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弟矢 ―四神剣伝説―

第十八話 必要な犠牲

「武藤様! 奴らが現れましたっ!」
 見張りの上げたひと声に……里の空気は一瞬で、その色と温度を変えたのだった。
 
 関所から北に約五里ほど進んだ山中に、高円たかまどの里がある。里人は、爾志家に縁のある者たちばかりだが、とくに武門の出という訳ではない。様々な事情で爾志家の世話になり、その恩を返すために、万一の時の協力は惜しまない、といった具合だ。
 火急の備えに、里のほぼ中央に武器庫があった。茅葺き屋根、入母屋いりもや造りの家屋は、爾志家が建立したものである。その、武器庫の前に位置する広場に、木で出来た急ごしらえの囲いがあった。その中には、老若男女、約五十人の里人が押し込まれている。皆、一様に不安そうな表情だ。

 彼らの中にも、爾志一矢の名は轟いていた。彼こそは勇者に違いない、必ずや戻って来て爾志家を再興してくれるはずだ。皆、乙矢と思いは同じだった。そして、かたや双子の弟・乙矢は、目の前で父母を殺され、なんと不甲斐ないことか……それも同じだったのである。

 
 その時、里の南口から乙矢と弓月が姿を見せる。隠れ里とはいえ特別に何かが施してあるわけではない。街道から少し逸れた脇道に入った場所に里はあった。乙矢らはその正面から堂々と入ってきたのだ。
「一矢様だ!」
「そうだ、一矢様に違いねぇ!!」
 囲いの中に囚われた里人達から、俄かに歓声が上がり、なんと予想外にも活気に包まれたのだった。
「あれは……神剣だ!」
「一矢様はやっぱり勇者様だったんだ!」
 彼らは、乙矢の手に握られた『青龍二の剣』を見つけ、そう叫んだのだった。


〜*〜*〜*〜*〜


 二刻前、無人の関所で彼らは困惑していた。

「――そのように、書かれてあります」
「それは……まずいことになりましたね」
 さすがの凪も、高札に記された文面までは、気配で察することは出来ない。正三に音読してもらい、蚩尤軍の取った手段に一言呟くと、後は黙り込んだ。だが、同じ事態でも、長瀬は違う判断を下す。

「姫、ここは好機でござる。連中の目が高円に集まっておるうちに、北東に抜けるが得策でござろう」
 弓月は顔色を変えた。
「それは……里の民を見捨てよと言うことか?」
「姫のお気持ちは充分に。しかし、我々の人数ではとうてい救うことは叶いませぬ。ならばいっそ、我々が逃げたと思わせたほうが、奴らも里人を解放するのではござらぬかな」
 そんな長瀬の言葉に新蔵も同意した。
「そうです、弓月様! わずかでも可能性のあるほうに賭けましょう!」
「勇者の使う手とは思えんな。だが……この窮状では仕方あるまい。みすみす、『青龍二の剣』を渡すわけにもいかんしな」
 正三は不満有り気ではあったが、やはり背に腹は替えられぬ、と言うところであろう。だが、凪はあえて意見を言わず、そのまま乙矢に振った。

「乙矢どのはどう思われますか?」
「凪先生! どうして一々、奴の意見をお尋ねになるのです!?」
「待て、新蔵。私も知りたいと思います。乙矢殿……あなたならどうされますか?」
 乙矢の持つ独特な雰囲気は、新蔵も無視しがたいものに感じていた。だが、それ以上に、弓月が乙矢の名を呼ぶ声が、日を追うごとに、女の色香を含んでくるのが口惜しい。

 小さな関所だ。千人溜とはいえ、実際は千人も入りきらないだろう。それでも、常駐の役人だけでも数十人。別当代として武藤の名があるということは、あの時の百人の兵が同行していることは間違いない。更に、神剣の鬼……。乙矢は喉の奥から言葉を搾り出した。
「あんたら……本気で思ってんのか? 解放なんてする訳ねえだろ。刃向かう力のない者は、家畜と同じなんだからさ。それくらい知ってるだろ?」
 乙矢は、高札を睨みつけたままだ。

「これは戦だ。姫と神剣を守るためなら、ある程度の犠牲は已む得んだろう」
 長瀬の、確固たる意思の前に、乙矢の言葉などきれい事にしか聞こえない。だが、
「戦う力がないから殺されるのか? 神剣を守るために犠牲になれって言うのか? 『護国の神剣』が守るのは、民か? 剣か? いったいどっちだよっ!」
 
 きれい事とは、総じて正しい事だ。乙矢の言葉が正しいのは誰もが判っている、だが、敢えて長瀬は反論した。
「ではここで、数十人の里人を救うために、青龍を奪われ、我々全員殺されても仕方なし、と言うのか?」
「そんなこと言ってねえだろ。連中が殺気立ってんのは一矢が現れたせいだ。それは……俺のせいってことだろ。結局、用があるのは俺なんだ」

 弓月には乙矢の言わんとする ことがようやく判った。
「駄目です、乙矢殿! 行ってはいけません。助けたいのは誰もが同じです。だが、大義の為には、涙を呑んで耐えねばならない時もあるのです!」
 弓月の脳裏に浮かんだのは、父や兄のことだった。願わくば、自分もあの場に残りたかった。最後まで、父を人に戻すために、戦いたかったのだ。しかし、大義の為、逃げることを優先した自分は間違ってなどいない。弓月にそれを、否定することなど出来ようはずもなかった。

「悪い、弓月殿。俺には、それだけはよく判んねえや。とにかく、さ。奴らの前に出て行って、一矢の名前を騙ってました、ごめんなさいって言ってくる。まだ使えるって思われたら、殺されないだろうし、用無しって思われたら……そん時はしようがねぇよな」
 乙矢の呆気らかんとした台詞に、新蔵は心底、脱力したようだ。
「お前なぁ……この期に及んで、まだ白旗を振るつもりか?」
「武藤って奴は、とにかく強ぇぜ。俺で勝負になるわけないだろ? 弓月殿、ごめんな。俺にはやっぱ、一矢の代わりにはなれないや。せめて、皆が逃げる間の時間稼ぎくらいはするからさ。それで勘弁してくれよ」
 静かに、それでいて少し哀しそうに乙矢は微笑むと、丸腰のまま皆に背を向けた。夜明け前の森に、乙矢の姿が吸い込まれそうになり……弓月は慌てて、およそ彼女らしからぬことを言ってしまう。

「私も行きます!」
「姫っ、なんと仰るか?」
「凪先生……『青龍二の剣』をお願いできますか? これだけは奴らの手に渡すわけにはいきません」
「弓月様っ! どうして、そんな……それほどまでに」
 混迷の只中で泣きそうな表情の新蔵だ。だが、少しずつ乙矢への態度は変わり始めていた。これが最初の頃であったなら、「弓月様を誑かすな!」と乙矢の襟首を掴んで、詰め寄っていた所であろう。

「奴らが名指しにしてるのは爾志一矢殿と私です。乙矢殿に兄上を名乗らせ、巻き込んだのがこの私であるなら、責任を取らねばなりません」
「行ったら殺されるぜ。いや、女ならもっと酷い目に遭うかも知れない。弓月殿は旗印になるべき人だ。俺とは違う」
「いいえっ! 乙矢殿ひとりでは決して行かせません!」

「一つ策があります」
 見詰め合う……いや、睨み合う、弓月と乙矢の間に、そう投げ掛けたのは凪だった。
「いささか危険ですが、成功すれば時間稼ぎにもなり、『青龍一の剣』を取り戻すきっかけにもなるはず」
 凪の言葉に乙矢が言ったのは、
「失敗すれば?」
「仲良く三途の川を渡ることに致しましょう」

(……仲良くは無理だろうな)

 場違いにも、優雅に微笑む凪を見ながら、誰もが心の中で同じ言葉を唱えたのであった。


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