PREV | NEXT | 目次

弟矢 ―四神剣伝説―

第二十七話 見えぬ桎梏

 ここは約五十年前まで高円の里があった場所だった。地すべりの被害で十件余りが崩れ、田畑も埋もれた。そのため、ここより街道に近い位置に里を移したのだ。この里を知るものは少ない。当時も生きていた年寄りか、父に聞いたという一矢だけである。そう……ここは、乙矢も知らぬ場所であった。
 
 あの後、意識のない乙矢と正三を抱え、ひとまずこの里に辿り着く。それらの指示は全て一矢がやった。目の前で、勇者の剣を見せられた長瀬や新蔵が、一矢に逆らうはずもなく。近くで見たわけではないか、平然と神剣を手にする一矢を、弥太吉や里人は、勇者と讃えた。
 凪には思うところがあるようだが……敢えて逆らうことはしない。
 だが、弓月は違った。
 
 一年前、確かに弓月は一矢と正式に結納を交した。だが、矢羽の左右にも等しい二人を、見間違ったことはそれほどの罪であろうか? 何も起こらなければ、弓月は一矢の妻となっていたかも知れない。
 だが、運命は偽りを許さぬようだ。蚩尤軍の横槍が入り、祝言の日を迎えることなく、乙矢と出逢ってしまう。――たとえそれが、この時代にあって、正し難い過ちであったとしても。


「乙矢殿は何度も私を助けて下さいました。『一の剣の鬼』からも、鬼に心を奪われた正三の剣からも、守って下さったのは乙矢殿です!」
「いや……あれは」
 弓月の言葉は嬉しかった。だが、一矢を前にすると、事勿れ主義で生きてきた乙矢の悪い部分が顔を出す。
 兄は、弱い弟を殊更可愛がった。無論、それを直接言われたことなどない。自覚があるのかないのか、乙矢には判らない。しかし、傍目にも一矢は、兄思いの弟にあらゆる面で自分以下であることを強いたのだった。気付けばそれは、兄弟の間で当たり前のようになっている。
 乙矢にも責任はあるだろう。争うことより従うことを、率先して選んでしまったのだから。

「ほう、知らぬ間に随分強くなったのだな」
 口調は穏やかだ。知らぬ人間が聞いたら、成長した弟を心から褒めているようである。
「いや、強くなったわけじゃ……」
「私の名を名乗ったのは、凪殿のお考えと聞いたが……。いささか無茶が過ぎるとは思わなかったのか?」
「それは……でも」
「お前とて爾志家の嫡流、気持ちさえ強く持てば、それなりの剣は揮えよう。だが、そのせいで、二桁もの里人が犠牲になったのだ」
「……」
「遊馬一門の方々は、お前のことをご存じないのだ。瓜二つの我らを、混同しても仕方なかろう。だが、お前には言ってきたはずだ。くれぐれも、私のような無茶をしてはならぬ、と」
「……は、い」

 弓月は唖然としていた。凪も同じ気持ちのようで、深いため息を漏らしている。
 乙矢は、一矢の前では萎縮してしまい、まるで言葉を忘れてしまったかのようだ。その姿は、借りてきた猫より酷い。弓月の中では、行き先のない苛立ちのみが募った。
 一方、凪は自分の策が失敗したことを、改めて悟っていた。
 弓月に対して芽生えた想いに、乙矢の中の真実は目覚めつつあった。それは……男が女を求める感情は、何より強い。たとえ一矢と争っても、弓月を得ようとするはずだ。そう考えたのだが……。
 どうやら、ここ数年どころではないらしい。生まれた時から十八年にも渡る精神的弾圧は、乙矢の心に深く根付き、その上堅牢な鎖で縛り上げられていた。


「では、縁の者が次々に犠牲となる中、一年もの間姿を隠しておられた勇者殿の責任は如何致します?」
「姫、それは」
 許婚に対して、あまりに殺伐とした口調だ。これまで控えていた長瀬が諌めようと口を開くが、弓月はそれを無視した。
 乙矢の態度はともかく……さりげなく、全ての責任を弟に押し付けようとする、一矢のあまりの言い様に、弓月は声を荒げずにいられなかったのだ。
 確かに、思い起こせば、最初に会った時から、一矢は傍若無人で自信過剰の男ではあった。実力の伴う自信や揺るぎない信念は、その一瞬は誰もが目を奪われる。
 しかし、今の弓月はそんなことでは誤魔化されない。一矢の、弟に対する理不尽な責任転嫁は、当の乙矢に代わって追求する心積もりだ。
 
 弓月のあまりの剣幕に、乙矢はおろおろしていた。なぜなら、一矢は表には出さなかったが、弓月に対する怒りを瞳に映したからだ。それは、乙矢だけが気付くものであった。
 だが、一矢に浮かんだ負の感情は、すぐに消える。そして、弓月の問いに躊躇いながらも答え始めた。
「確かに。恥になるので黙っていましたが……東国からの帰路、蚩尤軍に襲われ瀕死の重傷を負いました。再び剣を手に戦えるようになるのに、一年も掛かってしまった」 
 そう言って、弓月の前ではあったが、突然、諸肌を脱いで見せた。その上半身には、大小無数の刀傷があり……全員が息を呑む。
「そ、それは……」
 弓月は驚きのあまり注視したが、慌てて頬を染め、視線を逸らす。一矢は、そんな弓月を見て軽く微笑んだ。
「いや……お見苦しいものを弓月殿の目に入れてしまった。お許し下さい。ただ、姿を隠していた理由を聞かれたので、答えたまでのこと。怪我を負った未熟さを、言い訳にしようとは思っておりませぬ。仰る通り、いざという時に誰も守れなかったのは私の責任。戦いを好まぬ乙矢に剣を持たせたのは、私の不徳だと思っております」
 
「一矢のせいじゃない! 全部、俺が悪いんだ……。弓月殿も、これ以上庇ってくれなくていいからさ」
「乙矢殿……。いえ、一矢殿、失礼なことを申しました。何卒、お許し下さい」
「いや……弓月殿の私に対する期待ゆえ、と思っております。しかし、腑に落ちぬ点が一つ……あなたは、私の許婚であったはずだ。それとも、この一年で、あなたの許婚は弟に代わったのであろうか?」
 一見、平静を装っていたが、それは周囲に大きな動揺を生む質問だった。
「何を言うんだ! 弓月殿は俺がお前の弟だから、ずっと庇ってくれてただけだ。それだけだよ……」
「弓月殿もそうでしょうか?」
「私は……」
 
 答えを躊躇した弓月の気配を察し、横から凪が答えた。
「遊馬家当主の父上と後継たる兄上を亡くされ、弓月殿のお立場は変わられました。一門か四天王家から、いずれ何方かを婿に迎え、遊馬家を継ぐことになられるやも知れません。そうなれば、爾志家のご当主となられた一矢さまに嫁ぐのは、如何なものでしょう」
「なるほど……。確かにそうなれば、私より次男の乙矢が婿に入るのが筋であろうな」
 そのまま引くかと思われた。しかし、一矢の気性でそれはあり得ないことを、乙矢は知っている。
「ですが、残念ながら、私は弓月殿以外の女子おなごを妻を娶る気はござらん。後継が必要なら、我らの子供にそれぞれの家を継がせることも可能であろう。――乙矢はどうだ?」
「えっ? あの……」
「私と弓月殿を争うつもりか、と聞いている?」
 
 一矢の瞳は真っ直ぐに乙矢を見据えていた。胸の中に、わずかに芽生えた思いを見事に射抜かれ、乙矢は息をするのも苦しい。
 そして、一矢の後ろから感じる弓月の縋るような視線も、乙矢には重圧だった。
 弓月を守りたい、その一念で慣れぬ剣を手に人を斬った。
 そんな乙矢に『青龍』の鬼は言った。
 
――敵を斬れ。そうすれば、望むものが手に入る。

 左肩の傷が疼き、心の臓が早鐘を打ち始める。彼女を妻に出来る、そんな一矢は羨ましい。だが、兄と争ってまで、となると……
「俺は、一矢の代わりに弓月殿を守ろうとしただけだ。この先は、一矢が守ってくれるよ。俺が出る幕なんか……」
 乙矢は俯き、その声はどんどん小さくなる。
 そんな不甲斐ない乙矢を無視し、弓月は自ら宣言した。
「一矢殿。『青龍一の剣』を取り戻して頂き、深くお礼申し上げます。ただ……今は父や兄、一門の仇を討つまでは、どなたの妻になる気もございませぬ。そして、それは……乙矢殿には、何の関係もございません!」


PREV | NEXT | 目次
Copyright (c) 2010 SHIKI MIDOU All rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-