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弟矢 ―四神剣伝説―

第二十八話 臥待月の下にて

 重い体を引き摺るように、乙矢は最初に寝かされていた部屋に戻った。そのまま体を横にし、ギュッと目を瞑り、眠るんだと自分に命令する。
 ――この布団も、一矢の指示で、高円の里から急ぎ運ばせたものだと聞いた。皆の期待通り、一矢は帰ってきてくれた。弓月も無事で……この先は全て一矢がやってくれる。昔のように任せておけばいい。そう思うのだが……。
「ぜんぜん、眠れねぇ」
 
 自分の声が耳から聞こえ、乙矢は目を開けた。思わず、口にしていたようだ。
 肩の痛みはともかく、心がざわめいて一向に眠れそうもない。諦めて、体を起こすことにする。
 結局、再び廊下に出てしまい……今また、弓月や一矢と顔を合わす気にはならない。方向を変え、乙矢は、正三が寝かされている部屋に向かった。
 自分の部屋に戻る前に、凪と一緒に訪ねたから場所は判っている。その時は、鬼に乗っ取られかけた精神的疲労が大きいのか、まるで目を覚ます気配はなかったが。

 スッと引き戸を開くと、正面の格子窓から月明かりが差し込んでいた。乙矢の寝かされていた部屋より一回り小さいが、そこは畳の間だ。経年相当の傷みはあっても、腐って床が抜けるほど酷くはない。
 夏の夜風がサワサワと部屋の中に注ぎ込み、左頬にも吹き付けた。乙矢の部屋には、高い位置に格子窓があるだけなので、髪が靡くほどの風は望めない。見回すと、廂へ向かう障子が開いている。しかし、先ほど訪ねた時、障子はきちんと閉じられていたはずだ……。
 ふと気付くと、寝間に正三の姿はなかった。
 乙矢は月明かりに導かれるように、廂のほうへ歩を進める。
 そして障子の向こうに見えたのは……臥待月ふしまちづきの下で、自らの腹を引き裂こうとする正三の姿であった。

「ば、馬鹿野郎! 何やってんだっ!」
 肩の痛みも忘れ、飛びついて正三を止める。
「放せ! 私はもう遊馬の一門ではない。姫様を手に掛けようとした……万死に値する。武士の情けだ。せめて自害させてくれ」
「でも掛けちゃいねえ!」
「お前が止めたからだ! お前が止めなければ、間違いなく殺していた」
「いいや。お前に姫は斬れない。俺が止めなくても、寸でのとこで正気に戻ってたはずだ!」
「馬鹿を言うな! 鬼の声に耳を貸し、神剣の主になったつもりで、私は剣を揮った。己の心に驕りがあったのだ。なんと弱い、無様なことか……私の心には鬼がいる。それに気付いた以上、姫様のお傍にいる資格などない」
「でもお前は、自分の意思で青龍を手放した。鬼にはなれなかったんだ。――弱くたっていいだろ? 鬼がいたっていいじゃねぇか。完璧な人間なんていやしねぇよ。せっかく戻って来れたのに、なんで死ななきゃならないんだ?」
 正三は、不思議なものを見るような目で、乙矢を凝視した。
「なぜだ……俺はお前を刺したんだぞ? 間違いなく、お前を殺すつもりであった」
「敵だって思ったからだろ? でも、殺さなかった」
「それは……」
「鬼を倒すために、鬼になる覚悟で剣を抜いたんだ。あんたは間違いなく勇者だよ。神剣に選ばれなきゃ駄目か? 俺や弓月殿が、そう思ったんじゃ足りないか?」
 乙矢は、右手で正三の胸倉を掴み揺さぶった。
 正三は俯くと微かに首を振り、
「いや……。乙矢……もう誰も殺させない。そう言ったのは、お前か?」
「え? ああ……どう、だったかな。あの後は、よく覚えてないんだ」
「お前……『二の剣』を手に、戦ったのか?」
 らしくなく、正三の声は震えていた。
「そう、みたいだ、な。でも、左肩が疼いて……すぐに意識が落ちちまったからな。鬼になる間がなかった、というか」
「……」
 正三は顔を上げると、無言で乙矢を見つめ続けた。その目は、まるで得難い……尊いものでも見つけたかのような、慈愛に満ちた眼差しであった。
 
「まあ、あの後すぐ一矢が駆けつけてくれて……おかげで全員命拾いってわけだ。よかったな。あんたが言ってた通り、神剣の持ち主が現れてさ。これで、勝機も出たってことかな」
 正三の視線に気付くこともなく、乙矢は一所懸命に嬉しそうな声を出した。
 内心は――本物が現れた以上、偽物に出番はない。弓月のことで、下手に手を出せば、一矢の怒りを買いかねない。間違っても、一矢と弓月を争うつもりはない。
 結局、自分は鬼にすらなれない能無しなのだ。そう思うと情けなくて、弓月はおろか、誰の目もまともに見ることが出来なくなった。
 
 だが正三は違った。彼は知っている。鬼の声に心を囚われたら、鬼へと変化するのに傷や痛みなど関係ないということを。――鬼の声に『否』と言えた者は、鬼にはならない。
 正三は、目の前の霧が晴れたような心持ちで言葉を選んだ。
「ああ……神剣の主を見つけた。お前がそう言うなら、私は生きよう」


〜*〜*〜*〜*〜


 瀟洒しょうしゃな城の外見とは裏腹に、天守閣への階段は狭くみすぼらしいものであった。そこを、細身の狩野はすいすい上がるが、屈強な武藤にしたら、昇り難いことこの上ない。
「狩野様、本当によろしかったのか? 先触れも出さず、閣下の前に参上するなど……しかも『青龍一の剣』を奴らに取り返されたのですぞ。拙者なんぞ、この場で斬られるのではあるまいか?」
 どうやら、足取りが重いのは階段の造りのせいだけではないようだ。
 
 ここまでの道中、狩野は何も説明しようとはせず、あの方がおられるはずの城に戻る、と言ったきりであった。
「のう、武藤殿。あの方は何ゆえ、暑苦しい鉄冑に加えて妙な面までつけておられるのだろうな?」
「それは……顔に酷い傷を負われたと、拙者は聞いておりますが」
「勇者の末裔を自称し、四神剣の伝説を利用して見事に幕府方に取り入った。今では、正規軍の半数を蚩尤軍の呼称で動かしておられる。顔を見られて困るのは、似た顔がもう一つあるせいではなかろうか?」
 後一階昇れば天守閣だ。狩野は不遜な発言をしつつ、武藤を振り返った。
「まさか……あの時の……いや、しかし、一矢を東国と西国の境で襲ったのは狩野様ではございませんか? 確かに手ごたえはあった、と。あの方が現れたのは、それより以前。しかも、その後すぐに東国の遊馬家を襲ったのでは?」
「手ごたえはあった。だが、死体を見たわけではない。影武者いう策を弄するものは、これまでにも、たくさんいたはずだ」
「しかし……」
 
 戸惑う武藤に再び背を向けると、最上階を目指した。
 正体を知っておいて損はない。鬼にされて、使い捨てになるのは真っ平ご免だ。狩野はそう考えながら階段を昇りきる。
 その時、中央に仕切られた六畳ほどの天主の間から声が聞こえた。

「どうやら、しくじったようだな」

 仮面越しのその声に、狩野の表情は凍りつく。武藤はすでに平伏していた。
「『青龍一の剣』までも奪われたか……」
「はっ! 申し訳ございません」
 予想が外れ、双六が振り出しに戻った気分の狩野であった。
 
 だがこの時、部屋を見回せば気付いたかも知れない。
 数日前まで、壁に祀られていた神剣『朱雀』が消えている、ということに。


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