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弟矢 ―四神剣伝説―

第二十三話 鬼か、勇者か

 ――お前は強い。素晴らしいほどの強さだ。我らを手にする資格がお前にはある。さあ、我の半身をその手に掴め。
 
 その誘惑は、女の肌より心地よい。心の内に抱え込んだ自信と自尊心を刺激され……正三の中の、鬼が目覚める。

「正三?」
 乙矢も近づこうとはしたのだ。だが、持ち上げた足が震えて一歩も前に進まない。
「正三……正三……私が、判るか? その剣を、手放すことが出来るか? 答えてくれ、正三っ!」
 そんな乙矢の横を、弓月はゆっくりと正三に向かって進んだ。そして、彼の腕に触れようと、手を差し伸べた瞬間――。
「危ないっ!」
 乙矢は瞬きもせず正三を見ていた。弓月が近づいた時、彼の腕がふわっと上がるのに気付く。行動に理由などない。ただ、咄嗟に弓月に飛びつき、二人はもつれ合うように地面に転がった。
 その時、たった今まで弓月のいた空間を『青龍二の剣』の刃が煌いたのだった。

「正三っ! てめえ、何やってんだよ! 弓月殿を守るんじゃなかったのか。しっかりしてくれよ!」
「しょう、ざ」
 弓月は呆然として正三を見つめていた。彼の目が、弓月を映さなくなることがあるなんて、夢にも思わなかった。張り詰めた糸が切れるように、彼女はその場に座り込む。涙が溢れて止まらない。大事な仲間を鬼にしてしまった。
 ふと見ると、さっきまで『鬼』だった男がそこにいた。正三の手で斬り捨てられ、すでに骸と化している。首だけが地面から生えたように……虚ろに開いた目がこちらを見ていた。柵の外に転がった腕は、死して尚、『青龍一の剣』をしっかり掴んでいる。
 神剣の鬼はどうやら、『二の剣』を持つ者に、宿主を替えたようだ。


 乙矢は震える手足で数回、正三に飛びついた。なんとか、彼の意識を呼び戻そうとしたが……その都度、思い切り振り払われている。
 だが、丸腰の乙矢を斬り殺そうとしない。どうやら『二の剣』は『一の剣』を求めているようだ。
 対になる剣を正三に取らせ、真の鬼を作り上げる気だろうか? と乙矢は思った。

 
 だが、それは蚩尤軍によって阻まれた。
 武藤小五郎が精鋭部隊を連れて立ちはだかった。複数の兵士が一気に斬りかかるが……鬼となりつつある正三の敵ではない。あっという間に斬り捨て、正三は武藤の前に立つ。
 乙矢は、今度は武藤が『一の剣』を抜く気か? と案じたが、奴がしたことは、なんと、腕ごと拾い上げたのだ。そのまま体を反転させ、なんと、後方から駆けつけた長瀬と新蔵の元に走り寄る。新たに誕生した『鬼』の意識を、長瀬らに向ける作戦であった。


 長瀬らは、里人を追う蚩尤軍兵士を殲滅せんめつしながら、ようやくここまで来れたのだった。
 突然、現れた敵将に、臆せず戦う新蔵だったが、わずか数回、刀を合わせると飛び去るように背を向けた。一体、何のことか判らず、新蔵は唖然と敵を見送る。
「あの連中、何がやりたいんでしょうか?」
 長瀬は新蔵の問いに答えず、一点を凝視している。そして呟いた。
「正……三、まさか……」
「織田さん?」
 二人は……特に新蔵は、駆けつけたばかりで事の成り行きが飲み込めていない。
 自分らに向かって突っ込んでくる正三を、不思議そうに凝視するだけだ。

「逃げろ! 正三は『二の剣』を抜いたんだ!」
 柵の壊れた箇所まで回りこむのは面倒だ。乙矢は柵を乗り越えながら、新蔵らに向かって必死に叫んだ。だが、そんな乙矢の悲鳴に被さるように、正三は二人に斬りつける。
「何という事だ!」
「え? 剣をって」
 瞬時に理解した長瀬に比べ、新蔵は訳がわからず、棒立ちのままだ。
「新蔵、伏せろ!」
 長瀬は新蔵に飛びついた。彼は、咄嗟に地面に引き倒され瞬殺は逃れた。だが、鬼の声を聞いた正三の目に、彼らは敵として映っている。正三は眼前の敵を倒すため、続けて長瀬を襲った。

「嘘だ……嘘だろ? なんで織田さんが、そんな馬鹿な」
「正三っ! 正三……目を覚ませ。『青龍』を放せ……放すのだっ!」
 長瀬も必死で応戦するが、二十年来の付き合いである正三を、敵とみなして斬ることなどとても出来ない。いや、本気で斬りかかる勇者の血を持つ剣士を、『鬼』を押さえる力量は長瀬にはなかった。
 迷いは剣を鈍らせる。長瀬の持ち味である豪胆さは欠片も見えず……とうとう、正三の『二の剣』が長瀬の腕を斬り裂いた。切断こそされなかったものの、かなりの深手だ。そうなって初めて、新蔵は事の重大さが理解出来たのだった。
「織田さんっ!」
 まともに斬りかかったのでは勝負にならない。正三が膝をついた長瀬に剣を振り上げた瞬間、新蔵は体当たりをした。体格で優る新蔵は正三に圧し掛かり、剣を取り上げようとする。
 だが、
「いかん、新蔵。抜き身の『青龍』に触れるな! お前も鬼になるぞ!」
 長瀬の言葉に新蔵はビクッとして躊躇する。その隙を突いて、正三は新蔵を蹴り飛ばした。
 
 ようやく駆けつけた乙矢は長瀬を助け起こし、少しでも正三から離した。
「どうすんだよ。倒せねえ、触れねえじゃ……奴を止めらんねぇ」
「斬る、しかあるまい」
「……!」
 長瀬の言葉に、乙矢は息を呑む。
「正三を殺すのか? でも、誰がそんなこと……」
「乙矢殿……拙者が囮になる。『青龍』はこの身で止める! その隙を突いて……奴の息の根を止めてくれ。我らに正三は斬れぬ。おぬししかおらぬ。奴を……遊馬の剣士として死なせてやってくれ! 頼む」
 長瀬に震える声で告げられ……乙矢の鼓動は息苦しいほど早くなった。心の臓が口から飛び出しそうだ。
「ま、待て、なあ、もっと他に何か」
 決心など出来ようはずもない。しかし、その乙矢の迷いを断ち切るように、正三の前に飛び出した影があった。
「正三! お前に私は斬れぬ。鬼の声に負けるな! 鬼を抑えて剣を納めよ!」
 弓月は涙を拭うと脇差をしまい、両手を広げて正三の前に立ちはだかった。
「姫、お止めくだされ! 姫っ!」
 
 瞳の白い部分が次第に濁り始める。黒と混ざり合い、瞳には何も映さなくなる。先ほどの男同様、正三は口の中で何事か呟き続けていた。
 直後、里が震えるような咆哮を上げ、弓月に襲い掛かった。正三は手にした『青龍二の剣』を弓月の喉元目掛けて突進した。
 同時に、乙矢も弓月に向かって走る!



 ――斬れ。立ち塞がる敵は全て斬り捨てろ。お前にはその資格がある。これは青龍を手にするものの宿命。斬り捨てねばならぬ。

 斬らなければならない、と鬼が耳元で言い続けるのだ。正三の瞳に、立ち塞がるものは全て敵に映っていた。だが、遠くで懐かしい声は聞こえる。それに耳を傾けようとすると……

 ――まやかしにうつつを抜かすな。斬るのが使命、さだめだ。さあ、敵を斬り捨てろ。我が更なる力を与えよう。

 その剣の声に耳を貸した瞬間、身体中に力が漲った。無敵の……神剣の力を手に入れたように感じる。まるで、勇者に選ばれたようだ。

 ――そうだ。これは神剣の力。お前は我に選ばれた。迷うことなく斬れ。

 敵を斬らねばならない、勇者の証として。

 
 真っ直ぐに自分に向かってくる『青龍二の剣』を避けることなく、弓月はそのまま目を閉じた。
(正三は私を斬らない。そう信じる)
 だが、父は『鬼』と化し、我が子を斬った。答えは明白だ。だが、理性ではなく感情が、正三を信じろ、という。いや、弓月自身が信じたいのだ。

 刹那――ズサッと剣先が肉に突き刺さる、嫌な音が辺りに響いた。弓月の鼻に血の匂いが広がり、目の前が真っ赤に染まった。だが……どうしてか、痛みはない。
「グゥ……」
 歯を食いしばり、苦痛に耐える声が聞こえる。弓月の前に立ち塞がり、正三の剣を体で受け止めていたのは、乙矢であった。


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