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弟矢 ―四神剣伝説―

第三十八話 乙矢を殺す

「し、新蔵じゃねえか? なんであんたがここにいるんだ?」
 てっきり蚩尤軍かと思いきや、予想外の人間の登場に驚きを隠せない。
「裏切り者が気安く呼ぶなっ!」
「はぁ? うわっと!」
 乙矢の返事を聞くこともせず、新蔵は手にした刀を八双に構えると、再び斬りかかった。乙矢は慌てて膝で反動を付け、後方に飛びずさる。一回二回と飛んだ後、急に方向を変え前に飛んだ。そのまま地面を転がり、更に踏み込む新蔵の足を狙い、すれ違い様に払った。さすがに倒れるようなことはなかったが、勢いを削がれたのか、ようやく攻撃が止まる。
 彼に毛嫌いされてることは判っていた。だが、いきなり襲われる謂れはない。

「ちょっと待て! いいか、待てよ……何なんだ? なんで裏切り者なんだ!」
「白々しい台詞を。よくも我らを謀ってくれたな。弓月様まで裏切りおって!」
 それは、一矢が現れた途端、戦線離脱した乙矢を責めているのだろうか? 詳しく聞きたいが……新蔵は異様に殺気立っていて、とてもお話にならない。
「だ、黙って、里を出たのは悪かった……でも」
「『青龍』を何処へやった!? まさか……もう、奴らに渡したのかっ?」
「せいりゅう……って。神剣がどうかしたのか?」
「とぼけるなっ!」
「いや、だって」
「判っておるのだぞ。『白虎』を敵に渡したのも貴様であろう!」
 その言葉は乙矢の胸に激震を走らせる。
「一矢に……聞いたのか?」
 肯定と同じ質問を口にする……。そんな、みるみる青ざめる乙矢を見て、新蔵の疑惑は確信へと変わった。
「保身のためなら神剣はおろか、親兄弟も売るのか! この恥知らずめ!」
(こんな男に、弓月様は心を奪われてしまった!)

――殺さねばならない。裏切り者は……敵は殺さねばならない。殺せ!

 
 朝の静寂を打ち破り、木々が瞬時にざわめいた。新蔵から立ち昇る妖気に、乙矢は眩暈を感じる。その瞳に、ほんの一瞬、濁った鬼の気配が横切り――。滝の音も、風の音も消え、里の戦闘を思い出すかのように、乙矢の左肩が抉られるように痛んだ。
 なぜ、新蔵から鬼の気配を感じるのか。一体、彼はどうなってしまったのか? しかし、そのことを考える隙も与えず、新蔵は間髪を入れずに乙矢に襲い掛かる。
 丸腰の乙矢には、ただひたすら逃げることしか出来ない。
 しかし、あがなうことすら赦されなかった罪を、目の前に突きつけられては……。逃げることが不当に思える。雑念は彼の動きから“切れ”を奪った。

「違う! 違うんだ新蔵。俺は……守りたかっただけだ! 姉上を救いたかった……それだけなんだ!」
「ふざけるなっ! 罪もない里人を殺しおって。貴様は鬼だ!!」
「さ、里人? どういうことだよ。誰が殺されたんだ!? 弓月殿は無事なのか!」
「茶番もそれまでだっ!」
「待て待て! 里が襲われたのか? 青龍が奪われたのか? 弓月殿は……」
 新蔵と戦うつもりは全くない。乙矢は、ただひたすら彼の切っ先を避けるのみだ。しかし、ハッと気付いた瞬間、崖に追い詰められた。逃げることより、訊ねることに意識が取られていたせいだ。乙矢は逃げ場を失った。
 彼の耳に滝の音が甦り、それはさっきより大きな音に聞こえる。――飛び降りるか? チラッと崖下に目をやった。決してなだらかとは言い難い斜面だ。細身の低木が所々に見える。運が良ければ、あれに引っ掛かり、滑り下りることが出来るやも知れない。下が川なら助かる可能性も――「無理だよなぁ、絶対」
 思わず口に出していた。裾の見えない崖に飛び降りて無傷で助かる訳がない。間違いなく枝葉を突き破り、地面に叩きつけられ即死だ。
 しかし、そこまで来てようやく、乙矢は新蔵の様子がおかし過ぎることに気付く。そして、彼が腰に差した脇差がいつもと違っていることにも。
「新蔵……どうしたんだよ、変だぜ? なあ、その脇差って」
「やかましい! これでお終いだ!」
 そう言うと、新蔵は長刀を腰に戻し、一矢から預かった脇差を鞘ごと腰から抜き、柄に手を掛けた。


 その瞬間、今まで遠くで聞こえていた声が、今度は体中に響き渡る。

――さあ、殺せ! 敵を殺すのが我らの宿命さだめ

 その声に後押しされ、新蔵は一気に間合いを詰め、決着をつけようと乙矢に飛び掛かった。しかし、この時、運命とも言うべき何かが、乙矢に味方をしてくれたようだ。
 新蔵の蹴った足場が崩れ、均衡を欠いた体は乙矢の方ではなく、なんと真っ直ぐに崖の方に突っ込む。
「おいっ、あぶないっ!」
 ハッとした瞬間、新蔵の身体は宙に浮き、その直後、吸い込まれるように姿が消えた。
 そして、何かが草木を突き抜け、崖下に撥ねるように転がり落ち……そんな音が谷間に響いたのだった。


〜*〜*〜*〜*〜


「よろしい。では、桐原新蔵、そちに命ずる。奪われた神剣と裏切り者である爾志乙矢の首を、私の前に持って参れ」
 一矢は、自分と同じ顔を持つ乙矢の首だけを望んだのだ。
「く、首……で、ございますか?」
 あまりに荒唐無稽な命令に、新蔵は、その内容が咄嗟に理解出来なかった。空耳かと思ったくらいだ。
 しかし、一矢は同じ内容の言葉を繰り返す。
「持って参るのは首だけでよい。判るな」
「あの……首だけ、とは。それでは、乙矢が死んでしまうと思うのですが」
 傍から見れば、随分間抜けな返答だろう。だが、新蔵は真剣だ。乙矢憎しの思いはあったが、いざ、殺せと言われたら、その熱は急速に冷えていく。
「それは殺せ、との思し召しですか? いくら裏切り者とはいえ、実の弟君ではありませんか? それに、まだ、本当に奴が盗んだとは……」

 その瞬間、新蔵の、この時代にしては珍しく短めに刈られた髪を、一矢は両手で鷲づかみにした。そのまま、グイと顔を突き合わせる。
 一矢の眼はじっと新蔵の双眸を睨んでいた。

「新蔵――奴はおぬしの崇める弓月殿から大義と貞操観念を奪い、何処にでもいる、ただ女子に変えたのだぞ。口惜しくはないか?」
 勇者の口から吐き出された呪詛のような言葉は、新蔵の瞳に浸透し、奥へ奥へと侵食して行く。動きの止まった新蔵の耳元に口を寄せ、一矢は続けた。
「勇者の血を引くというだけで、戦いから逃げるばかりの男に、大事な姫様を奪われても良いのか? 弓月殿が婿養子を迎え遊馬を継ぐなら、このままでは乙矢を選ぶぞ。おぬしは、乙矢を宗主と立てられるか? 本来なら、遊馬一門で最も腕が立ち、歳の近いおぬしが婿に選ばれるべきではないか? 乙矢さえいなくなれば、弓月殿はおぬしを選ぶに違いない。――気に病む必要などない。奴は『白虎』『青龍』と立て続けに盗んだ罪人。罪人を裁くのに遠慮は要らぬ。おぬしは勇者の選んだ剣士だ」

 それは新蔵が切望する、彼にとって都合の良い言葉ばかりであった。一定の拍子を保ちつつ、体に侵入してくる一矢の声は、まるで母の子守唄のように心地よい。ゆらゆらと視界が揺れて、眠りに落ちる寸前の浮遊感だ。
「よいな新蔵。おぬしには私の大事な脇差を与えよう。乙矢に止めを刺す、その時まで抜いてはならぬぞ。これには私の力が籠められている。私はおぬしに、最強の力を与えてやろう」

――お前は、勇者に選ばれた剣士だ。乙矢は敵だ。敵は殺さねばならぬ。

「乙矢を殺さねばならない……乙矢を殺す……」
 本人にはまるで自覚はない。だが、この時の新蔵の姿は『青龍二の剣』の鬼に心を奪われた正三と重なりつつあるのだった。


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