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弟矢 ―四神剣伝説―

第五十四話 里の攻防・決戦(三)

 見開いた乙矢の瞳に、胸の真ん中で神剣を受け止める正三の姿が映った。
 
 正三は、神剣を引き抜こうとする武藤の腕を全身全霊で押さえ込む。
「新蔵! 止めだっ!」

「うぉぉおおおおおっ!」
 さっき、新蔵を救うために乙矢が放った刀を掴み、新蔵は躊躇うことなく武藤の首を斬り落した。
 首を失って尚、武藤の手は神剣を放さない。その体を、正三は渾身の力で蹴り飛ばした。武藤の巨体は、ゆっくりと、地面に吸い寄せられるように仰向けに倒れ込む。衝撃に地面が揺れ……同時に、正三の体も傾いた。


〜*〜*〜*〜*〜


「織田さん……織田さん……」
 新蔵は刀を手に、棒立ちのまま呟いている。
 神剣を胸に刺したまま、膝をついた正三を、乙矢は気がつくと抱きとめていた。

「なんで……俺なんかのために……なんでだよっ!」
 見る見るうちに、乙矢の双眸は曇り、溢れ出した涙が頬を伝う。

「なぜ、だと? 借りを……返した、だけ」
 ゴボッと、正三の口から血の塊が流れ落ちた。それを見た新蔵は慌てて駆け寄り、
「織田さん。すぐに凪先生を……コイツを抜いて」
「抜くなっ!」
 神剣の柄に手を掛けようとした新蔵を乙矢が制した。
「抜いたら血が噴き出して、すぐに死んじまうぞ!」
「じゃ、じゃあ、どうするんだ? 織田さんをこのままにしておけるかっ!」
「それは……それに、神剣を掴んで鬼になったらどうすんだよ!?」
 
 新蔵はハッとする。彼の中には勇者の血は流れていない。鬼になることは目に見えている。だが、乙矢なら……。
 正三は『二の剣』は乙矢を選んだ、と言っていた。その場合、『一の剣』も同じであろうか? 万に一つも違った時は、どうすればいいのだ?
 二人とも当惑と混迷の只中にあり、まるで呼吸すら忘れたように微動だにしない。――いや、出来ない。
 この一角だけ、夏の暑さは消え去り、周囲はまるで氷点下だ。乙矢は、吸い込む空気が肺の臓を凍らせていく錯覚に、全身が震えた。
 
 凍てついた空気を叩き壊し、乙矢らの目を覚まさせてくれたのは、おきみであった。

「おとやぁ! おとやぁ!」
 正気に戻った里人たちに、『鬼』を倒すまで、再び身を潜めるよう説き伏せたのは正三だ。おきみは彼らと共に隠れたはずだった。
「おとやっ!」
 走りながら、おきみは向かって左側を指差した。そこには、里を守るように柵が立てられている。それに沿って、木立がぐるりと取り囲んでいた。思えば、結界を張るには最適な構図だ。一矢がここに皆を連れ込んだ理由がよく判る。
 だが、今の問題はそんなことではなかった。
 木立の向こうに無数の松明(たいまつ)の灯りが見える。それは、百は超えようかという手勢を従えた、蚩尤軍の援軍であった。


〜*〜*〜*〜*〜


 里の中から兵士たちの様子までは計り知れない。だが、その先頭にいたのは、狩野天上である。一矢の命令で、結果的に、武藤の後塵を拝することになったのだ。

「狩野様! 里跡の出入り口は封鎖致しました! 次のご命令を」
「鬼と神剣、そして、あの武藤がどうなったか……十人ほどに先陣を切らせよ。我らが出るのは、その後だ」
 外部から見て、蚩尤軍が里跡と呼ぶ場所は、静まり返っていた。
 あの方……いや、一矢が何を考えているのか、今ひとつ判らない。乙矢を自分の手で、と言いつつ、何ゆえ、こんな回りくどい手段を使うのか。何度も危機に陥れ、神剣でけしかけ、まるで乙矢に『神剣を抜け』と言わんばかりだ。

 乱世でなければ出番のない狩野のような男にとって、一矢の謀反は渡りに舟であった。だが、所詮は鬼。一矢の下で動くが、一矢のために動いているわけではない。当然、一矢のために死ぬことなど論外だ。
 だが、事態はすでに、狩野の予想が及ばぬ方向に進みつつあった。 

「武藤様が……自ら『青龍一の剣』を抜き、鬼となられたよしにございます!」
「愚かな。では、今、里の中で暴れているのか?」
「いえ……遊馬の剣士と刺し違えて、絶命されたとのこと」
 その言葉に狩野の眉が動く。
「刺し違えた剣士の名は?」
「織田……正三郎」


〜*〜*〜*〜*〜


「一体、何がどうなっているのだ! 俺は、どうすればいいんだ!?」
 ようやく弓月に追いつける、そう思った途端、急転直下に状況が変わってしまった。根が単純なだけに、新蔵の頭は爆発寸前だ。だが、問題は乙矢のほうであった。彼の心に芽生えかけた勇者の自覚が、血塗れの正三を目にして、完全に折れてしまったのだ。

「俺のせいだ……俺の」
「乙矢?」
「俺が、奴を殺さなかったから。俺の甘さのせいだ。やっぱり俺は何にも出来ない。俺には誰ひとり助けられない。俺は……」
 すぐに心が萎え、弱さが顔を出す。挙げ句、そんな自分を見ることで、更に惨めになり……後は、止め処ない負の連鎖が、乙矢の手足に再びかせをはめた。
「なんで助けたんだよ。俺が斬られたほうがよかったのに……」

 正三に縋り、泣きじゃくる乙矢の姿に、新蔵は落ち着きを取り戻していた。彼には、論理的に考える頭はない。だが、やらねばならないことは体が知っている。
 新蔵は拳を握り締め……その瞬間、正三と目が合った。正三は新蔵の考えが判ったのか、荒い息でフッと微笑む。その笑顔は長い年月を一瞬で駆け抜け、新蔵の胸に焼け付く痛みを残した。こみ上げる熱いものをグッと飲み込み、奥歯を噛み締める。新蔵は微かに肯くと、そのまま一気に乙矢の頬を殴りつけたのだった。

「泣くなっ! お前が泣くんじゃない。俺には、神剣を手にする資格はない。――後は、お前に任せる。頼んだぞ」
「な、なにを言ってるんだ? 何をする気だ……よせっ! 新蔵、頼むから止めてくれっ!」
 悲鳴を上げる乙矢に背を向け、落ち着いた声で新蔵は言った。
「弓月様を守ってくれ。ここは俺が引き受ける。乙矢――絶対に死ぬな!」
 新蔵は足元に転がる刀を拾った。そして、敵陣に突っ込んで行くのだった。

 
(弓月殿を守れだと? 俺には生きろって……どうして父上や母上と同じ事を言うんだ?)

 茫然自失の乙矢の耳に、今にも消えそうな声が届く。
「ぉと、や」
「正三……しっかりしてくれ。俺はどうしたら」
「し、んぞうを……死なせたく、ない」
「判ってる、そんなことは……でも、どうしたら」

 正三は掠れる声で、だが、きっぱりと言い切った。
「この、胸から……神剣を、抜き……た、たかえ」
「無理だ。抜いたらすぐにお前が死んじまう。それに、俺が鬼になったら誰が止めてくれるんだ?」
「だい……じょ、ぶ。お前は、鬼に、は……なら、ない」
「なんでそんな」
 正三は指を動かすと乙矢の胸を差した。
「そこ、に姫さまが……いる、かぎり、決して、鬼にはなら、な……い。おとや……皆を、守って……くれ。どうか、おまえの、勇気と正……義をしん、じている」
「しょう、ざ。そんな、俺に、そんなこと」
 まだ弱腰な乙矢に見せ付けるように、正三はガッと『青龍一の剣』の柄に手を掛けた。そして、自ら引き抜こうとする。
「止せっ!」
「戦え、乙矢! 私の命をお前にやる。さあ――抜けっ!」

 正三の声に力がみなぎった。それは、消え逝く蝋燭が最期に放つ、あらがい難い、命の熱さで満たされていた――その熱い想いは、ついに乙矢の心に、消せない炎を灯したのだ。

 乙矢は目を閉じ、ゆっくり息を吐く。そして、正三の胸に突き刺さる『青龍一の剣』の柄を握り締める。
「正三……お前の命に誓う。弓月殿を守り、四神剣を取り戻し、この国を安泰に導く事を。守る為に、『青龍一の剣』を申し受ける! 赦せ、正三!」

 正三の胸から引き抜かれた神剣は、血に染まりながらも、清んだ青さを湛えていた。

 
 わずかに、命を引き止めていたものがなくなり……彼の胸から、残り少ない生きる証が溢れ出る。乙矢は、神剣を引き抜くと同時に、決して振り向かず、新蔵の後を追った。
 
 それでいい――正三の胸に後悔の文字はなかった。両の瞼は重く、再び開く力は残っていない。どうやら、勇者の戦いを見ることは叶わぬようだ。だが、伝説の勇者を守るために死ぬことは、一門に生まれた剣士の栄誉であろう。
 願わくば、今一度、最愛の姫の姿を瞳に映したかったが……。
 
 あからさまな愛情を示す事は一度もなく、遊馬家師範代、織田正三郎は吉備の山中で二十七年の生涯を終えたのだった。


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