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弟矢 ―四神剣伝説―

第三十五話 初夏の狂乱

(……奴のせいだ! 全部、乙矢のせいだ。奴が現れて……全てがおかしくなったのだ)
 怒りに任せて、新蔵は森の中を駆け巡った。里の入り口辺りで立ち止まった時、後方に何かの気配を感じ、振り向き様に刀を抜く。
 寸止めで機先を制するのが目的だ、と正三から教わった。だが、この時の新蔵は、一気に薙ぎ払った。野犬が断末魔の悲鳴を上げ、地面に転がる。
 胸が痛まない――沸々と湧き上がる、乙矢に対する憎悪に塗れた感情が、新蔵の心をどす黒く蝕んで行く。
 感情の振り幅が大きいのが、彼の欠点でもあり、長所でもあった。その感情が負に固定され、乙矢憎しの色を濃くしていく。それがどれほど危険なことか、この時の新蔵には気付くことが出来なかった。


〜*〜*〜*〜*〜


「佐用辺りに罠を張り、乙矢を始末せよとのご命令ではありませぬか? 狩野様はどうなされるおつもりです?」
 すぐに追撃命令が出るかと思いきや、関所で待機を命じられ狩野は面白くなかった。
 一年前、あの方の命令を受け、国境で一矢を待ち伏せ襲った。確実に仕留めるため、夜明けの襲撃を企んだのだが、決行は深夜と定められる。そのせいとは言い切れないが、手ごたえがあったものの、闇に紛れ見失った直後、一矢は崖から転落、川面に消えたのだった。
 その後、狩野の報告を受け、一矢は死んだであろうから、探索は不要と言われた。
 一時は納得させたものの……狩野の中でずっと燻り続けている思いがある。あの方は、爾志一矢本人ではあるまいか? と。
 だが、一矢・乙矢兄弟が同時に姿を見せ、城にあの方はいた。
 武藤には、「狩野様の考え過ぎでござろう」などと一笑に付される始末だ。

「武藤殿……確か一年前、私が一矢を襲う前に、西国の爾志一門を一掃されたのは、おぬしとあの方であったな?」
「いかにも。爾志の姫君は生かして連れ帰るつもりでござった。大変、美味な生娘でござったよ。いやいや、惜しいことをしたものだ」
 与えられた役目より、己の欲望を優先する武藤はそれでしくじることもあった。それでも、無駄な殺戮と暴行は止められないのであろう。まずは女のことを思い出す辺りが、狩野に理解できない神経だ。
「女の味はどうでもよい。爾志の宗主を殺すため、おぬしが乙矢より手に入れた『白虎』で鬼が作られたと聞いたが……」
「拙者も直接見たわけではないが……。そう聞いておりますな」
「だが、『白虎の鬼』は勇者でなければ倒せないのではなかったか? まあ、鉄砲隊でも連れて行ったなら別であろうが」
「ですから、あの方が『朱雀』で一閃されたのではござらんか? 数人の部下が見たと言っておったぞ。それで、間違いなくあの方は四天王家の血を引く、と幕府が認められたのだ。どの系統かは知らぬが、およそ誰かの落し胤でござろうな」

 確かに、自分の目で確認したことに違いはない。
 しかしあの天守閣は、それ自体が神剣を奉るための、様々な結界が施してあるという。あの場所に足を踏み入れられるのは、狩野と武藤のみ、他は、あの方に仕える小姓が二人……。その小姓は一人の時もあれば不在の時もある。
 勇者云々はともかく、あの神剣を抜いた人間は、血に狂った鬼になる者と、人外の力を操れる者とに分かれるのは事実。
「武藤殿、佐用に向かう人員の手配はおぬしに任せよう」
「狩野様はどちらへ?」
 白い肌と赤い唇に張り付いたような笑みを浮かべ、何も答えない狩野であった。


〜*〜*〜*〜*〜
 

「この里を出る、ということですか?」
「うむ。仕方あるまい。これ以上、里人の生活を脅かしたくはないのだ。我々が里を出たと明らかになれば、連中とてわざわざここを潰しにも来るまい」
「それは……そうでございますが」
 
 弓月は一矢に呼び出されていた。ちょうど、昨日、乙矢と話した場所だ。あの時、乙矢は「何処にいても、どんなに離れてても、俺に出来る全力で守る」そう言ってくれたのに……。その翌朝にはいなくなるなんて、あまりと言えばあまりな所業だ。やはり偽りだったのか、と思うと胸が潰れるように痛む。
 昨日と、ほぼ同じ風が吹き、小川のせせらぎが聞こえ、木々が夏に向かって一斉に芽吹こうとする生命の香りを感じるのに……傍らに一人の人間がいないことが、これほど心細いとは思ってもみなかった。
 逆であれば良かった。先に、乙矢に逢っていれば、間違えようもなかったのに……今更だが、悔やまれてならない。一矢が横にいながら、今の弓月の心は乙矢で占められていた。
 
 一矢はそんな気配を察したのか、
「乙矢のことなら心配は要らぬ」
「どういう意味でしょう?」
「新蔵に命じて探索に向かわせた。事を明らかにするためにも、探し出さねばなるまい」
「新蔵に?」
 弓月の胸に、不安と憤りが沸き上がって来た。
「新蔵は遊馬の剣士です。仕事を命じる前に、一言あるべきではございませぬか?」
「ほう、彼は遊馬を破門されたとしょげていたが……」
「それは……。私はただ、新蔵は乙矢殿に、不満を抱いていたように思います。その状態で、彼に任せるのはどんなものか、と。新蔵は誠実な男だが、いささか短慮な所は否めません」
 
 弓月の乙矢への献身は誰の目にも明らかで……それが、許婚である一矢をどう刺激するか、考えてもみなかった。弓月の口から弟の名が出るたびに、一矢の瞳に、業火を思わせる感情が浮かび上がる。
 この時、弓月は暑さのあまり、サラシを巻くのを怠っていた。一筋の汗が、弓月の白い首筋を伝わった……衿から垣間見える白桃を思わせる胸の谷間に、それは滑り落ちる。
 ――その瞬間、一矢は後ろから弓月を抱きしめた。
「何をなさいます! お放し下さい!」
 必死で身もだえするも、男の力には敵わない。首筋に一矢の唇が触れ、荒い息が掛かった。一矢の手が単衣ひとえの衿元から忍び込み……弓月の胸のふくらみに直接触れる。
「い、いやっ……やめて、放して!」
「なぜだ!? なぜ、乙矢に許せるものが、私に許せないのだ! そなたは私の妻になる身なのだぞ。それを……」
「誤解でございます。私たちは……そんな」
「たち? なるほど、総称する仲と言うわけか」
「違います! お放し下さい」
「弓月殿、そなたは私が守ると乙矢と約束したのだ。もう、男の形などせずとも良い。すぐにも私の妻となり、その務めを果たしてくれ!」
 それは、これまで経験したことのない、恐ろしい力だった。弓月は、自分でも気付かぬうちに涙が零れる。一矢の手が袴の脇から押し込まれ……太腿に触れた瞬間、全身を走る嫌悪感に、弓月は呼んではならぬ男の名を口にしてしまった。
「やぁっ! 乙矢殿、助けてっ!」
「なぜだ……何ゆえ、乙矢の名を呼ぶ!」
 一矢の怒りは頂点を超え、弓月の肌から離れた手は、その未熟な色香を漂わせた喉元を掴んだ。


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