと早いのは『白虎』を取り戻して抜くことだろうな」
「抜くのか?」
 『白虎』四神剣、最強の力を秘める両刃の剣。そして、一番危険な神剣と言われる。それを抜くと言うことは……。
「当たり前だろ。この状況だぜ。けつを捲ったって何処にも逃げられねぇだろ。第一、俺は正三の命を貰ったんだ……無様な生き方も、死に方も出来ねぇよ」

 乙矢の言葉を聞いた瞬間、スッと新蔵は背中を向けた。そして小さな声で「すまん」と一言。――その声も、肩も微かに震えていた。

「いや、出会ってひと月の俺でもコレだ。年季が違うだろ」
「もう一度、一緒に酒を飲みたかった」
 それは、喉の奥から搾り出すような声だった。
「飲もうぜ。全部終わったら……俺は何にも知らねぇんだ。教えてくれよ、正三のこと」

「……ああ」
 しばらく無言が続き……やがて、振り切るように肯く新蔵であった。


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