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弟矢 ―四神剣伝説―

第五十話 二十六夜の願い

 可能な限り手早く『鬼』を片付け、乙矢の後を追った新蔵が目にしたのは……裏拳で乙矢の頬を打ち据える正三の姿だった。

「な……何すんだよっ! なんで」
「お前はこれまで、何度『俺のせいだ』と口にした? この先も言い続けるつもりか? いいか乙矢、どれほどお前の器が大きくとも、割れた器では使い物にならん」
 無言で頬を拭う乙矢と、本気で怒る正三を目にして、新蔵は何がどうなったのか訳が判らない。
「あ、あの……織田さん、どうしたんですか? こいつ、また何かしましたか?」
「武藤を殺せたのに殺さず、まんまと逃がしてやったのだ」
「俺だけのせいかよっ! だったら、てめえがやればよかったんだ!」
 カッとなって言い返す乙矢に、正三は嫌味を籠めて答えた。
「柄だけで人は斬れん。奴は、自分に恥を掻かせたお前を、どう思っただろうな。一矢が連中と通じているなら、長瀬殿や凪先生だけでは姫様を守りきれまい。万が一の時、お前はまた『俺のせいだ』と泣くのか?」
「……」
 さすがに、弓月のことを言われたらぐうの音も出ない。
「いつだったか……長瀬殿に噛み付いていたな。神剣とは民を護るためのもの、その神剣を護るために民を犠牲にするのは間違っている、と。乙矢――それを決めることが出来るのは、神剣の鬼に選ばれた勇者のみ」
「それは、どういう意味なんだ?」
 乙矢の声は震えていた。正三が怖いわけじゃない。その言葉の意味を、聞かずとも察したからだ。
「斬れぬ、では困る。斬らぬ、と言うなら……神剣の主となってから言え」
「もし、なれなかったら?」
「姫様が、お前の姉上と同じ最期を辿る。それだけのことだ」
 五寸釘を胸に打ち込まれたほどの痛みだ。今日だけで、どれほどの荷物を背負ったのだろう。これまでろくに背負わず、逃げ出していた報いだと言われたらそれまでだが……。

 重さと苦しさに思わず膝をついた。乙矢はこうべを垂れ、重圧に負けそうになる。その時、固く結んだ拳に、そうっと柔らかいものが触れた。――おきみの小さな手であった。
「おとや……おとやぁ」
 覗き込む眼差しは優しく、思慕の情に満ちている。
「おきみ……ごめ」
 謝りかけ、慌てて口をつぐむ。無力さを詫び、後悔して、また繰り返す。正三の言うとおり、今の乙矢は穴の開いた桶にすぎない。

 
 それを、またか、という思いで見ていたのが新蔵だ。
 風呂の焚き付けの如く、薪をくべ、程好く煽いでやらねばすぐに火が消える。炭になるまで燃え尽きるよりましかも知れぬが……。しばし逡巡したが、一緒になって悩んでいても埒は明かない。新蔵は乙矢を押し退け、正三とそれぞれの情報を確認し合った。
 そして出た結論は――
「一矢の正体が何であれ、奴は蚩尤軍と結託していることは間違いない! 一刻も早く、弓月様のお傍に参らねば!」
「判っている。……これは、私の想像だが、奴は神剣を持っている。恐らくは――『朱雀』」
 新蔵は息を呑んだ。

「なんで『朱雀』なんだ? 盗んだのは『青龍』だろ? それか、あいつなら『白虎』を」
 力なく俯いていた顔をサッと上げ、乙矢は正三に噛み付いた。
「鬼の声を聞いたお前になら判るはずだ。勇者は常に試される。奴に『白虎』の鬼を抑える度量はない。だが『朱雀』なら……本物の勇者ですら鬼に変えるという裏切りの剣を持ってすれば、今の奴の行動に説明がつく」
 正三の的を射た推量に、乙矢は眩暈がした。
「あ、あの織田さん……それって、一矢が『朱雀の主』で鬼ってことですか? いや、でも、奴は爾志家の」
「勇者の血に、一門の流派は関係ねぇよ。鬼に選ばれさえすればいいんだ。でも、あの宗次朗さんがそう簡単に『朱雀』を手放したとは思えねぇ」
 
 乙矢の言うとおり、『青龍の主』が遊馬家から、『白虎の主』が爾志家から出ると決まっているわけではない。理由は簡単だ、既に血が混ざっているからである。
 数代前まで、彼らは一門の中で血族婚を繰り返していた。その結果、濁った血は出生率は下げ、早世する子供を増やしてしまう。凪のような病で命を落とす例が、昔はもっとあったのである。
 一計を案じた時の宗主たちは、なるべく血の遠い四天王家間で許婚を定めた。相応しい者がいない場合は、一門の遠縁、或いは血縁以外から伴侶を選ぶのだ。宗主の決定は絶対で、血を薄めない為、且つ、濁らせない為の止むを得ない策であった。一矢と弓月の婚約も、その一つだ。

「皆実宗次朗殿か……確か、お前とは従兄弟になるのか?」
「俺だけじゃない、一矢にとっても従兄弟なんだ。あいつが宗次朗さんをなんて……」
「――殺ったに決まってる! 双子の弟を殺そうとする奴が、従兄弟殺しを躊躇うものかっ!」
 

 新蔵の容赦ない言葉に、唇を噛み締め、乙矢は耐えていた。現実を受け入れようと必死なのだ。その姿を見て正三は、自らの逸る心が乙矢を追い詰めたことに気付く。
 上弦の月が雲間に見える夜、乙矢に出逢った。ひたすら兄を信じ、助けを待つだけの少年だった。宿場では、弓月の後ろに隠れ、帯刀すら拒んでいたのだ。その乙矢が、正三とおきみを救うために、刀を手に真正面から武藤と斬り合った。今はまだ、朔月さくげつすら迎えてはいない。
 そんな心が見えたのか、おきみは正三の袖を掴み引っ張った。年端も行かぬ少女の眉間にしわが寄っている。
「……しょうざ」
「判ってる。別に、苛めているわけではない。睨むな」
 姉妹も妻子もいない正三にとって、おきみのような幼子に馴染みはないはずだ。だが、不思議と手に取るように気持ちが判る。彼は少し首を捻り……「ああ」と小さく声を上げた。おきみの仕草は、十年前の弓月とよく似ていた。
(なるほど……弱いはずだ)
 苦笑いを浮かべると、あらためて、正三は乙矢に向き合った。

「乙矢、お前に言っておかねばならぬことがある」
「……なんだよ」
 もう勘弁してくれ、と言わんばかりの表情だ。だが、正三の言葉は乙矢の意表を突くものだった。
「お前のおかげで助かった。礼を言う」
 そう言うと、正三はスッと頭を下げる。
「え? あ、いや、別にそんな」
「乙矢、一つだけ確認しておきたい。一矢は間違いなくお前を殺すつもりだ。奴がたとえ『朱雀の主』であっても、里人を手に掛けた男に勇者の資格はない。お前は――どうする?」

 どうするべきか、どうせねばならないか、子供にも判るはずの答えだ。だが、
「一矢を……死なせたくない」
「乙矢っ! お前まだ」
「新蔵、黙れ」

「勇者だと信じてきた。いや、今も信じてる。最後まで信じたいんだ! でも……もし、兄矢はやが的を外れたなら、俺はこれ以上逃げる気はない!」
 
 正三は乙矢らしい返答に、微苦笑を浮かべた。だが、すぐに表情を引き締め、
「一矢の残した怪しげな結界も、そろそろ消える頃だ。さすれば、このおきみを里人に預け、我らは姫様を追うとしよう。覚悟は良いな、乙矢」
「ああ、判ってる」
 視線を交わし肯き合う二人を横目で見ながら、新蔵は口の中で呟いた。
「まあ、織田さんが良いというなら良いんですが……」
 乙矢を認めてはいるが、崇拝とまでは行かない。“戦うが殺したくない”そんな乙矢の素振りが、どうも新蔵には受け入れ難く……。
 
 その時だ。闇を貫き、里に奇声が轟いた。未だ姿を現さぬ二十六夜の月など、粉々に砕いてしまいそうだ。
「なっ! なんだ、今の声は」
「新蔵――お前、鬼は倒したんだよな。『青龍一の剣』は何処だっ!? まさか、置いてきたんじゃねぇよなっ?」
「し、蚩尤軍の持ってた白木の箱に納めて、戻るまで頼むって……あいつらに」

 乙矢の全身が総毛立つ。それは、新たな『鬼』の予感であった。


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