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弟矢 ―四神剣伝説―

第五十一話 斬れぬ月

「そうか……生きているのだな、乙矢は」
「精鋭部隊は全滅。『青龍二の剣』は谷底へ。爾志乙矢と桐原新蔵は例の里に駆け戻りました。……閣下、これは作戦失敗でございますかな?」
 
 美作の関から北西に向かった辺り、吉備の山中で交わす、爾志一矢と狩野天上の会話であった。
 昏黒こんこくの隙間を縫うように、二人の姿が見え隠れする。更なる深遠を纏う一矢に、周囲の重苦しい空気は密度を増した。

 一矢を見下ろしつつ、嘲笑を浮かべ、得意気に口角を吊り上げた。だが、
「失敗? 何がだ」
 冷徹な一矢の声に、狩野の頬に緊張が走った。一瞬で口を真一文字に結ぶ。
「そう簡単に死なれては困る。奴は私の目の前で、そして、この手で殺さねばならぬのでな」
「では、何ゆえ遊馬の若造に追わせました? しかも『青龍二の剣』を持たせるなど」
 ……愚かな、と言いそうになり、慌てて止める。
 
 新蔵が一矢から持たされた脇差、あれは、こしらえを入れ替えた『青龍二の剣』であった。鞘を替えることは出来ないが、柄巻つかまきの組糸を巻きなおすだけでも印象はガラッと変わる。乙矢憎し、の思いに眩んだ新蔵の目など、誤魔化すのは造作もないことであった。

「ああでもせねば、乙矢は神剣を抜かぬであろう? だが、戻って来たか……」
 背中に感じたあからさまな気配に、一矢は口を閉じる。そして、ほんのわずか指先を動かした。――狩野は無言で肯くと、闇に身を沈めるのであった。

 
〜*〜*〜*〜*〜


 多くは聞き取れなかった。でも、乙矢が神剣を抜いた? そんな言葉に弥太吉の心の臓は跳ね上がった。
 
 美作の関所で何があったのか、弥太吉はほとんど聞いていない。近くの森に身を潜め、待つように言われたからだ。戻ってきた全員の様子が、関所に向かった時とはまるで違っていた。一矢と弓月はそれぞれに苛立っており、長瀬の表情は困惑を極めていた。そして、凪、である。孤高という名の檻に鍵を掛け、閉じ籠もってしまったかのようだ。
 どうすればいいのか戸惑う弥太吉に、一矢は言った。
「乙矢が皆をおかしくしてしまった」
 そうだ、と弥太吉も思う。乙矢の言動に皆が惑わされ、この一年、離れたことのなかった遊馬一門がバラバラになってしまった。
「私は弓月殿をお守りし、神剣を手に四天王家の復興を願っているだけだ。それが、勇者の務めだと思っている。だが……弓月殿は乙矢に心を奪われ、鬼と化した正三もまた然り。挙げ句、私の何処が気に入られぬのか、凪殿は盲目の身で宗主となられる始末。のう、弥太吉、おぬしは神剣の主たる私を認めてくれるであろう?」
「はいっ! もちろんです。おいらは一矢さまを信じます!」

 そう宣言した。だからこそ、一矢の動向が気になり、姿を見失った方角に探しに来たのだった。
 だが、あれは蚩尤軍しゆうぐん兵士に間違いない。高円の里で見かけた気がする。今見たことが何を意味するのか……。
 駆ける弥太吉の前に、ザッと黒い影が立ち塞がった。
「どうしたのだ、弥太吉? お前は私を信じるのではなかったのか?」
 一歩……二歩、後退する。だが、弥太吉は不意に肩を掴まれ、木に押し付けられた。背中に食い込む木肌が痛い。
「か、ずや……さま。今の、蚩尤軍の」
「いかにも。だが、心配は要らぬ。奴は我が間者だ。敵を知るために私が放った者」
「か、間者? でも、乙矢が神剣を抜くとか抜かないとか」
「そうだ。乙矢は神剣を手に里を襲った……」
「!」
 それが事実なら一刻も早く里に戻らねばならない。
「大変だ……早く弓月さまに報告して、でなきゃ、織田さんや新蔵さんが」
 グッと一矢の双眸が弥太吉のそれに近づき、
「弓月殿を鬼に近づけるなど、とんでもないことだとは思わぬか? なぁに、二人は遊馬一門が誇る剣士。必ずや鬼を制し、すぐにも、神剣を手に我らに追いつこうぞ」
「で……も」
「お前にとって大事なことはなんだ? さあ、答えて見よ」
「だ、いじな、こと」

 遊馬家師範代であった父・小弥太の仇を討つことである。そして、四天王家を、遊馬家を復興させ、母や幼き弟妹のもとに戻ること。
 
 ジッと見つめる一矢の瞳は、十歳の少年の心をいとも容易たやすく闇に染め上げた。
「勇者である私の命令だ。四天王家に仕える者として、役目は果たさねばなるまい。おぬしは父の家督を継ぎ、やがては師範となる身なのだから」
 ゆらゆらと、弥太吉の視界が揺れた。
 一矢は腰に下げた『朱雀』の柄に手を添え……己の口を通して『鬼』の言葉を弥太吉に送り込む。
「弓月殿は乙矢に懸想しておる。乙矢のために、遊馬も神剣も捨てるやも知れぬ。それは、赦されざる罪だ。弓月殿を罪人にしたくはなかろう?」
 少年はコクンと無言で肯いた。
「ならば、弓月殿をはじめ誰にも、今宵見たことを話してはならぬ。――よいな」
 今度は二度肯き、一矢の手は弥太吉の肩から外された。


 その様子を、闇の奥から目を凝らし見つめていた人間がひとり――狩野天上だ。

 彼はどうしても納得が出来ず、一矢の手によって、里跡に張られた結界の周囲を巡っていた。
 突破口となったのは、乙矢が里跡を出た直後、一対の『青龍』を手に結界の外に現れた一矢を目撃した時である。
 
 狩野は元々幕府に仕える隠密だ。武藤のように力技で勝負に持ち込むより、諜報・謀略活動のほうを得手としている。だからと言って、決して腕前が武藤に劣ると言うわけではない。その、冷酷無比な殺人者の顔は、蚩尤軍で最も恐れられてると言っても過言ではない。
 それに比べ、『大将閣下』と呼ばれるあの方は、顔はおろか姓名すら明かしてはいない。ほとんど兵士の前には姿も見せず……これでは恐れようがない、と言うのが正直なところだ。

 狩野は、あの方が『朱雀』を手に入れた経緯を辿ろうとして果たせなかった。再び城に戻った時、その『朱雀』が消えていることに気付いたのだった。結界の奥に納められた『白虎』の存在までは確認出来なかったが……。

「狩野。そこにいるのは判っている。出て参れ」
 『青龍』を手にした一矢は、気配を断った狩野を簡単に見破る。
「爾志一矢……いや、閣下とお呼びした方がよろしいでしょうか?」
 その一瞬、高まる殺気に、狩野は神剣との対決を覚悟したが、
「まあいい。判っているなら早い。この『青龍一の剣』を里攻めに使うよう、武藤に届けよ」
「はっ。……しかし、驚きましたな。あなたは虐げられた庶出の勇者だと思っておりました。それゆえに、正嫡の血を絶やそうとされてるのだ、と。あなたが一矢殿であるなら、謀反など起こさずとも、手はありましたでしょうに」
「……」
 
 一矢は何も答えず、中空を睨み続けた。
 白々と明け始めた空には、有明の月が目を細めてこちらを見ている。望月の夜が来れば、全てを知っていると言わんばかりの顔で、天空から見下ろすのだろう。
 月は嫌いだ。だが、いくら嫌いでも斬ることの出来ない存在である。舌打ちをしつつ、見上げることしか出来ぬ存在……。
 
「それに、小姓が一人、姿を消したと聞きましたが……。それは一体」
「殺した。『朱雀』を返せとうるさいのでな。――私はこの手に四神剣すべてを納めるつもりでいる。四天王家など要らぬわ。我が爾志家が、唯一の勇者の血統となる。邪魔な者は殺す」
 身の毛が弥立つ感覚に、狩野はゾッとした。そして、差し出された『青龍一の剣』を手にするのを躊躇う。
 それを見ていた一矢は、
「心配は要らぬ。その『青龍一の剣』には封印を施した。半紙の封印を破らぬ限り、鬼は目覚めぬ。――だが、貴様は勇者の存在を信じてはおらんだろう? なんなら、抜いてみてはどうだ? 最強の力が手に入るやも知れぬぞ」
 

 薄笑いを浮かべた一矢の顔を思い出すだけで身震いがする。
 『神剣の鬼』は存在する。だが、『神剣の主』と呼ばれる勇者は、やはり存在しなかった。自在に操れるのは勇者ではなく鬼なのだ。一矢は……あれは『神剣の選んだ鬼』である、と。ならば双子に乙矢は? 
 神剣の存在に、奇妙な興味を持ち始める狩野であった。


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