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弟矢 ―四神剣伝説―

第四十二話 結界

(――風向きが変わった)
 正三は里の周囲を念入りに警戒して歩きながら、そんなことを思った。
 今は昼八つを過ぎた辺りだ。弓月は凪と長瀬、弥太吉を連れて、明け方、里を後にした。一矢も同行している。
 ちょうど出立の頃、乙矢と新蔵が蚩尤軍に襲われていたのだが、彼らには判ろうはずもなく。
 

「『青龍の鬼』が襲ってくる前に先手を打つ。この位置なら、蚩尤軍は美作の関に駐留するであろう。そこを攻撃し、神剣を取り戻す」
 一矢はそう宣言した。しかし、弓月は、
「我らが離れた隙に、連中が里を襲えばどうなります?」
「だから、先に攻めるのだ。なんとしても、神剣を取り戻さねばなるまい」
「ですが……」
「何の為に正三がいる? 弓月殿は、再び里を戦場にして、戦う術のない女子供を巻き込むおつもりか? 万一の時は、我らが引き返すまでの間、彼が里を守ってくれるであろう」
 一矢は思わせぶりに言うと、正三に視線を向けた。否と言えるはずもなく……。
「――はい。姫様、どうぞご安心を」

 無論、不安はあった。自分の身ではなく弓月のことだ。もし、一矢と二人きりであるなら、どれほど止められても後をつけて行っただろう。だが、弓月と一矢の経緯を知っている凪に、従うと言われては、逆らう理由はない。
「関所に不審な動きがあれば、すぐに戻って参る。それまで、里の皆を守ってやって欲しい。頼んだぞ、正三」
「こちらのことより、姫様ご自身のことをお考え下さい。くれぐれも、凪先生のお傍を離れぬよう」
 そこまで言うと、途端に正三は声を潜め、弓月の耳元で囁いた。
「――乙矢は必ず戻って参ります。奴は、姫様のためなら勇者になり、あなたを失えば、鬼になるでしょう。どうか、何があっても奴を信じてやって下さい」
 突然、乙矢の名を出され、弓月はたじろいだ。
「正三、それはどういう……」
 弓月の問い掛けを目で制し、正三は後ろに下がる。一矢の視線を感じたからであった。
 
 
 弓月らを見送ってから、正三は里の中をくまなく歩き、今は周囲を徘徊している。
 この里に入って、多くの人間の様子が変わった。以前と同じなのは、弓月と凪、それに乙矢と……正三は自分の名を加えた時、共通点に気がついた。
 皆、四天王家、勇者の血を引く者だ。一矢はともかく、偶然にしては出来すぎている。
 この里に皆を誘導したのは一矢だ。そして、乙矢はこの里の存在を知らなかったと言っていた。だが、高円の里が五十年ほど前、地すべりに遭ったのは事実である。そう、里の年寄りも証言していたはずで……。
  
 太陽は真上を過ぎ、気温も上昇していた。弓月が体を洗った小川の水は、光を反射して煌いている。水面の瑞々しさとは違い、大気は、気だるさを誘う中途半端な熱気を含んでいた。まるで、ぬるま湯の中を泳ぐような、息苦しさも感じる。
 この里に着いてから、正三はほとんど出歩いていなかった。一矢から、謹慎も同様に言い渡されていたせいだ。里人も正三には最低限しか近づこうとしない。鬼になりかけた男に怯えているのだと思っていたが……。
 ほんの数日前、弓月を抱き上げ歩いた小道を、正三は急ぎ引き返した。

「死んだ? では、先日襲われて殺された里人の一人が、六十近くの年寄りだというのか? なぜそんな年寄りを見張りに立たせたのだ!」
 正三はこの里が本当に、かつての高円の里かどうか確かめたくて年寄りを訪ねたが……。
「いやあ、俺らも止めた方がいいって言うたんだが。勇者さまの頼みだって、なぁ」
 何かがおかしい。
「亡くなった爺さんは何か言ってなかったか? この里について……何でもいい」
 里の連中は正三のことを胡散臭そうに見ている。彼らにとって、正三はいつ鬼に化けるか判らぬ存在だった。
「頼む。私は皆を守りたいのだ」
「そういえば……爺さんが言ってたなぁ。十の頃の記憶だから自信はないが、里の真ん中にこんな寺があったっけなぁって」
 
 そこは、正三や乙矢が最初に寝かされていた寺だった。皆が寝泊りしていた宿坊もある。一矢は、祭壇脇の小部屋で寝起きしていた。
 皆が集まって話し合う時は、本堂の大広間を使っていたはずだ。しかし、その席に正三が加わることはなかった。
 彼は初めて、本堂に足を踏み入れる。薄暗い、かび臭い宿坊と違い、あちこちに蜘蛛の巣は張っているものの……微量ではあるが、ほのかに甘い白檀びゃくだんの香りが漂っていた。
 中央の祭壇には蝋燭が灯ったままである。
 いずれ里人が灯したものであろうが……祭壇に近づくと、ぐっと白檀香の濃度が高まった。
 甘い香りは、まるで女の肌が絡みついてくるかのようだ。それは、正三の思考を惑わせ集中力を削いで来る。香に意思があるかのように……そのまま、回れ右をして本堂から出たくなるような誘惑に駆られる。
 咄嗟に、正三は長刀の鞘から小柄を取り出し、その刃を左手で握り締めた。
「クッ!」――左手の指の隙間から床に数滴したたり落ちる。蝋燭の明るさでは、それは黒にしか見えない。だが、祭壇の周囲に漂った、なまめかしく強い香りは、生臭い血の匂いに取って代わった。
 彼はそのまま、小部屋の引き戸を開ける。それは思いのほかスルスル開いて……。
 正面の壁の中央に、爾志一門に伝わる結界札が張ってあった。それは、遊馬のものとは違ったが、効力は同じと聞いている。四方に張った結界を更に強化させるもののはずだ。神剣を奉る神殿にも用いられている。
 結界は、外からの侵入を防ぐ目的か、或いは、何かの効力を内に封じ込めたかったか……。
 一矢が敵の侵入を防ぐために張ったものとも考えられる。
 だが、正三にはとてもそうは思えなかった。なぜなら、結界の効力は、勇者の血縁には利かない。それは、ここ数日の、新蔵・弥太吉らの様子に、妙に合致する。
 
 カチ――鍔を押し上げると同時に、深く息を吐いた。そして、一気に吸い込むと、息を止め、気合を籠めて刀を抜く。
 二つ数えるうちに、刀は鞘に戻り、正三は息を吐いた。
 足元に、真っ二つになった結界札が木の葉のように舞い落ちた。
(ここを出るか、それとも、四方位の結界を解くか……)
 誰かの下につくことが多かったため、正三は決断には慣れていない。
 迷う彼の耳に届いたのは、本堂の扉を、ブチ破る勢いでざわめく足音だった。


〜*〜*〜*〜*〜


「お前、本当に間違ってないんだろうなっ!」
「文句があるなら、引き返して、勝手にしろよ」
 その言葉に、新蔵は振り返り……そこは昼間なのに鬱蒼とした森が広がっていた。
 彼は、慌てて乙矢の後を追う。
  
「心配すんなよ。方向感覚だけは、一矢より上だぜ。ガキの頃から迷子にはなったことがないんだ」
「自慢は結構だが、少し休もう。――ほら、そこに湧き水がある」
 この辺は雨も豊富で地下水にも恵まれた辺りだ。良質な湧き水があちこちに見られる。
「なんだ、もう疲れたのか?」
「俺じゃない。お前だ。俺を助けた時に肩をやったんだろ? 呼吸が荒い。熱もあるんじゃないのか? ちょっと待ってろ」
 新蔵は冷たい湧き水で手拭いを浸し、乙矢の元に駆け戻った。
「痛てっ! 置くだけでいいって。押し付けるなよ」
 そのまま、新蔵は何度も往復して、無言で乙矢の肩や額を冷やし続ける。乙矢にしたら、悪態の一つも吐かないのはどうも不気味だ。

「なぁ、何か言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれ。お前に優しくされたら、逆に怖いよ」
 そう言った瞬間、バッと新蔵は立ち上がり、腰に下げた長刀の鞘に手を掛けた。


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