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弟矢 ―四神剣伝説―

第三十四話 砂上の楼閣

 長く使われてなかったこの場所には、人の心を惑わす何かがあるのだろうか?
 里を吹き抜ける暖かい風は、どこか息苦しく、弓月の身体にねっとりと纏わり付いた。東国より西国のほうが、湿度が高いのかもしれない。
 そしてそれは、弓月だけでなく、遊馬一門の思考をも狂わせ始めていた。
 
 
 弓月は迷路に足を踏み入れた気分だった。
 一矢の言う通り、乙矢が『白虎』を蚩尤軍に渡したのだろうか? 例えそうだとしても、彼が神剣を盗むなどありえない。いや、百歩譲って盗んだとしても、里人を殺めることは絶対にない。――だが、もし、乙矢が自分のために罪を重ねたのだとしたら……。

「織田さん! 一矢様に向かって失礼だとは思わないんですか? 乙矢が『青龍』を盗んだのは明らかなのに!」
 弓月の混迷した精神状態を打ち破るように、新蔵が声を張り上げた。
 どうやら、勇者に刃向かった正三の言動に、許せないものを感じたようだ。
「新蔵、落ち着け。乙矢殿が盗んだと……」
「盗んだに決まってる! おいら、見たんだ。アイツが一矢さまに泣きついて謝ってるところを」
「弥太! 何を言い出すのです。そんなことが……」
 弥太吉の突然の告白に、その場にいた全員が蒼白になった。弓月にはにわかに信じ難いことだ。しかし、
「本当です! おいらに聞こえたのは、姫さまには話さないでくれって、知られたくないって……。それで一矢さまが――罪人にはしたくないから、里から逃げろって」
「弥太、それが事実ならなぜ我らに報告しないのです?」
 凪から軽く叱られた感じになった弥太吉は、それを不服だと言わんばかりに、口を尖らせた。
「別にそんな……。一矢さまがおいらに言ったんです。乙矢のことは責任を持つから、見逃してくれ、って。一矢さまは厳しいことも言われますけど、本当は弟思いの優しい方です! おいらはそう信じてます。なんたって、勇者さまなんだから!」

 言いたいことだけ言って、弥太吉は一矢の後を追って行った。だが、弥太吉の言葉は、必死で乙矢を信じようとする弓月の胸に衝撃を与えた。それは、運命を見失いそうになるほどに……。
 しばし無言の時が流れ、それまで黙っていた長瀬が口を開く。
「姫、一矢様は乙矢が蚩尤軍に鬼として利用されることを心配しておられるのでは?」
「果たして……それだけであろうか?」
「姫?」
「判らぬ。私には一矢殿だけでなく、乙矢殿のお気持ちも、全く判らなくなってしまった」
 そこに正三が口を挟んだ。
「姫様、乙矢殿が『青龍』を奪おうと画策するなら、これまでに何度も機会はあったでしょう。わざわざ、一矢殿が現れたこの機に、これほどの危険を冒してまで裏切る理由があると思われますか?」
 そんな正三の言葉に、凪も、
「確かに……少なくとも乙矢どのは、里人を殺せるような方ではないでしょうね」

「いや、理由は決まってる」
 そう言い切ったのは新蔵だった。あまりに刺々しい口調に、長瀬も厳しい声で、その真意を尋ねる。
「どういうことだ?」
「一矢様が現れたからですよ。弓月様を一矢様に返すのが嫌になったんだ! 奴は、実の兄を亡き者にして、自分が勇者に成り代わり、弓月様を……」
 バシンッ!
 そこまで口にした瞬間、弓月の右手が新蔵の左頬を打った。弓月の両目は怒りのあまり真っ赤になっている。
「口を控えよ、新蔵! 『返す』とはどういうことだ? 私がいつ、乙矢殿のものになった? お前はこの私が、許婚がいながらその弟君と情を交わし、不義の罪を犯したと言っているのだぞ!!」
「そ、そんなこと……それは、一矢様の生死が判らなかった時で。第一、弓月様はずっと奴を傍に置かれたではありませんか!? この里に着いてからも、夜毎、奴の枕元に付き添われて……」
「判った。宗主の代理たる私が信用できぬと言うなら、この場で破門と致す。私のために、命を懸ける必要などない! 今すぐ立ち去れ!」
「そう、ですか。弓月様はあの男に誑かされ、大義も忘れてただの女子に戻るおつもりか! もうよいっ!」
 新蔵は叫ぶように言うと、背を向けて走り去った。それを唖然と見送ったのは、弓月らのほうだ。
 確かに、新蔵は直情型で猪突猛進の男だが、筋を通して話せば、すぐに襟を正すような男だった。要するに、口は悪いが根に持つ人間ではない。乙矢のことは、最初は嫌っていたものの、頭から見下した態度が次第に対等なものとなり始めていたのだ。
 それが、この里に落ち着いてから……新蔵の態度は、最初の頃に戻ってしまった。本人に面と向かって、勇者の弟というだけの役立たず、と口汚く罵ることもあったくらいだ。しかも、それは乙矢に対してだけではない。鬼と化した正三や、盲目の凪のことすらも軽んじるようになってしまった。

「前々から、考えるより先に行動してしまう奴ではありましたが。まさかあのように、姫に刃向かうなどとは……」
 長瀬も呆然としている。
「新蔵だけではござらぬ。弥太も私の言葉を聞かぬようになった。それに……長瀬どの、そちもいささか変わってはおらぬか?」
「拙者がでござるか? そんなことは……」
「些細なことではあるが、おぬしは弓月どのの後ろではなく、一矢どのの後ろに立つようになった。それは意識してのことだろうか?」
「いや、そんな……それは、判らぬが。ただ、凪先生。我らは、勇者殿に従うために、西国まで来たのではあるまいか?」
「確かに、目的は間違いありません。我らは、勇者どのを求めて参った。そう、本物の勇者を……正三、如何致した?」
 正三はさっきから黙り込んで何事か考えているようだ。そんな彼の気配に気づき、凪は声を掛ける。
「いえ……何か、引っ掛かることがあるのですが、それが判らぬのです。喉元に小骨が刺さっているようで……いささか心地悪い」
 この時、弓月らは、新蔵のことだ、すぐに詫びを入れて弓月の元に戻って来る。そう、楽観していたのだった。


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