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弟矢 ―四神剣伝説―

第四十六話 少女の呼ぶ声

 暗いよぉ……怖いよぉ……。
 おきみは膝を抱え、ギュッと目を閉じた。
 
 数日前、突如、里が襲われ、おきみらは捕らえられた。大人たちは、神剣の勇者さまが助けに来てくれると言ったけど……。その前に、おきみの父も母も、殺されたのだった。
 母が斬られた時――おきみの頭上に血の雨が降り注いだ。おきみは、その小さな体に流れる血の一滴、肉の一片までも、搾り出すように……母を呼び、泣き叫ぶ。だが、母の首は薄皮一枚残して傾き、その目は、二度とおきみを映すことはなかった。
 
 ――二親ふたおやともおらんようになって、誰が面倒を見る? おまけに、口もきけんし、困ったもんだ。
 これまでの里には住めなくなり、仮の里に移ってから、里人の様子が目に見えて変わり始めた。途端に素気無く突き放され……おきみの居場所はなくなる。
 高円の里に戻る、父や母と暮らしたあの家に。おきみは決意し、たった独り、里を出た。
(家に戻ったら、おっとうとおっかあに逢える)
 そう思ったとしても、誰が責められよう。
 だが、わずか五つの幼子に一里も離れた里の場所が判るはずもなく……。とっぷり日も暮れ、すぐ近くで野犬の遠吠えまで聞こえ始めて、ついにおきみは、一歩も動けなくなってしまう。
(暗いよぉ、怖いよぉ……おっかあ、助けて)
 木の幹にもたれかかり、膝を抱え、打ち震えていた。その時、
「おいっ! おきみ。お前……おきみだよな?」
 
 暗闇の中から、飛び出してきたのは、父より若い男だった。大人たちが『かずやさま』と呼ぶ男に似てる。でも、目の光が違う、と彼女は思った。
 『かずやさま』は怖いけど、この男は怖くない、おきみは咄嗟にそんなことを考える。

「お前、なんでいなくなったりするんだよ。必死で探したんだぜ。ほら、帰ろう」
 おきみは首を振り、その場にしゃがみ込む。新しい里は怖かった。「かずやさま」も怖い。大人たちも皆怖かった。
 もう一度、母の温もりに抱かれたい。そう思ったとき、おきみは知らず知らずのうちに泣いていた。それは嗚咽となり、しゃくりを上げながら、おきみの口から失ったはずの声が溢れ出る。
「おっかぁ、おっかぁ……おっかあっ!」
 母の亡骸に縋り、泣き続けたあの時のように。――その瞬間だった。おきみの体を人の温もりが包み込む。

「ごめん……ごめん、ごめんな……俺のせいだ。俺がお前から“おっかあ”を奪ったんだ。ごめん。俺が……俺が……」
 おきみの手に男の流した涙がぽとぽと落ちた。大人は泣かない、そう思っていたおきみに、その涙は衝撃だった。
「か、ずや……さ、ま」
 途切れ途切れ、咽から音を押し出すように、おきみは声を出そうとする。
「いや……一矢は兄だ。俺は、乙矢だよ。……おとや、だ」
 喋れなくても乙矢は怒らない。わざとゆっくり口を開き『おとや』と教えてくれた。
「お、と……や」
「ああ……何でだろうな。俺は、誰も死なせたくないのに……。助けたかったのに」
「おとや……おとやぁ……おとやぁっ!」
 その後、咽が嗄れるまでおきみは乙矢の名を呼び続けたのだった。
  
 乙矢は、おきみに人の温もりを思い出させてくれた。乙矢は怖くない。乙矢の瞳は優しく、お日様のように暖かい。
 
 乙矢に逢いたい――。
 
 必死に願うおきみの鼻に、先刻から血の匂いが届いていた。
 それは、母の体から吹き出した、真っ赤な血飛沫ちしぶきの匂いだ。拭っても洗っても落ちない、命が最後に放つ赤い色の匂い……。

 ザザッと、正三がおきみを隠すために覆った枝葉が揺れた。その隙間から、血に塗れた人の手がおきみの眼前に突き出される。
「……!」
 反動で枝は表に向かって倒れ……咽返る血の匂いに高円の里での惨劇が脳裏を過ぎった。
 あっという間に、小さな洞の中は生々しい臭気で満たされ、おきみは吐きそうになる。とうとう耐え切れず、目の前に倒れる蚩尤軍兵士を乗り越え、外に飛び出した。

 方向などよく判らない。ただ、その場から逃げたくておきみは走った。――走って走って、気付くと里の入り口が見える。逃げ込むべきかどうか……里人が首筋に突きつけた包丁の冷たさに、おきみは身震いする。そこに味方がいないのは明らかだ……。
 その時、背後から凶悪な気配を感じ、おきみは振り返った。

 そこに立っていたのは、両親を殺した男と寸分違わぬ人の形をした獣であった。『鬼』と大人たちは呼んでいた。
 おきみの中で一番怖い獣は熊である。子熊を連れた母熊に遭遇したことがあり、随分怖い思いをしたけど、父が助けてくれた。でも、その父はもういない。
「お……とや。おと、や。おとやぁ」
 おきみの口をついて出たのは、乙矢の名だった。『鬼』は近づいてくる。しだいに速度を増して。獲物を見つけた熊のように――。

「おとや! おとやっ! おとやーっ!」

 一歩も動けず、おきみは『鬼』の餌食になるのを待つしかない。彼女の頭上に振り下ろされた『青龍一の剣』は、汚泥の沈んだ沼を思わせる濁った光を放ち――。
 
 不意におきみ体が宙に浮く。誰かが抱いて横に飛んだからだ。声を聞くまで、おきみはそのことに気付かなかった。

「乙矢じゃないが、とりあえず、俺で勘弁してくれ」
 正三だ。
「絶対に暴れるなっ!」
 一言叫ぶと、正三はおきみを横抱きにしたまま里の中に向かって駆け出した。


〜*〜*〜*〜*〜


「隠れた里人を見つけ出せ! 弓兵は屋根に上って待機だ。鬼が襲って来たら一斉に矢を射れ!」
 形はどうあれ、里人を皆殺しにして、遊馬の男と幼子を始末すればよいのだ。
 武藤は正三を自分の手で倒すつもりだったが……最早、順番や相手に拘ってる場合ではない。すでに、武藤が指示を与えることの出来る兵士は半分しか残っていないのだ。後は、られたか逃げ出したか……。

 しかし、計算違いはこれで終わりではなかった。
「武藤様! 遊馬の男が里跡に入ってきます!」
 二丈程の高さがある櫓の見張り台から、一人の部下が叫んだ。続けて、
「え? ええっ! あ、あれは……鬼です! 武藤様、男の後ろから鬼が!」
 一斉にざわめき立つ。まだ、迎え撃つ態勢が整ってはいない。弓兵は屋根に上るべく、梯子を掛けたばかりであった。
 
 正三は刀を抜き放つと蚩尤軍兵士の中に突入して来る。小脇にはおきみを抱えていた。おきみは振り落とされないように必死に掴み下がっている。
 まさに、宵闇に包まれたばかりの里は大混乱であった。必要な火を灯す前に攻撃を受けては、弓兵は役に立たない。ましてや『鬼』とも遊馬の剣士とも刀を交えるほどの気構えはなく、彼らは敗走に必死であった。
 
 『鬼』は数十人に囲まれ、既に、数本の刀が背に刺さっていた。だが、動きが鈍る気配が全くない。乙矢は躊躇うが、『鬼』は首を落とさねば止まらぬのだ。それが、唯一の成仏かも知れない。そんなことを考えつつ、正三は昼間に里から逃げ出した時と同じ道筋を通り、里の裏手に抜けたのだった。


〜*〜*〜*〜*〜


「大丈夫か? 怪我はないか?」
 そこは、乙矢がよく薪を割っていた場所だ。今は使えないと言われる井戸も、すぐ側にある。正三はおきみを下ろすと薪小屋にもたれかかり、一息吐いた。
「あ……あ」
 おきみは礼を言おう口を開くが、乙矢の名前以外は声にならない。正三もそれが判るので、優しくおきみの髪を撫で、惚れた女に囁くような声で言った。
「心配はいらぬ。間もなく乙矢が戻って来る。風が変わった。結界が消えたのがその証だ」
 
 正三は、里に圧し掛かった悪意が、薄れているのを感じていた。どうやら、この風が押し流してくれたようだ。里人はどこかに隠れたか、慌てて里を逃げ出したかのどちらかだろう。気にはなるが……おきみも里人も、全員を守るのは到底無理だ。ならば乙矢のため、ひいては、弓月のためにも、正三はおきみを守ることを選んだのだった。
 
 何か言いたげに、口を動かすおきみに、
「私の名は、織田正三郎だ。――しょうざ、と呼ばれている。判るか?」
「し……しょう、ざ?」
 おきみに名を呼ばれ、正三の胸にこそばゆい感覚が走る。しかし、それを長く味わうことは、土台、無理な状況なのであった。


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