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弟矢 ―四神剣伝説―

第二十一話 『青龍』の鬼

 『青龍』
 二尺四寸の一の剣、一尺五寸の二の剣の二本で一対。“双頭の龍”とも呼ばれる。神剣といえども一本だけでは、本来の十分の一程度の力しか出せない。その代わり、四天王家の血を引く者であれば、一本だけなら勇者でなくとも操れる可能性があるという。刀身は月の光を思わせるように、冷たく、蒼く光る……四神剣のうちで、もっとも穏やかな鬼が宿る剣である。


〜*〜*〜*〜*〜

 
 その一本は……正三の背中にあった。
 囲いの中央に縛られた男が、縄を引き千切って暴れ出すと同時に、正三は地面に膝をついた。
「織田さんっ! おいら、凪先生を呼んで来ます!」
 正三の異変に、同行していた弥太吉は、務めを放り出して凪の元に向かおうとした。だが、その少年の手を掴み引き止める。
「駄目だ。我らが火を点けねば、他の皆が動けん。私は行かねばならん。弥太……お前が武器庫に火を放て。出来るなっ!」

 
 弓月の背に、本物の神剣を背負ったままではすぐにばれてしまう。そのため、神剣の守護を一時、人に任せることにしたのだ。残った中で勇者の血を引くのは叔父の凪か、遠縁にあたる正三の二人のみ。弓月は凪に委ねるつもりだったが、
「姫様、どうか私に、『二の剣』の守護を任せて貰えませぬか?」
 正三の真摯な眼差しに心を動かされ、弓月は彼に託した。

 織田正三郎――彼は、勇者の血を引くことに誇りを持ち、代々、遊馬家の師範代を勤めてきた。遊馬のため、弓月のために命を捨てる覚悟はいつでもある。だが、伝説が真実だとしても、太平の世に勇者の出番はなかろうと、高を括っていた。その反面、心の奥底では勇者の血に思いを馳せ、それに対する憧憬が消えることはなかった。
 正三は、自らの腕に自信を持っている。ともすれば、それは『青龍二の剣』一本なら自分にも扱えるやも知れぬ。……そんな甘い考えに、囚われる危険を孕むものであった。
 わずかな恐怖とそれが見えなくなるほどの期待を胸に秘め、初めて神剣を背にする。だがそれは、正三の予想を外し、危険を忘れてしまえるほど、軽いものであった。
 

 たった今まで、まるで背中にあることを忘れていたほどなのに、一人の男の姿を見た途端、状況が一変する。
 背中が焼けるように熱い。そして、どんどん重くなる。さらには、何かが語り掛けてくるようだ。
 そう……裂かれた半身を求めて、『二の剣』が前へ進めと命じる。そこに、己の半身がいる、と教えていた。
「待って下さい、織田さん。行くって、いったい何処へ?」
「『一の剣』が呼んでおるのだ。――火を放った後は、すぐに森の中に身を隠せ。よいなっ」
「織田さん!」
 
 弥太吉には訳が判らない。何より優先せねばならない役目を放り出し、正三は里人が囚われている囲いに向かって駆けて行ってしまう。しかも、『一の剣』が呼んでいると言う。
 すぐにも凪の元に駆け戻りたい心境だ。しかし、ここまで弓月の役に立つどころか、足を引っ張る一方である。なんとしてもこの手で火を点けねばならない。ひとまず正三のことを頭から振り払い、弥太吉は火種を絶やさぬよう、武器庫に忍んで行った。


〜*〜*〜*〜*〜


 長瀬は、武器庫の陰から飛び出し囲いに向かって突進する正三を、目の端に捉えた。
「凪先生! 正三がっ」
「まだです。我らは動いてはなりません。火の手が上がるまで」
 凪は今にも飛び込みそうな新蔵を押さえて言った。だが、その顔はいつもの冷静さを失っている。
「凪先生。いったい何が起こっているのです!」
「『鬼』です。正三は背負った『二の剣』の声を聞き、対となる『一の剣』の元に走ったのでしょう」
「そんな……」
 その言葉に、凪だけでなく、長瀬と新蔵の顔色も変わった。
 火の手は上がるだろうか? もし上がらなくても、弓月らは渦中にいるのだ。神剣を持った正三をこのままには出来ない。判ってはいるが……彼らも宗主の最期を聞いている。万に一つも、正三が同じ道を選んだ時は――知らず知らず、刀を握る手に力が籠もる三人であった。


〜*〜*〜*〜*〜


 それでも尚、怯まないのは弓月に流れる勇者の血ゆえか。彼女は、真っ先に刀を抜き、里人たちを救うため、柵の繋ぎ目を斬り、ぐら付いた部分を蹴倒した。
「逃げるんだ、早く! 女子供を先に逃がせ! さあ……立つのだっ!」
 弓月が開けた箇所に人々が殺到し、逃げ惑う里人の土煙で、柵の中は混乱の極みであった。その時、左手から殺気を感じ、弓月が後方に飛びずさる。
 ――半瞬差で、弓月の居た場所が剣で薙ぎ払われた。
 それは、彼女が初めて、『神剣の鬼』と対峙した瞬間だった。
 
 鬼にされたのは、どこにでもいそうな一兵士に見える。間違っても、それほど腕は立ちそうにもない。だが、その目は血走ったまま焦点が定まらない。口からは、絶え間なく呪言のような言葉が漏れ続けていた。そして、瞳の光が刻々とその色を変える。獣……いや、人外に近づいて行くような気配に、弓月は底知れぬ恐怖を感じた。
(これが鬼か……人の心を奪われるのか?)
 弓月の心に、鬼にされた男に対する情が過ぎる。しかしそれは一瞬であった。弓月を殺そうと男は上段から斬りかかる。それは予想外にも緩慢な動きであった。弓月は余裕でかわし、攻撃に転じようとした。だが――反して、返す刀は恐ろしく素早い。太刀筋はまるででたらめで、攻撃の拍子も狂いまくっている。普通の人間が、そんな動きをすれば、骨や筋肉が耐えられるはずがない。
 男は、そんな人外の動きで、間髪を入れずに、次々と弓月に襲い掛かった。彼女はそれでも、里人を逃がしながら、鬼の剣を紙一重でかわして行く。
 しかし、弓月のかわした剣先は、近くにいた女の首を薙ぎ払い……その時だ。母の首を落とされた幼子が、喉が張り裂けんばかりの泣き声を上げた。弓月は一瞬気を取られ……しまった! と思った瞬間、血に染まった剣先は、弓月の頭上に振り下ろされた!

 
 弓月の前に影が過ぎり、ガッと剣が組み合う音が聞こえる。彼女の前に立ちはだかったのは、乙矢であった。凪が仕立てた偽りの神剣を、それも抜かずに本物と合わせる。
「弓月殿っ! 無事かっ!」
「乙矢殿……はい、私は大丈夫でございます」
 人の血にありつく、寸での所で邪魔をされ、鬼の剣は宿主の身体を借り、獣のような咆哮を上げる。その雄叫びに、二人とも言葉を失った。
 この時の乙矢は恐怖を感じる余裕すらない……思考回路は停止状態だ。神剣を手に『鬼』は獲物を乙矢に定め、狂ったように襲い掛かる。乙矢は必死で逃げるが、足元には里人の屍骸が転がり、動きがままならない。その上、背後の柵は高過ぎて、乗り越える前に餌食になりそうだ。乙矢はたちどころに追い詰められ……
「くそったれ!!」
 汚い言葉を吐き捨てると同時に、乙矢は腹を括った。直後、偽物の神剣を、壊れかけた鞘から抜き去る。最早芝居どころではない。流派もなにもなく、がむしゃらに襲ってくる鬼の剣をかわすので必死だ。
 避ける間もなかった。剣を合わした瞬間、それは、耳をつんざくような音を立てて、偽物に相応しく真っ二つに叩き折られる。
「乙矢殿っ!」
 弓月は叫びながら、咄嗟に手にした自身の剣を乙矢に放った。飛びついて手に取るが、それでも、鬼の剣に敵うものではない。すぐさま追い込まれる。
 乙矢が間合いを取って立て直そうとすれば、『鬼』は手近な里人を斬りつけるのだ。策を立てる暇もなく、人外の力と斬り結び続けるのは至難の業だ。ましてや、乙矢は剣を手に戦うのはこれが二度目である。自信もなければ経験もない、あるのは弓月を守らねばという想いのみ。
 
 とにかく、里人を全員逃がせれば活路は拓ける。幸か不幸か、『鬼』は敵味方関係なく斬りつけるので蚩尤軍の連中も不用意に近付けずに居たのだった。
 その時、親を殺された幼子が、その亡骸に縋りつき声を上げて泣き始めた。『鬼』は容赦なく幼子に剣を振り下ろす。それを寸前で止めたのが弓月だった。
 しかし、長刀は乙矢に渡しており、短い脇差ではとても鬼とは斬り結べない。
 迷っている場合じゃない。乙矢は手にした刀で『鬼』を背後から逆袈裟で斬り上げた。手応えはあった。また人を殺した、何人殺さなきゃならないのか……乙矢の胸が後悔で一色になった瞬間、『鬼』は体を起こし、振り向き様、乙矢の刀を弾き飛ばした!


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