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弟矢 ―四神剣伝説―

第二十五話 勇者の生還

 弓月の耳に馬の蹄の音が聞こえた。
(まさか! 敵の援軍)
 もし、そうであれば、弓月らに取る手立てはない。『青龍二の剣』を手に乙矢は倒れ、正三も意識不明だ。長瀬も重傷を負い、新蔵は、弓月の周囲の敵を蹴散らすのに精一杯である。
 凪と弥太吉の身も案じられたが、今の弓月には知る術はなかった。
 正三に斬りかかられた動揺をどうにか抑え、彼を止めるべく再び立ちはだかった。しかし、一旦萎えた心は、すぐには奮い立たず、この期に及んでは、刀を手にする気力すら潰えてしまった。
 
 この時、弓月はただの少女に戻っていた。
 乙矢は、彼女を守るために正三の剣を受けた。そして、約束通り、神剣を抜いたのだ。自分は一門の正三を止めることすら出来なかったのに……。
「乙矢殿……乙矢殿……お願いです。目を覚まして……お願い」
 弓月は乙矢に縋りつき、泣き震えていたのだった。


 馬のいななきは徐々に近づいてくる。それは一騎だけのようだ。馬上の主は、笠を被った若武者風のいでたちである。
 蚩尤軍も、敵か味方か判断がつきかねるようだ。そんな彼らの頭上を見事に馬で飛び越え、一直線に弓月の元に駆け寄った。
「弓月様! お気をつけ下さい!」
 新蔵も弓月を守りに行きたいが……声を掛けるだけで精一杯の状況だ。自分たちに活路があるのかどうか、先など全く見えない。

「貴様、止まれ! 言うことを聞かぬなら」
 男は、弓月の手前で馬から飛び降りる。数人の蚩尤軍兵士が近づき、制止するが……。なんと男は問答無用で蚩尤軍を斬り捨てていった。
 弓月は、その見覚えのある剣捌きに、動悸が静まらない。
(まさか! でも……そんなことが)
「待たぬかっ! 拙者、蚩尤軍、西国の将を務める、武藤小五郎である。貴様は何者だ!」
 最前列に姿を現した武藤は、厳しい口調で男を誰何した。男のほうは、左手で笠の紐を解くとゆっくり面を見せる。
「なっ!?」
 武藤のみならず、その場にいた弓月以外の人間は驚愕の声を上げた。その男は今、弓月の腕の中で横たわる爾志一矢を名乗った男に瓜二つであったからだ。
「何者とはおかしなことを言う。高札を見て参った。私を呼んだのは、其の方ではないか」
「貴様は……まさか」
「四天王家筆頭、爾志家嫡男、一矢である。父亡き今、私が爾志家の当主だ。まずは『青龍一の剣』を我らに返してもらおう」
 武藤は喉の奥が詰まったような呻き声を発する。そして、その表情は凶悪なものへと変化して行った。
 一方、乙矢にそっくりの、見覚えのある声と容姿。自信と自尊心に満ちた口調は、兄の一矢に相違あるまい。待ち焦がれた人である。それなのに……しだいに、乙矢を掴む指に力が入る弓月であった。


「なるほど、あなたが本物の一矢殿か。我らは、偽物に踊らされていたわけですね。さて、困ったことになったものだ」
「狩野……様。控えておられるよう、お願いしたはずだが」
 武藤は怒声を上げたいのを必死で堪えた。仮にも、あの方の右腕と言われる男。武藤自身も、目の前で暴走した鬼を一刀両断にした狩野を見た事があった。
 その眼前で、この失態。最早、武藤に取れる手段は一つしかない。例え、この身を鬼にしても、神剣を奪われる訳にはいかぬ。彼は覚悟を決めて、近習に命じた。
「神剣……『青龍一の剣』をここに持て!」
「え? あっ、いえ、あの」
「どういたした! さっさと持って来ぬかっ!」
「あ、あの、報告申し上げます! 狩野様のご命令で……」
「なんだとっ!」
「まあ、落ち着かれよ、武藤殿。本物の、一矢殿と申されましたな。そろそろ、先ほど仕込んだ、『一の剣』の鬼が目覚める頃でございます。取り戻したくば、鬼を倒していただきましょう」
 そんな狩野の後ろから、不気味な影を立ち昇らせ、また、剣の鬼がひとり……。

 
 その様子をジッと一矢は見つめ……フッと笑った。
 踵を返し、乙矢の脇に膝を突く。弟を見つめる一矢の目に、慈しみと蔑みを併せ持つ、複雑な感情が浮かび上がった。しかし、その手は――ごく自然に『青龍二の剣』を掴んでいる。
「お待ち下さい、一矢殿! もし、万に一つも……」
 弓月の心配は最もだろう。この上、一矢も鬼になれば、わずかに芽生えた勝機も、一瞬で霧散する。心細げに見上げる弓月に向かい、一矢は静かに微笑んだ。
「無用な心配だ。かつて『白虎』は私を選んだ。『青龍』も必ずや手中に収めてみせよう。黙って、見ているがいい」
 言うなり、一矢は乙矢の手から、神剣をもぎ取った。
 同時に、一矢の内で鬼が騒ぎ出したのであろう。静かに目を閉じ、呼吸を整える。その動きは一旦止まった。
 その時、一瞬で敵兵が四散。その中央から『一の剣』を手にした『鬼』が姿を現す。その男は、先ほど武藤に言われ、神剣が納まった白木の箱を抱えていた兵士であった。強引に持たされたのであろう……腹の辺りの着物が裂けている。それは、腹に深い傷があることを示していた。 

「なんと……惨い真似を」
 弓月はあらためて、蚩尤軍の遣り様に怒りを覚えた。 
「――それが奴らだ」
 荒い息が治まると、一矢はそう口にした。 
 『鬼』は真っ直ぐに、一矢……いや『二の剣』に向かって突進してくる。目覚めたばかりの獣に相応しい咆哮は、惨劇の場と化した山里を再び震撼させた。武器庫に上がった火柱は、すでに屋根の萱も、そして、そこを踏み荒らした弓兵も燃やし尽し、沈静へと向かっている。炭となった梁が『鬼』の雄叫びに崩れ落ちた。
 不意に、一矢も身を翻し『鬼』に向かって疾走する。
 すれ違い様、一矢は『鬼』の首を刎ね飛ばした。脇に避けた蚩尤軍兵士の真ん中に、その首が転がり……混乱した彼らの数人が、闇雲に一矢に斬りかかった。
 その様子に慌てるでもなく、あっという間に十人近くの敵を斬り伏せる。
 それは、到底、鬼に乗っ取られた所業には見えない。明らかに神剣を制して戦っている。その恐ろしいほどの剣捌きに下っ端どもはこぞって逃亡を始めた。

「貴様ら! 逃げる者は刀の錆びにしてくれるぞ!」
 西国の蚩尤軍を統括すべき武藤は、逃げ出す部下をその手で斬り殺した。まさに狂気の沙汰だ。やはり自分が……と『青龍一の剣』に走り寄ろうとしたが、その肩を狩野が押さえた。
「離されよ! さもなくば斬る!」
「まあ待て、武藤殿。――あの方の素顔を見たいとは思わぬか?」
「何をこんなときに」
「こんなときだからこそ、見れるやも知れぬぞ」
 勇者の誕生か!? と言うときになって、狩野は顔に冷酷な笑みが戻っている。武藤にはさっぱり判らない。
「では、せめて『一の剣』を」
「本物の爾志一矢が現れた以上、どのみち『青龍』では役者が足らぬわ。――ここは引こう」
 それぞれに敗走を始める兵士に紛れ、狩野らも姿を消す。一矢もそれに気付いたが、敢えて深追いはしなかった。


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