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弟矢 ―四神剣伝説―

第十七話 覚悟

「凪先生は、どう思われますか?」
 蚩尤軍の様子を見計らい、乙矢の言った通りの獣道を抜けることになっている。関所破りをするのだ、一行にもそれなりの緊張感が漂っていた。
 新蔵が斥候に出向いた合間に、長瀬は凪の隣に座り、問い掛けた。

「何がでしょう?」
「無論、乙矢殿のことでござる。一矢殿ではないと思うが、あまりにも似すぎている。あの剣捌きは、とても修練だけで辿り着ける領域とは思えぬのだ。それに……」
 凪は立ち上がり、長瀬に背を向けながら答えた。
「一年前に見た一矢どの以上であった、と?」
「それは……ただ、敵の持つ刀の半寸程度の脇差で……しかもあの一瞬で、五人をも倒せる男など、拙者は一人しか知らぬ」
「それは一矢どのではない、と言われますか?」
「とぼけるのはお止めくだされ。拙者の知る最強の剣士は……あなただ、凪先生!」

 季節は巡り、間もなく夏が来る。当たり前の日常が消え去ってから二度目の夏。二人の間を初夏の夜風が流れ、木々の葉を揺すった。長瀬の言葉に凪は答えない。静寂を破ったのは、長瀬のほうであった。
「一矢殿を見たとき、あなたの若かりし頃と重なった。素晴らしい才能だが、自信と慢心が紙一重の危うい剣だ、と。だが、乙矢殿は……」
「穏やかで優しい男です。騙されても、踏みつけられても……あの方なら、人を信じることを止めぬでしょう。助けてくれと言われたら、黙って逃がしてやるような男です。例え、親の仇であっても」
 さすがにそれには長瀬も鼻白む。
「それは、褒めるべきことでござるか?」
 長瀬の言うことも判るので、凪も否定はしなかった。
「さあ、どうでしょう。――ただ、あの腕は、見過ごしがたいと思っているだけです」
「だが、人を殺したくないという者を、神剣は選ばぬであろうな」
「そればかりは『青龍』に聞かねば判りますまい」

 長瀬はもう一つ気になることがあった。
 乙矢はあの時「――弓月殿を鬼には出来ない。それだけは……出来なかった」そう言った。奴は、兄の許婚である姫に懸想しているのだろうか? いや、それだけではない、姫の乙矢を見る瞳も、この上なく危険だ。義弟や同志に向ける眼差しではない。だが、言わずとも凪なら察しているはずと、長瀬はあえて言葉にはしなかった。


〜*〜*〜*〜*〜


「どうしてそれほどまでに、一矢殿でないことを罪のように言われるのです?」
「えっ?」
 急に言われ、乙矢は驚いて弓月を見つめた。話がある、と言われ、二人は皆とは少し離れた場所に来ている。話し声が届かないというだけの距離ではあるが。

「凪先生に聞きました。自分に力はまるでない。一矢殿ではないんだから、と。何故、そんな風に思うのです? あなたは爾志家の血を引く立派な剣士です。第一、その手で私を救ってくれたではありませんか」
 弓月にそんな風に言われ、乙矢は昔を思い出しながら答えた。
「十くらいの頃だと思う。俺も父上に認めて欲しくて、一矢に負けたくなくて必死で頑張ってた。そんな時……」
 
 乙矢は一度だけ一矢に勝ったことがあった。だが、その時の一矢の怒りようは今でも忘れられない。優しかった一矢が、二人きりになって豹変したのだ。
 当時の乙矢には、一矢の心の葛藤はわからなかった。だが後になって、勝つこと、強さを示すことが一矢の生きる証だと気付く。彼は、守るべき存在であった弟に、自分の価値を否定されたのだ。幼い苦悩は、一門の禁忌を犯すほど高まり……。ついには『白虎』の元へと二人を向かわせた。
 だが、乙矢にとって敗北はさしたることではない。生きることは勝つことではなく、家族の笑顔や幸福が、彼の願いだった。大好きな兄に邪険にされ、それが自分の勝利に起因すると悟った乙矢は、その日から闘うことを止めてしまう。乙矢が怯えて逃げれば逃げるほど、弱さを見せ付けるほどに、兄は喜んで弟を庇ってくれた。

「――まさか、こんな事態になるなんて思っても見なかった。だから、一矢に任せておけばいいって」
 弓月は唖然として、首を左右に振る。信じられない思いだ。
「そんな……では、一矢殿のために、あなたは」
「一矢のためじゃない。俺のためだよ。俺がその方が楽で、幸せだったんだ!」
「でも、稽古は続けてこられた。でなければ、あれほどの腕は揮えないでしょう?」
「稽古は嫌いじゃなかったからな。でも、試合が怖いのはホントだぜ。争いごとは苦手なんだ。俺の負けでいい、って思っちまう」

 弓月は両刃の剣の話を思い出していた。 
「私は再び、武藤に襲われたときのような事態に陥れば、今度こそ『青龍二の剣』を抜きます」
 キッパリ言い切る弓月に、乙矢は声も無かった。彼女はそのまま続ける。
「乙矢殿、あなたにお願いがあります」
「ど、どんな?」
「もし、私が鬼となり、一門の者に斬りかかった時は……どうか、私を斬り捨てて」
「嫌だ!」
「乙矢殿」
「断わる! 絶対に駄目だ。それくらいなら、俺が……」
「――乙矢殿?」

 口の中がカラカラだ。唾でどうにか湿らせて、乙矢は言葉を続けた。

「俺が、神剣を抜く。一矢が現れるまで、俺が弓月殿を守るよ。だから……絶対に抜くな」
 真っ直ぐに弓月の瞳を見つめて宣言した。弓月もそんな乙矢から目が離せない。二人はそのまま吸い寄せられそうになり……だが、寸での所で留まる。
「私を……守ってくださるのですか?」
 弓月は慌てて乙矢に背を向け、その仕草も声音も、急に娘らしくなる。
「……力の及ぶ限り」
「人を斬ることになっても?」
「それは。人を殺めたくはないけど、それ以上に、弓月殿に死んで欲しくない」
「乙矢殿――」

 微かに、無造作に伸びた雑草を踏み締める音がした。それは、風や野兎の気配とは明らかに違ったが、高揚する二人の耳に、届くことはなかった。


〜*〜*〜*〜*〜


 千人溜せんにんだまりの門外に身を潜め、乙矢らは静まり返った関所の気配を窺った。様子がおかしいと、斥候から戻った新蔵と共に一行が駆けつけた時、そこはまさしく無人であった。
「ありえぬことでしょう? 初めは罠かと思いましたが……本当に誰もおらぬのです」
 もぬけの殻とはこういうことを言うのだろう。門は閉じられており、人の気配は全くなかった。周囲の山林もくまなく探したが、特に罠らしきものも見当たらず……。
 そして、関所の中に最初に足を踏み入れた正三が、御制札場ごせいさつばに、罪人の処刑を記した高札を発見したのだった。

『 罪人を匿った咎により、明朝日の出の刻、高円の里にて順番に里人の処刑を行う。
  幕府転覆の首謀者たる爾志一矢、遊馬弓月両名が出頭しだい、処刑を取り止めるものとする。 
                       美作みまさか関所 別当代べっとうだい 武藤小五郎 』

 ――日の出まで、二刻ふたときを切っていた。


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