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弟矢 ―四神剣伝説―

第五十六話 勇者の資格

「狩野さま……その腕を」
 逃げる途中で狩野の腕を拾ってきた兵士が、それを差し出した。

「そのようなものを、この私に見せるな! 犬にでも喰わせてしまえっ!」
 いつもであれば気に入らぬ兵士など、すぐさま一刀両断にする狩野だが……今はそれすら儘ならない。悔しさのあまり噛み締めた唇は真っ赤な血を吹き出し、口元をより真紅に染め上げた。
「よくぞやってくれたな、爾志乙矢め! 必ずや奴の両腕、もぎ取って見せるぞ! 覚えておれっ!」
 狩野らしからぬ――負け犬の遠吠えに、部下たちは一人、また一人と離れて行くのであった。


〜*〜*〜*〜*〜


「おい、乙矢! お前、またあのまま逃がす気か? どうして止めを差さな、い……」
 また弱気が顔を出したか、と、新蔵は乙矢に近づいたが……そのまま息を呑んだ。
 乙矢を取り巻く周囲の温度が違った。暑い、ではなく、熱い。蒼い炎が乙矢を取り囲み、全身を包み込んでいる。それは、今にも燃え盛るような殺気を孕んでいた。とてもこれ以上は踏み込めない。『青龍一の剣』は今にも鬼に姿を変え、新蔵に襲い掛かりそうだ。
 乙矢は正面を凝視し、何事か呟いている。
「お、とや?」
「うるさい……うるさい、うるさいっ! 俺は、貴様の思う通りにはならん!」

 そう叫んだ瞬間――ぶんっ! と『青龍一の剣』を一閃し、血糊を払い落とした。まるで、炎に水を掛けたかのようだ。見る見るうちに乙矢の気は静まり『青龍一の剣』も普通の剣と寸分違わぬ様相を呈する。
 だが、『鬼』の気配がまるでない神剣を目の当たりにしたのは初めてだ。新蔵はどうにも気分が落ち着かない。
「大丈夫か――乙矢? お前、乙矢だよ、な?」
「あ……ああ。大丈夫だ。――誰か殺してやりたいと思ったら、すぐに鬼が出てくる。猶予もなきゃ躊躇もさせない。殺れって命じるんだ。厄介な剣だぜ、ホント……手に負えねえじゃじゃ馬みたいだ」
「良かった。今のお前に斬りかかられたら……俺じゃ敵わんからな」
「えらく気弱に……おい! しっかりしろっ!」
 狩野から受けた背中の傷が、予想以上に深かったらしい。新蔵の顔から血の気が失せ、真っ青だった。そして、乙矢の無事を知った途端、膝をついてしまったのだ。
 無理もなかろう。ここ数日、ろくに眠りもせず、食事も取っていない。おまけに……。

「なあ……織田さんの傍に行きたい。肩、貸してくれるか?」
 新蔵は小さな声でボソッと呟く。
「……ああ」
 乙矢も短く答えただけだった。


〜*〜*〜*〜*〜


「しょうざぁ……しょうざぁ……」
 里に入ると正三の名を呼ぶおきみの姿が目に入った。叫ぶでもなく、ただ、静かに正三の手を擦りながら、優しく声を掛けている。
「……おきみ。もう、正三は起きないよ」
「おとやぁ」
 見上げたおきみの瞳は、そんなことは判ってる、と言っていた。
 悲しいことに、おきみは人の死に慣れているのだ。大事な人は自分を残して皆死んでいく。
 彼女の頬に涙の跡があり、それは、既に乾いていた。自分の半分も行かぬ少女を、流す涙が尽きるほど悲しませたことに、乙矢は奥歯を噛み締めた。


「よくも……同胞を手に掛けてくれたな! この蚩尤軍の犬め!」
 隠れていた里人は、蚩尤軍が立ち去ったことを知り、戻って来たのだ。そして彼らは、乙矢の顔を見るなり、武器を手に取った。
 彼らは、一矢が神剣と結界を使い、里にいるほとんどの人間に術を掛けていたことなど知るはずもない。正三も里人らに、そこまで説明する時間がなく、真実を知るおきみにはその手段がなかった。

「和鳴さまは良い宗主さまだった。それなのに……お前は爾志家の恥だ!」
「勇者に選ばれた一矢さままで殺す気か? わしらがお前を殺してやる!」
 彼らは、この里だけでなく、高円の里が襲われたのも乙矢のせいだと思っている。蚩尤軍の手先となり、乙矢が隠れ里の場所を教えた。その上、里人を殺し神剣までも奪った、と。

「違う! 違うんだ。皆、誤解なんだ。乙矢は何もやっちゃいない。乙矢じゃないんだ。あれは……」
 悲しみに沈む時間すらない。新蔵はすぐさま立ち上がり、里人らに説明しようとするが、元々口の回るほうではない。

「だったらその剣はなんだ!」
 一人の里人が乙矢の腰を指差した。そこには鞘に納まった『青龍一の剣』が下がっていた。
「それは、盗まれた『青龍一の剣』じゃ!」
「やっぱり、お前、蚩尤軍と通じとったな! その神剣が何よりの証拠だ!」
 禍々しい気配は消えたはずだが、里人の心に根付いた不信感はそう簡単には消え去らない。
 
「違うと言っとるだろうがっ! この剣は、乙矢が取り戻してくれたんだ! そのために、織田さんは……」
 二人の後方に寝かされた正三が、すでに事切れているのに気付くと、一人が叫んだ。
「お前が殺したんだな!」
 それは、里の連中を殺気立たせるのに充分な一言だった。
 
 だが、彼らはそれがいかに危険なことか気づいていない。里人の殺気は眠りにつこうとした『鬼』を揺り起こし……同時に、乙矢の心もざわめかせた。そして、『鬼』はその間隙を突いて乗っ取ろうとする。

 ――殺さねば殺される。勇者よ、目の前にいる敵を殺せ。

 伝説のどこかで耳にした言葉が頭を掠めた。『勇者は常にその資格を試される』と。

 ――青龍の勇者よ。我が主よ。さあ、目覚めるのだ。最強の剣士にお前をしてやろう。

(なら、試されてやろうじゃねえか……)
 乙矢は腹を括った。そして青龍の呼びかけに応えたのだ。
 そこまで、里人の問い掛けには一切答えず、正三の脇に跪いたままの乙矢だったが……無言で立ち上がる。そして、腰に下げた『青龍一の剣』の鞘を左手で掴み、右手は柄を握った。

 周囲は一瞬にしてどよめき、皆、後ずさりを始める。そんな彼らを見据えると、乙矢は軽く息を吐き、ザッと剣を抜き放った。
「お、おい、乙矢!?」
 新蔵にも乙矢の考えは判らない。
 里人らは、抜かれた神剣に高円の里での一件を思い出した。それは、彼らの殺気をあっという間に恐怖へと変換する。息を呑む周囲に向かって、乙矢は初めて口を開いた。

「一矢が言った通り『白虎』を持ち出し、奴らに渡したのは俺だ。両親や一門の連中を殺したも同然と言うなら、どんな罰も受ける。だが、今は駄目だ。この通り『青龍一の剣』は俺の手の中にある。俺は、ここで死ぬわけにはいかない。だが一つだけ――俺は、この手で同胞を殺めた事は一度もない」

 周囲は、水を打った様に静まり返っている。
「だ、だけど……おきみが見たって……なぁ」
 里人らは一様に顔を見て肯き合う。
 そこに、おきみが叫んだ。
「おとやじゃない! おとやじゃない! おとやじゃない!」
 上手く言葉に出来ないことが腹立たしい――握りこぶしを振り回し、おきみは、自分の太腿を叩きながら何度も叫ぶ。
「おきみが指差したのは乙矢じゃない……あれは一矢だったのだ!」
 おきみの気持ちを代弁するように新蔵が話すが、里人が俄かに信じるわけもなく。

「馬鹿を言うな! 一矢さまは伝説の勇者さまだぞ!」
「そうだ、高円の里でも我らを救って下さった」
「勇者さまが何でわしらを殺すんじゃ!」

 新蔵は迷った。正三の話していたことをこの場で言うべきか……。だが、あくまで仮定の話で、何も証拠がない。
 その時、乙矢が不意に神剣を鞘に収めた。抜いた時同様に、皆、ビクッとする。

「正三を……眠らせてやりたいんだ」
 そう言うと、再び正三の横に屈み込んだ。そして、次の瞬間、乙矢は自分より四寸程も大柄な正三を、軽々と抱え上げたのだ。そのまま、寺の本堂に向かって歩き出す。
 だが、そんな乙矢の背に、
「お、お前が殺したんだろう!」
「いや、ひょっとしたら、遊馬の剣士どのがまた鬼になって……」

「織田さんは鬼になどなっとらん! 自ら神剣を放したんだ! 兄弟子を愚弄する奴は前へ出ろっ!」
 無神経な里人の言葉に、新蔵は一瞬で切れた。そのまま、血気走って刀の柄に手を掛ける。
「止せっ、新蔵! 皆、聞いてくれ。『青龍一の剣』を取り戻したのは俺じゃない。正三だ」
「乙矢……」
「四天王家の一角を担う、遊馬の剣士殿の最期だ。ゆっくり眠らせてやるのが礼儀じゃねぇのか? ――頼む」
 
 そう言って頭を下げる乙矢に、里人らは道を作った。
 それは、彼らの中の真実が逆転しつつある、証となるのであった。


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