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弟矢 ―四神剣伝説―

第四十五話 すれ違う攻防

 風が止まる。まさしく凪の刻だ。
 立っているだけで全身に汗が噴き出してくる。美作の山中は、まるで蒸し風呂であった。
 
 そんな中、正三は刀を抜かず、街道に向かって走った。自分ひとりなら、玉砕覚悟で敵将の首を狙ったであろう。だが、おきみを守らねばならない。そのためには、援軍がいる。
「いたぞーっ。こっちだー!」
 なるべく、敵の目を自分に引きつけねばならない。ぎりぎりの距離を見て、木々の隙間を拭うように駆け抜けた。そんな正三を、甘く見ているのか、それぞれの判断で追いかけてくる。
 敵兵が何ゆえバラバラで動いているのか、正三は計り兼ねていた。だが、彼にとってはむしろ好都合だ。しかも、
「もらったぁーー!」
 足の早い兵士は正三を追い詰めたつもりになり、上段から一気に襲い掛かる。
 正三は、瞬時に足を止め、鞘から太刀を抜き放った。態勢を低くし、右の拳を腰に付ける。陽の構えで刃先を隠し、間合いを気取られないように――敵兵が刀を振り下ろす寸前、正三の長刀は男の腹を切り裂いていた。
 カシャ。刃先を下に向け、小さな動きで血糊を振り落とした。刀を鞘に戻しながら、再び駆け出す。走りながら、左手はいつでも抜ける態勢を整えた。木々の生い茂った山中での戦闘は、室内より気を遣う。なんと言っても、正三の刀は通常より長い。障害物の多い狭い場所は不利なのだ。

「貴様ぁー!」
 今度は構える余裕はなかった。
 抜き様に敵を斬りつける。だが、浅い。踏み込みが甘かったせいだ。正三は即座に刀を返す。
「ぐぅっ」
 見事、二太刀ふたたち目は肩口から胸元を捉えたのだった。


〜*〜*〜*〜*〜


 本来、結界とは神剣の力を封じるために、四天王家に伝わって来た技である。
 今回の、凪のような使い方は特殊だ。
 この手の技は向き不向きがあるのだろう。凪はかなりの腕前で、見事な結界を作り上げる。勇者の血統を持ってしても、その視覚を欺かれるくらいに。蚩尤軍であれば尚の事、彼らは一歩森に踏み込んでから、正常な判断力を失いつつあった。
 それには、里に張った一矢の結界も影響を与えていた。それぞれの心に眠らせた暗黒を増幅させ、敵を攻撃する。憎しみは増え、それに伴い周囲は敵だらけになる。これらはまるで、神剣の鬼が持つ負の連鎖であった。しかも、正三が中心となる結界を破ったため、四方に張った結界の均衡が崩れてしまい……。
 使い方はともかく、一矢が結界を操る力に優れていることは間違いないようだ。
 神剣に選ばれた勇者は、鬼を制することが出来る。だが、鬼の力を利用する、などという伝説は、四天王家にも伝わってはいなかった。
 
 だが、それに近い話はある。
 四神剣のうちで最も扱い辛く、正当な持ち主ですら鬼に変えるという、神剣『朱雀』がそれだ。別名「裏切りの剣」と呼ばれる。
 『朱雀』は常に血に飢え乱世を好む。伝説では、初代の持ち主であった勇者も、遂にはその誘惑に負け、『白虎』の勇者に斬られたと言われている。
 そのせいだろうか。『朱雀』を守護する皆実家は、この結界を上手く操れる人間が多い。現宗主、皆実宗次朗もその一人であった。だからこそ、彼は自身の作り上げた結界に身を隠しているのだ、という噂がある。それだけに、見つけるのも至難の技であろう。
 
 逆に、乙矢はこの結界を、作るのも見抜くのも苦手だ。正三も同様で、見抜く目は乙矢以上ではあったが、作ることは苦手というより、出来ない。弓月も大差なく、やはり適性の問題と思われる。
 正三の能力では、おきみを覆った木の枝に、念を籠めて見つかりにくくするのが精一杯であった。
 


「この役立たずめっ! これほどの人数がいてなぜ虫けら一匹が殺せぬ!」
 武藤は拳を振り上げ、怒りを露に、兵士らを殴りつけた。
 楽勝、と意気込んで来たはずが、里跡は入り口すら見つからない。次第に、兵士らは平静を失い始め、あちこちで小競り合いが勃発した。武藤の苛々も募る一方だ。この状態で刀を抜けば、さしたる理由もなく、周囲の兵士を叩き斬るであろう。
 挙げ句の果ては、遊馬の剣士を見つけたという報告と同時に、見失った……いや、また見つけた、と混乱の極致だ。結果、為す術なく分断され、一人ずつ血祭りに上げられるだけであった。
 更に、この時、武藤の怒りに油を注ぐような報告がされる。 
「武藤様っ! 鬼が目覚めます。ご命令を!」
 
 鬼は里跡に放つ予定であった。
 逃げた高円の里の連中は、見せしめの為にも皆殺しにする指示が出ているのだ。
 だが、武藤はその命令に、ふと違和感を覚える。
 
 ――なぜ、遊馬一門が東国の領地内を逃げる時に、同じ手を使わなかったのであろうか? と。
 
 一年前、乙矢を締め上げたのは武藤であった。その時、奴が口にした里は既に廃れており、役立たずの次男には真実が知らされてなかったのだと納得したのだった。それには、一矢が九分九厘死んでいるとの油断もあったのかもしれない。
 さしもの武藤にも何か閃くものがあったが……それは強制的に中断させられた。

 
 森をつんざく悲鳴が上がる。
 空気が震え、棲み処に戻った鳥達は、まるで蝙蝠の如く羽ばたき、夕闇に飛び立った。
 『青龍一の剣』を持たされた鬼は、目覚めた瞬間、きつく縛られた縄を引き千切り、近くにいた同胞を襲う。夕闇が濃くなり、しかも、森の深い場所で弓兵は使えない。それは、自爆に等しい愚行であった。
 だがその時、突如吹き始めた風が澱んだ空気を押し流す。そして、武藤の目に映ったのが、里跡の入り口であった。


〜*〜*〜*〜*〜 
  
 
 鼓膜を引き裂く叫声に、正三も動きを止めた。彼を追う敵兵も、一様の戸惑い、立ち尽くしている。
「また……鬼か」
 それは、苦悩に満ちた正三の声であった。
 今、彼の背に神剣はない。なのに判るのだ。
 鬼の気配が正三の胸を揺り動かし、聞こえるはずのない鬼の声が、彼の胸に響いた。
 
 ――勇者よ。我を手に。最強の力をお前に与えよう。

 高円の里では、背負った『二の剣』に引き摺られるように、鬼の前に連れ出された。それまで経験したことのない興奮が全身を巡り、気付いた時には神剣を抜いていた。
 だが、今日は違う。興奮ではなく、鬼に体を支配される恐怖が、正三の胸に込み上げて来る。自然に、指先が震える。生まれて初めて彼は、腰が引ける、という感覚を味わったのだった。
「なるほど……。中々どうして、怖いものだな」

 無論、人を斬ること、斬られることに怯えるような正三ではない。だが、万に一つも、再び弓月に斬りかかった時は……。
 正三の思考を遮ったのは、後方から吹き込む風であった。縛り損なった数本の髪が、彼の前を泳ぐ。風は応援の到着と、結界の破綻を知らせた。
 里が危険だ。それに、鬼がおきみを見つけた時は、即座に斬られるだろう。
 
 正三は覚悟を決め、来た道を駆け戻ったのだった。


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