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弟矢 ―四神剣伝説―

第二十六話 一矢 ―かずや―

 ――人の話し声が耳元で聞こえる。ゆっくりと、瞼を開けた乙矢の耳に響いたのは、
「あなた……乙矢が……乙矢が」
 聞きなれた優しい、なのに、懐かしい声だ。母上だ。どうしてこんなに慌てているのだろう? ぼんやりとした頭で乙矢は考える。
 だが、
「この大馬鹿者がっ!」
 いきなりの怒声とともに、布団から引き剥がされ、父の拳が乙矢の頬に炸裂した。
 いやでも目が覚めるというものだろう。
「あれほど禁域には足を踏み入れるな! 神殿には入るな、と言ったはずだ。それを……」
 父の頬は引き攣り、肩は震えている。
「あなた、お止め下さい」
「お父様……どうかお許し下さい」
 母や姉が父に縋っている。その瞳にも涙が溢れていた。
「僕のせいです! 僕が悪いんです! 僕がおとやを連れて行ったんだ。だから、父上、おとやを殴らないでっ!」
 そう叫んで、一矢が畳に平伏していた。

「あの……なんで、こんな」
 十歳かそこらの少年には似つかわしくない、ガラガラの声だった。二歳年上の姉・かすみが乙矢に近づき、そっと頭を抱き寄せた。
「良かった。あなたと一矢は、『白虎』を封印する神殿に入ったのよ」
「あ……かずや、は?」
「僕は大丈夫だ。おとやは三日も意識がなくて……鬼になったのかと思った……このまま死ぬんじゃないかって……生きてて良かった」
 そう言う一矢の目にも涙が浮かんだ。
「一矢があなたを連れて神殿から逃げ出してくれたのよ。一矢も気を失ったけど、すぐに意識を取り戻して……母はあなたを失うのかと思いましたよ。二度とこんなことはしないで頂戴」
 そうして、今度は母上が乙矢を抱き締めた。
 確かに、神殿に乙矢を引っ張って行ったのは一矢だった。
「僕とおとやと、どっちが神剣に相応しいか、はっきりさせよう!」
 一矢はそう言ったのだ。
(ああ、一矢が無事で良かった。もう二度と一矢や父上を怒らせないようにしよう。母上と姉上も泣かせないようにしないと……大好きな家族と離れずに済んで、本当に良かった)
 乙矢は、心の底から安堵のため息を吐いた。


〜*〜*〜*〜*〜

  
 ――ガヤガヤと大勢の話し声が聞こえた気がした。
 ハッとして、身体を起こそうと身じろぎした時、左肩に激痛が走る。おゆきに右腕を刺された時の比ではない。体が燃えてるんじゃないか? と思ったほどだ。
「痛っ――どう、なってんだ」
 暗がりにジッとしてると、しだいに目が慣れてきた。真上に藁葺きの天井がある。どこかの家屋の一室に思えた。星空が見えるよりはましだろう。宿場と違って、吹き込む風は木々の瑞々しさを含んでいる。その風が、火照った乙矢の体を冷やしてくれた。
 自由になる右手で触れると、左肩の傷はしっかりと手当てがしてあった。
 自分が無事だということは、弓月も無事であろう。しかし、『青龍二の剣』を肩から引き抜いた後は、記憶がはっきりしない。奴らは半数以上残っていたはずだ。あの状況で、どうやって助かったのだろう?
 誰かに聞きたいが、近くには誰も居なかった。
「グゥ……」
 歯を食いしばり、痛みを堪えて体を起こす。どうしても、呻き声が出てしまう。出血が酷かったのだろうか……上体を起こすだけで、頭がくらくらした。入り口を探して視線を巡らせたが……しだいに壁が歪み始め、気分が悪くなり布団に突っ伏する。

 ゆっくりと十まで数え、もう一度頭を起こした。今度はどうにか我慢出来そうだ。とにかく、弓月の無事だけでも確認したい。
 乙矢が寝かされていたのは、荒れ寺よりまともで、布団と呼べる代物であった。しかし、床は畳ではなく板間である。そろそろと這い出し、壁まで辿り着く。そのまま、もたれ掛かる様に座ると、今度は膝に力を入れ、一気に立ち上がった。
 唇を噛み締め、痛みに耐える。すると、同時に色々なことが思い出された。
 正三は無事だろうか? 正三に斬られた長瀬の怪我は酷いのだろうか? ほんの数日一緒にいただけの人間なのに、なぜか他人には思えない。
 神剣などどうでもいい、と口では言うが……。
 『四天王家は助け合わねばならない』それは、幼い頃から、乙矢の深層意識にすり込まれたものであった。

 引き戸をどうにか開け、壁伝いに廊下に出てみる。辺りは暗闇だ。
 そこは、大きな寺のように感じた。高円の里に、こんな寺があった記憶はない。角を曲がると、渡り廊下が見え、その向こうから光が漏れていて、かすかに、人の話し声が聞こえた。
「おや、気がつかれましたかね、乙矢さま」
 ビクッとして振り返ると、百姓姿の女が廊下の奥から歩いて来た。
「こ、ここは、何処なんだ? 弓月殿は無事なのか? それだけでも教えてくれ!」
「姫さんは一矢さまと一緒に、あちらにおられますよ。もちろんご無事です」
「そうか、一矢と……え?」
 乙矢の表情が固まったことに気付かず、女は続ける。
「里の者は十二人も殺されました。でも、伝説の勇者さまが現れた以上、もう奴らの好き勝手には出来んでしょう。一矢さまが生きておられて本当に良かっ」
 女の言葉を最後まで聞かず、乙矢はよろめきながら廊下を走った。足がもつれ二度ほど転んだが、そんなことはどうでもいい。灯りの漏れる引き戸の前に立つと、一気に開け放った。


「乙矢殿! 気が付かれたのですね。本当に良かった。前の傷も癒えぬうちでしたから、三日も眠られたままで、心配致しました。もう、起きておられて大丈夫なのでしょうか? ……乙矢殿?」
 弓月は心底嬉しそうに、一気に捲くし立てる。女の言葉どおり、彼女に怪我はなさそうで、ひとまずホッとした。
 
 そして、弓月の隣に座るのが……この世で唯ひとり、無条件で信じられる自分の半身。母の腹に居たときから、共に生きてきた魂の片翼――。

「乙矢……無理は致すな。遅くなってすまなかった。だが、どうにか間に合ったであろう」
 一年以上前に別れたきりの、兄の顔だ。それは、東国へ発つ朝に見送った時と、寸分変わらぬ笑顔であった。
 乙矢は、張り詰めた糸が一気に緩み、そのまま一矢に抱きついた。
「一矢、一矢……良かった……生きててくれて……本当に良かった」
 一矢は弟を抱き締め、
「悪かった。肝心な時に守ってやれずに。父上や母上は、残念だった」
「ごめん……俺のせいだ。俺の。誰も助けられなかった。姉上も……。戦わずに逃げ続けた俺のせいなんだ。爾志の名に相応しくない、俺の」
「違う、弱いのはお前のせいじゃない! 私が守ると約束したのだ。責任は私にある」
「でも……俺」

「乙矢殿は弱くなどありません!」
 その時、弓月はキッパリと言い切った。



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