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弟矢 ―四神剣伝説―

第十三話 死に至る毒

 この時、乙矢の脳裏に何かが警告を発した。
 ――おゆきが手にした珊瑚の玉かんざしは、とても宿場女郎ふぜいの持てるものではない。


「適当なことを言って、乙矢さんに罪を擦り付ける気だろう!」
「そうではない。事情は話せぬが……」
「お前のような女は殺してやるっ!」
「!」
 この時代、腰に二本の刀を差して袴を着用していれば、まず“男”だ。今の弓月を見て、“女”と思う人間は限られている。

「よせっ! おゆき!」
 女のかんざしで差されたところで、さほど深い傷になろうはずがない。弓月にも、そんな油断があった。それでも、顔面に振り下ろされたかんざしを、咄嗟に腕で受けようとする。しかし、それより先に腕を差し出したのが乙矢だった。
 かんざしの先端は鋭いきりのように尖っていた。それは一寸弱、乙矢の腕に食い込む。

「乙矢殿!」
 そんな弓月の声に、ようやく全員がただならぬ気配を察した。しかし、おゆきは乙矢を差したことで、呆然と立ち尽くしている。
「おゆき……もう、いいだろ? もう止せ」
「どうして……どうして、お前さんが、そんな女を庇うんだい。それなりに、楽しくやってたじゃないか? こんな連中が来るまでは……」
 乙矢は腕に刺さったかんざしを抜くと、地面に投げ捨てた。それを見て、正三が弓月の前に立ち、新蔵はおゆきを取り押さえようとする。 
「この女っ!」
「乙矢どの、大事ございませんか?」
 
 凪の問いに軽く答えようとした、その時だった。乙矢の視界は急に揺らぎ、上下逆転するような錯覚に陥る。大丈夫、と答えたいのに、声が出ない。玉のような汗が噴出し、心の臓が激しく打ち始める。
「乙矢殿っ!」
 目の前で崩れ落ちる乙矢に、弓月は駆け寄り支えた。
「毒か! この女、ただの女郎ではなさそうだ。蚩尤軍の手先か」
「あ、あたしはただ……これで弓月って呼ばれてる女を殺せば、乙矢さんの罪をなかったことにしてくれる、って……」
 カチャッと刀の鍔を押す音が聞こえた。女を斬るなど名折れだ、などと言ってる場合ではない。新蔵が刀を抜こうとしたその腕に、瀕死の乙矢が掴み下がる。
「なっ!?」
「やめ……たのむ。斬るな……」
「お前、何を言ってるのか判ってるのか? この女はお前を、いや、弓月様を狙って」
「たのむ。殺す、な。おゆき……戻ったら、殺されるぞ。……逃げろ。逃げて……」
「動いては駄目です、乙矢殿! 毒が早く回ります。凪先生、早く、乙矢殿を!」
 弓月は乙矢を抱き止め、押さえつけた。

(――弓月殿の腕の中で死ねるなら、悪くない幕引きだな)

 そんな考えが浮かんだ途端、乙矢の意識は暗闇に堕ちた。


〜*〜*〜*〜*〜


 次に目を開けたとき、最初に見えたのは壊れかけた天井から覗く星空だった。
「地獄にしちゃ……極上の星空だな」
 自分の声とは思えないほど、低くしわがれていた。独り言のつもりで呟いた乙矢に、帰ってきた言葉は、
「残念ながら、あなたはまだ、生き地獄から逃れられぬようですよ」
 そう答えたのは凪だった。
「あんたは……凪先生だっけ?」
 意識がどこかあやふやだ。確か、昨日の夕刻、宿場町で地回りの連中に袋叩きにされたはずだった。その後、お六から、乙矢の兄のことを訊ねて浪人が来たと聞かされ……。

「おゆきは? あいつ、どうなった……くっ」
 おゆきのことを思い出し、体を起こそうとした瞬間、右腕に激痛が走り、眩暈がした。
「ようやく熱が下がったばかりなのです。無理をしてはいけませんよ。ああ、その右腕ですが、少しでも毒を抜くため、血管を切らせて頂きました。神経に傷は付けておりませぬので、ご安心を」
「俺はいいよ。別に、腕の一本や二本。おゆきは、逃がしてくれたんだよな。まさか、あの猪野郎が斬ったりしてないよなっ!?」
 凪は、その問いに沈黙で返し……。


「新蔵! その女を斬れっ! 生きて返してはならぬ」
 長瀬の命令に新蔵は刀を抜くが、
「駄目だっ! 斬ってはならぬ!」
「しかし、姫っ」
「新蔵、刀を引け。長瀬も……おゆき殿を逃がしてやるのだ。乙矢殿の、いや、私の命令が聞けぬか!」
 二人は仕方なく刀を収めるが、乙矢の事態はそれどころではなかった。
「これは……附子ぶす毒の症状ですね」
 凪の声音が深刻なものに変わっていく。
「それは、強い毒ですか?」
「北国では熊を殺すため、矢毒に用いられるというもの。いささか厄介な代物です」
「く、熊だと……解毒の薬は?」
「ございません。少しでも毒を出しましょう。腕を落とすのが確実ですが……。乙矢どの右腕には、我らの命運を託さねばなりません。毒が抜けるまで、心の臓が持つことを願いましょう」
 そう言い切ると、凪は傷口より心の臓に近い二の腕を切り裂き毒の混じった血を絞り出す。弓月は、今にも乙矢の鼓動が止まりそうで、気が気ではない。他の連中もそうだ。
 おゆきを招いたのは乙矢のせい、とはいえ、誰も危険を察知出来なかった。結果的に、弓月を守ったのは乙矢である。

「無理だよ……掠っただけで殺せるって言ってた。――女郎を抜けさせてくれるって。乙矢さんと一緒に、何処へでも行けばいいって! あたしを人間として扱ってくれたのは、この人だけだったのに……。もう、お終いだ!」
「止せっ!」
 その時、おゆきが手にしていたのは……彼女が生まれて初めて髪に挿した、血と毒に染め上げられた玉かんざしであった。 
   


「――死んだのか?」
「胸を突いたのです。出血も多く……毒もすぐに心の臓に回ってしまいました」
 凪は努めて淡々と、抑揚をつけずに答えた。それで乙矢が、女郎だから見捨てたのだ、と怒り出すのもやむを得ないと思っていたが……。
「てっきり、置いて行かれると思ったんだけどな」
「弓月どの、我が遊馬一門の姫を庇ったあなたを、見捨る者はおりません。とくに弓月どのは、寝ずに看病に当たっておいででした」
 その凪の言葉に、乙矢は夢の中の声を思い出した。
  
 ――死んではいけません、意識をしっかり持って、目を開けるのです。
 乙矢は自分の額に触れる冷たい手を感じていた。それは、幼い頃、熱に魘されるたびに、枕元で看病してくれた母の手と同じだった。普段は温かい母の手が、高熱の時は冷たく感じて……そんな風に優しく触れられたのは何年ぶりだろう。甘く涼やかな声が耳の奥にいつまでも響いていた。

 あの手は、声は……弓月のものだった。忘れかけた何かが胸の奥で騒ぐようだ。
「なんでだよ。俺のせいじゃないか! 庇ったんじゃなくて、俺のせいで狙われたって、そう言えばいいんだ。おゆきもそうだ。例えあんな場所で体を売ってたって、楽しそうに笑って生きてたんだ。それなのに……俺が関わったばっかりに」
「それだけではありません。宿場での戦闘中に、弥太を庇ってくれました。あなたはいち早く矢に気付き、身を伏せようとした。なのにが、突然避けるのを止めた」
 見えないはずなのに、どうしてそこまで……と乙矢が考えた時、
「見えぬゆえ……現実の障害など意味を為しません。私は、気配や音にはいささか敏感です。あの位置では私に弥太は守れなかった。あなたが避ければ矢は彼の顔面を射たでしょう」
 心を読まれたかのような返答に、驚きを隠せない。
「……そのこと、弓月殿に話したのか?」
「皆に話しました。弓月どのは気づいておられました。新蔵などは俄かに信じ難い様子でしたが」
 乙矢は深く息を吐きながら、どうにか言葉を繋ぐ。
「そりゃあ、そうだろ。別にそんな立派なもんじゃねえさ。矢が飛んでくるのに気付いたけど動けなかった。そこにあのガキが居たんなら、それは偶然だ。俺は、一矢じゃないんだから」

 凪は何も答えず……静かに肯いた。その微妙な間に、乙矢はピリピリした気配を感じる。それは、静かな怒りであった。
「そうですか。あくまで偶然と申されるなら、それでも構いません。ですが、あなたは確かに、一矢どのではない。気の質がまるで違います。――天は酷なことを為さる。僭越ながら、あなたはもう少し自信と自覚を持たれるべきだ。失礼」
 乙矢には、凪の怒りの理由がまるで判らないのだった。


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