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弟矢 ―四神剣伝説―

第五十五話 里の攻防・決着

 天空の星々は姿を隠し、わずかな光すら地上に射し込むことはなかった。二十六夜の月も、厚い雲に覆われて、今はその細い姿を、垣間見ることも出来ない。
 里の入り口で様子を窺うのは、到着したばかりの援軍であった。生き残ったわずかな兵士から事情を聞き、数人が狩野のもとに取って返す。

 正三は、乙矢が勇者だと信じて自らを盾にした。いくら新蔵が単細胞でも、最早、正三に助かる望みがないことくらい判っている。
 五つ年上で入門した時から一度も勝てない兄弟子だった。
 稽古場に近い、離れで共に寝起きした。親に捨てられた新蔵にとって、唯ひとり“兄”とも呼べる人物だ。剣術だけでなく、喧嘩の仕方から、稽古のさぼり方まで彼に教わった。東国に戻れば、女の抱き方も教えてやる、と言われたが……その約束が果たされることはないだろう。
 幼い頃「しょうざ」と呼び捨てにし、身分が違うと他の兄弟子に殴られた。後に、名を呼んでも構わぬと正三に言われたが、結局、二度と呼び捨てにすることは出来なかった。
 ――そんな、どうでもいいことまで次々と思い出され……。
 決して泣くまいと噛み締めた唇が切れ、赤い涙となって流れ落ちる。古い記憶に、胸は雁字搦がんじがらめに縛られ、咽が詰まりそうなほど息苦しい。

 その正三が乙矢を信じるなら、理屈は要らぬ。狙うは敵将のみ。それは、正三に教わった戦術だ。乙矢を弓月の許に送り届けるためなら、討ち死には覚悟の上である。
 武藤配下の蚩尤軍兵士らとは心を通わせ合ったが、その連中は『鬼』によってほとんどが殺された。援軍の兵士にとって、新蔵らはただの謀反人に過ぎない。無論、語り合えば理解して貰える可能性はある。だが、互いに刀を持ち、睨み合った状況で、それはただの世迷言よまいごと、絵空事だろう。
 不意に現れた新蔵に、当然の如く敵兵は斬りかかる。
 一体、何人と刀を合わせ、何人を斬ったのだろう……その時だ。
「ほう。武藤の鬼に同門の剣士を殺され、血迷うたか?」
 新蔵の前に立ち塞がったのは、狩野天上であった。
 
 見たことがあると思った。そうだ、高円の里で、新蔵らが身を伏せる反対側から姿を見せた男――この男が敵将に違いない、と新蔵は確信する。
「……貴様が、援軍の将に相違ないな」
「いかにも。狩野天上と申す。御見知り置き下され」
 完全に新蔵を小馬鹿にした態度だ。だが、狩野の名にも聞き覚えがあった。爾志家の領地に向かう手前、佐用の山中で乙矢に追いついた時、敵兵が口にしていた名前が「狩野」であった。
「血迷いついでに貴様の首を貰おう。鬼と化した武藤と仲良く並べてやる。――覚悟しろっ!」

 口上と共に踏み込み、一撃必殺を狙った。
 だが、新蔵が渾身の力を籠めた初太刀はいとも簡単にかわされ――ハッとした時、白刃はくじんが目の前に迫っていた。
 この勝負に二の太刀はない。身を翻し、避けようとした新蔵の足元がもつれる。倒れ込むことは踏み止まったが――新蔵の背に焼け付くような痛みが襲った。このまま膝を突けば串刺しは確実だ。
(ここまでか……)
 乙矢は少しでも遠くへ逃げただろうか? せめて奴が本物の勇者で、弓月を守ってくれることを願うばかりだ……
 新蔵は様々な思いを巡らすが、いつまで待っても、その胸に狩野の刃は突き立てられず、首と胴は繋がったままだ。堪えきれず新蔵は膝を折り、敵将を見上げた。
 その狩野の瞳は新蔵など映してはいなかった。新蔵の頭越しに一点を凝視し、あり得ないものでも見たかの如く瞳孔は開いている。
 
 そして、振り返った新蔵の目に、剣を揮う乙矢の姿が映った。
「な、なんで逃げないんだ! 馬鹿野郎が、なんのために……」
 そこまで悪態を吐いて、彼も我が目を疑った。乙矢の手に握られていたのは――『青龍一の剣』であった。

 
 それは、神殿に祀られた、新蔵が長年目にしてきた神剣の姿ではない。
 もちろん、鬼の手に納まり、刃に血を纏い、更に血を欲する鬼の剣とも違う……。

 
 漆黒に浮かぶ一筋の閃光。
 深淵たる無明の闇を切り裂き、青は本来の青を取り戻し、丙夜へいやの森を席巻しつつあった。


〜*〜*〜*〜*〜


 ――斬れ。敵を殺せ。最強の力を与えよう。お前は勇者だ。

「黙れ青龍! 最強なんぞ要らん――引っ込んでろ!」

 乙矢の心に『青龍の鬼』が語りかける。だが、それはどんどん小さくなり、やがて聞こえなくなった。
 ただ――無心――だ。
 心の中が、蒼海とも蒼空とも言える、一点の曇りもない清みきった青で満たされていた。それは、手にした『青龍一の剣』から身体の隅々まで流れ込む。乙矢の中から、怒りも悲しみも、そして迷いも押し流した。
 
 鬼の恐怖に駆られ、数人の蚩尤軍兵士が斬りかかる。乙矢は彼らの刀を持つ腕だけを一刀両断にしていった。
「片腕がなくとも生きていける。腕を失いたくなければ掛かってくるな! 残った腕で、更に人を殺そうとするなら――次は首を斬る!」

 乙矢の言葉に彼らは震え上がった。
 その時、里から転げるように出てきた人影が、同胞に向かって決死の声を上げる。あの少年兵だ。兄は武藤に殺されたが、弟は生き残った。
「この人たちは敵じゃない! 幕府をたばかり、俺たちをいくさに巻き込んだのは……こいつらだっ!」
 少年の指は明らかに狩野を示していた。
 一気に、蚩尤軍兵士らの間に動揺が走る。狩野に仕える兵士など極少数。もともとが烏合の衆だ。しかも、目の前に神剣を手にした勇者がいる。
 当初、あやかしの剣というだけでも衝撃だった。だが、四神剣の伝説など架空のお話に過ぎぬ。信じるのはわらわくらいだ……そう思っていた彼らにとって、青く輝いた神剣を目にするのは驚天動地の出来事だ。

「狩野様……ここはひとまず備前まで兵を引き、あのお方のご命令を仰いだほ、う、が」
 そう進言した部下の首は既に地面の上であった。狩野の白刃から鮮血が滴り落ちる。
「私に、武藤と同じ死に様を晒せというのか、愚か者め」
 刀を手に狩野は乙矢の前に立った。最早、新蔵のことなど歯牙にも掛けてはいない。否――いられない。
「まさか……勇者など、伝説はただの作りごとだ。神剣など、妖刀に過ぎん。鬼を宿す闇の剣だ!」

 厚く、天を覆った雲が静かに流れ、そこには今にも消えそうな儚い月が顔を見せた。永遠の闇はない。例えわずかでも、その目を閉じぬ限り一条の希望が必ずそこにある。――月は斬れぬのだ。
 
 余裕綽々と見下ろしていた狩野にあからさまな動揺が走る。それに気付き、乙矢は静かに笑って答えた。
「ああ、だろうな。こいつは鬼を宿している。さっきから、敵を殺せ、もっと血を吸わせろと、うるさくて敵わん」
「なっ……貴様」
 乙矢はキッと表情を引き締め、狩野の両眼を見据えた。神剣は右足先下段に構え、左手はそっと柄に添わせる。
「掛かってくるなら……その腕、貰い受ける」
 

 新蔵は、乙矢のあまりの変わり様に、逃げるのも忘れ地面に座り込んだままだ。
 つい先日と立場がまるで逆転している。狩野の紅を引いたような唇はわなわなと震え、見る見るうちに白面はくめんを憤怒の色に染め上げた。
「調子に乗るなっ!」
「警告はしたぜ」
「死ねぃ!」
 乙矢の言葉を無視し、狩野は、闇に走る稲妻の如く斬りかかった。その素早い太刀筋は、とても肉眼では捉えきれない。
 刹那――新蔵は乙矢が狩野の白刃に一刀両断されたかのような幻を見る。
「乙矢っ!」
 
 その時、新蔵の眼前に腕が転がった。
 一刀両断にされていたのは、狩野の右腕であった。見事、肘から下は地面に落ち、まだ神経が通っているかのように刀を握り締めたまま蠢いている。
 カチャ――
 乙矢は再び峰を返し、『青龍一の剣』を構えなおす。その姿は神々しくすらあった。

「次は首だ。貴様が死ねば、兵は引く」
 ふっ……と狩野は笑うと、
「はははははっ。――お前、人が殺せぬのではないか? 先刻より腕しか落としておらぬだろう!」
「いいぜ。――来いよ」
 はは……狩野の笑い声がピタリと止んだ。それほど、乙矢の殺気は恐ろしいものだったのだ。『鬼』を感じさせる気に、近くにいた蚩尤軍の兵士は腰が抜けたように座り込む。恐ろしさのあまり、失禁するものまでいた。

「どうした? 神剣は、持つ者を勇者にも鬼にも変える。選ぶのはお前だ」
 狩野は右腕を押さえながら……とうとう乙矢から視線を外した。
「引け……ものども、引けぃ」
 そう言うと、自らが真っ先に背を向け、一目散に逃げ出したのであった。


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