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弟矢 ―四神剣伝説―

第三十七話 心に眠る鬼

 そんな弓月の様子を気配で察し、凪は進言した。
「恐れ入りますが……先日、申しました通り、婚約は白紙に戻していただきとうございます」
「何ゆえだ」
「ですから状況が……」
「先代の宗主同士が決めたこと。今更覆すことは認めん。今の爾志家の宗主は私だ。おぬしらにも従ってもらうぞ」
「では……現時点で、遊馬の宗主は先代の弟にあたる私ということになります。女子は継承から外れますゆえ。一門の婚姻に関する取り決めは、私に一任されるはずです」


 凪は盲目である。それに、これは亡くなった先代宗主、凪の兄しか知らぬことだが、彼には失明以外にもう一つ後遺症があった。子を為せない、ということである。それは、後継者としては甚だまずいものだ。
「一旦、凪先生が宗主となり、姫がご夫君を迎えられた後、あらためて決められてはいかがでござるか?」
 女の弓月では宗主に立てない。そういった場合は、一門で最も武門に秀でた男を夫に迎え、後継者に立てるという、前例があった。今回の場合、正三や新蔵にその役目が与えられそうだが……直前で、正式に結納を交わした一矢の存在も大きい。生死が不明とはいえ、決して蔑(ないがし)ろには出来ず――結果、先のような折衷案を長瀬が出したのだった。
 しかし、自身の事情以外にも、凪には思うところがあり。最終的には、宗主の代行という形で、弓月を押し立てたのだった。

 だが、この少し前、凪は正三から昼間の出来事を聞かされる。
 元々が激しい気性の一矢だ。乙矢と弓月の、肉体的ではないにせよ、精神的な裏切りを知れば、ただでは済まさないだろう。
 だが、そういった事態に陥ることで、乙矢を縛る鎖を打ち壊す突破口になるのでは、と考えた。
 ところが、それ以前に乙矢が姿を消したのでは、お話にならない。凪の思惑はまたもや外れたようだ。どうやら、乙矢という男は、時間を与えれば逃げる方向にしか思考が向かぬらしい。
 後を追ったと言われる新蔵が乙矢を連れ戻し、合流を果たすまで時間を稼ぐ必要がある。凪は、これ以降は自分が矢面に立つことに決め、弓月を下座に座らせたのだった。


「ほう、宗主と名乗られるなら、当然戦闘にも加わっていただくことになるが……よろしいのか?」
「お待ちください。それは私が……」
「いや……」
 凪は手で弓月を制した。
「承知致しました。仰る通り、宗主の務めを果たしましょう」
 いつもと同じ、余裕の笑みで切り返したのだった。


〜*〜*〜*〜*〜


「痛っつぅ……」
 乙矢が里を出て丸一日、間もなく佐用に入ろうかといった辺りの山中である。
 かすかに滝音が聞こえる。道中の最も険しい辺りなので、切り立った斜面を滑り下りれば滝壷がありそうだ。だが、それは、滑り落ちるに相応しい形容となるだろう。誤って滝に落ちれば命はない。
 
 乙矢は山道から少し山中に足を踏み入れた。恐る恐る、木々の隙間を縫って流れる、小川のせせらぎに近づき、顔と身体を洗う。周囲の朝もやはまだ、充分に晴れてはいない。勝手の判らぬ山中で、しかも、身を守る小刀一本持たぬ状況では用心に越したことはないだろう。
 乙矢は一つ一つの動作をなるべくゆっくりにした。それでも、脱いだ片袖を戻そうとした時、思わず顔をしかめる。
 随分長い時間が過ぎたように思う。だが、高円の里での一件から、まだ十日も経ってはいない。肩の傷は、熱や腫れは治まったものの、そう簡単に癒えるわけはなかった。野宿などすれば尚のこと、である。

(弓月殿はどうしているだろう……。一言残して出るべきだったろうか?)
 
 結局、寝ても覚めても、ふとした拍子に思い浮かぶのは弓月のことだけだ。本音を言えば、今すぐにも引き返して彼女の傍に駆け戻りたい。義弟として、情けを掛けて貰えるだけでもいいから……。
 そこまで考えて、首を左右に振り溜息を吐いた。
 そんなものは嘘だ……ただの誤魔化しだ。すぐに忘れられる、諦められると思っていたが、遠ざかるほどに弓月が恋しくなる。彼女を妻に出来る一矢が羨ましい、その想いは醜い嫉妬を生み、それはいずれ憎悪へと変わるかも知れない。
 それに、神剣を手にした時のあの感覚……。あの瞬間、乙矢の中の何かが目覚め、身体を突き動かした。それは今も、乙矢の胸の片隅で、「逃げるな、戦え」と言っている。
 正三が言っていた「私の心には鬼がいる」と。乙矢は、その言葉に怯えていた。もし、自分の心の鬼が目覚めたら……弓月を慕うあまり、一矢を憎み本物の鬼へと変わるかもしれない。

 初めての恋と、兄弟の情……そして、両親を死なせた罪の意識を抱え、乙矢の心は迷路の中を彷徨っていた。
 途方にくれ、涙が浮かんできたのを再び水で流し、ようやく、乙矢は顔を上げた。日暮れまでには領地に入りたい。どこに身を隠そうか……と考えながら、山道に戻ろうと草むらを掻き分け、彼は斜面を登る。急な部分を一気に登りきった時、なぜか、二本の足が目に入った。
 ……足があるということは、当然胴もあり、その上には頭もあるだろう……今の彼に、近づく者は敵以外にはいない。と、思うと同時に……乙矢は身を屈め道に転がった。
 朝もやを斬り裂くように、鞘から抜かれた刀身が、乙矢の頭上スレスレを掠める。痛む左肩を押さえ、地面に片膝をついたまま、乙矢は敵を見上げた。――そこにいたのは、桐原新蔵であった。 


〜*〜*〜*〜*〜


「奴は女子の扱いには慣れておる。弓月殿は、見事、その手管に囚われてしまったのだ」
 新蔵の胸に“乙矢憎し”の思いが渦巻く中、一矢は言ったのだった。
 弓月に破門され、怒りの矛先を乙矢に向けていた彼の心に、『それ』は容易く入り込んだ。

「もし、本当に奴が神剣を奪ったなら、必ず双頭の龍を手に、私を狙って来るだろう。私を殺さねば弓月殿は手に入らぬからな」
「そんな、まさか奴もそこまでは……勇者である一矢様に刃向かうなんて……」
「そうだな。敵に利用されただけなら良いが、乙矢自身が鬼にされるやもしれぬ。奴は『白虎』に触れた事があるのだ。つい先日は、『青龍二の剣』も抜いた。私とは双子であるから、他の者より、神剣に長く触れていても、心を奪われることはないはずだ。だが、それは、奴の中の鬼が目覚めていない訳ではないのだ。いや、里人を殺めて神剣を奪った時点で、奴はすでに鬼であろうな」

――鬼は敵だ。敵は殺さねばならない。

 ドクン、と新蔵の鼓動が跳ね上がった。妙な気配と声が、直接脳裏に響いたからだ。それは、足元から這い上がり、股間から背筋を突き抜け首筋まで伝った。ざわざわと胃の腑辺りを素手で撫でられる感覚だ。そして、その感覚は次第に熱を帯びて……乙矢に対する負の感情を更に煽った。

「新蔵……私は、お前に頼みたいことがある」
「俺、いえ――私に、でございますか?」
「かなり危険な役目だ。だが……他の者では駄目だ。お前にしか頼めぬのだ」
 
 新蔵の呼吸が速くなる。自分が妙な汗を掻いていることに気付いていない。今の新蔵には、伝説の勇者が自分にしか頼めないという言葉に、彼の中の優越感が満足の声を上げ、更なる期待を望んでいたのだった。
「も、もちろん、喜んでお受け致します。神剣の主の命令とあれば、一命を賭しても必ずや果たして参りましょう」
「よろしい。では、桐原新蔵、そちに命ずる――」


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