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弟矢 ―四神剣伝説―

第十一話 未だ目覚めぬ

(一体いつから、一矢に扱えぬ神剣はない、なんて話になったんだっ!)
 心の中で必死に悪態を吐いてみる。だが、余計なことは言えない。――では、抜いてみろ。と言われたら、どうしろと言うのだ。乙矢の頭の中は真っ白になっている。

「武藤様、本日、『鬼』は用意してございませぬ。神剣が手元にない以上、我らに勝ち目は……」
 近習の者の囁きに、武藤はハッとした。
「まさか、生きておったとは。だが、我らから逃げられると思うな。爾志一矢……貴様もただの鬼に過ぎん。鬼の首は拙者が獲る! 覚えておけ!」
 
 なんと、凪のはったりで、蚩尤軍百騎の兵を追い払ったのだった。


〜*〜*〜*〜*〜


 新蔵たちは、宿場に残った蚩尤軍兵士を全員叩き伏せ、急いで門を開けさせた。
 しかし、そんな彼らが目にした光景は、まさに、今にも弓月が『青龍二の剣』を抜こうかという時……。
 そして、実際に刀を抜いたのは、乙矢であった。



 ダンッ!
 新蔵が乙矢の襟首を掴み岩壁に叩きつけた。
 一行は海側に逃げると見せかけ、反対側の山に駆け込んでいた。追っ手は撒いたように思える。ホッとした瞬間、新蔵の怒りが爆発した。

「よくも騙してくれたなっ! 腑抜けの芝居は楽しかったか? ええぇ、一矢殿っ!」
「ち、がう……おれ、は、ほんと……に」
 首を絞められていては言い訳も出来ない。
「止めなさい、新蔵……手を離すのだ!」
 まさに、怒髪どはつ天をくといった様相で、弓月にも止められない。
「いいえっ! 何ゆえ、許婚たる弓月様までも謀り、一年もの間逃げ回っているのか! 理由を聞かぬことには引けませぬ!」
 新蔵は乙矢を絞め殺さん勢いだ。
「おいおい、新蔵……首を絞めてちゃ理由なんぞ聞けんだろうが。ひとまず放して差し上げろ」
 相変わらず軽口で正三が言う。さすがに、その点は納得したのか、パッと手を放した。乙矢は、そのまま下に落ちる。まさに、踏んだり蹴ったりだ。

「さあ、言えっ! 納得のいく答えを聞かせてみろ!」
 噛み付かんばかりに怒鳴り立てる新蔵に、乙矢は、
「何度聞かれても、俺は一矢じゃない! 聞きたいのは俺のほうだ! おい、凪先生、あんたなんであんなこと言ったんだ!?」
「ふざけるな! あの剣捌き……爾志流に寸分違わぬ太刀筋。一年前に、道場で竹刀を合わせたこの俺を騙せると思うな!」
「し、真剣を抜いたのは、初めてだ。人を……人を斬ったのも。誰も、殺したくなかった……それなのに」


 ――血に濡れた脇差を握り締め、乙矢は呆然と立ち尽くしていた。
「……どの、……乙矢殿っ!」
 遠くから弓月の声が聞こえ、ようやく乙矢の意識は現実世界に戻ってくる。
「奴らは一旦引きました。本軍が戻らぬうちに、少しでも遠くへ逃げましょう。乙矢殿、あなたのおかげで助かりました。――ありがとうございます」
 弓月は余程嬉しかったのか、頬を桜色に染め乙矢を見つめた。
 だが、当の乙矢は、弓月に言われたことがすぐに理解できず……ふと気付くと、手は血塗れの脇差を掴んでいた。
「ひっ!」
 乙矢は怯えたように声を上げ、慌てて放そうとするが、指が硬直して開かない。必死になって手を振り、その時、足元に転がる死体が目に入った。直後、崩れるように膝を突き……乙矢は吐いたのだった。
 弓月はそんな乙矢の背中に手を置き、優しく擦った。岩のように固まった手を、包み込むように撫でられ、脇差はようやく乙矢の指から剥がれてくれた。

「俺は……人を、殺した……人を」
 その場に座り込み、泣き始めた乙矢に、
「あなたのせいではありません。あなたは私を助けようとした。それだけです。それだけなのです。降り掛かる火の粉を払った……それだけですから」


 弓月は彼が一矢でないことを確信していた。
「この方は一矢殿ではない。凪先生もそれを承知で吐かれた嘘でしょう?」
 凪は、静かに息を吐いた。
「その通り。さすが西国ですね。爾志家の地元というだけはあります。一矢どのの名を出した途端、あの男は一合もせずに引いてしまった」
「しかし、凪先生、それは……」
 弓月の言葉を奪うように乙矢が続ける。
「遊馬一門と爾志一矢が一緒にいる。しかも、手元に『青龍二の剣』がある、となったら……。蚩尤軍がこの地に集結するぞ! しかも、次は確実に“神剣の鬼”に襲われる。どうすんだよっ!」

 乙矢の言葉は的を射ており、一同は息を呑んだ。
 しかし、そんな台詞を聞いても、長瀬には未練があるようで、
「おぬし……本当に一矢殿ではないのか?」
「違うって言ってるだろ」
「では、あの腕前はなんとする? 拙者の目にも、一矢殿の剣技と同一に映ったのだが」
「そりゃ、俺だって一矢と同じ年月を、道場で過ごしてきたんだ。流派だって同じなんだから、剣捌きなんか似てて当然だろ? 多分、それが咄嗟に出ただけで……」
「咄嗟に出たぁ? 言い訳ならもっとましなことを考えろ!」
 どうやら新蔵には信じがたいものらしい。いや、彼だけでなく、長瀬も正三も、弥太吉までもが不審げな眼差しを乙矢に向ける。

「わ、判んねぇよ……そんなこと! 自分でも信じられない。今まで、竹刀を持って構えても、気迫をぶつけられるだけでビビッてたんだ。でも、さっきは違った。斬りたくなかったけど……でも、弓月殿を鬼には出来ない。それだけは……出来なかった」
「お前」
 俯きながら呻くように言う乙矢を見て、正三は何かに気付く。そして、口を開くが……言葉を発することはなかった。
 
 戸惑う正三と、気付いたのは同じことであろう。しかし、凪が口にした言葉は、
「未だ目覚めぬ、か……。構わぬでしょう。乙矢どの、では、あなたにはこれより、一矢どのになって頂きましょう」
 一同、ポカンとしている。もちろん、乙矢にも訳が判らない。
「ど、どういう意味だ?」
「よろしいですか。あなたが今、爾志乙矢だと名乗るとどうなるか判りますか?」
「どう、なるんだ?」
 乙矢は判らず新蔵に視線を投げるが、彼もまた視線を彷徨わせている。
 
「なるほど、確かにこうなった以上、最早、後戻りは出来んな。一矢殿で押し切るしかない、か」
「効果はあるだろうが……劇薬にもなりかねませぬぞ、凪先生」
 長瀬や正三は判っているのか、そのまま話を進めている。
 会話に加わっていないので、弓月にも判らないのだ、と思ったが、
「しかし、凪先生、それでは乙矢殿を危険に巻き込むことになります」
「え?」
「姫様、それは本人の希望なのですから、叶えてやればよろしいでしょう」
「えぇ!?」
 正三の言葉に乙矢は更なる疑問の声を上げた。このままでは、乙矢と新蔵の判らぬうちに話は進んで行ってしまう。

「あの……織田さん、俺にも教えていただけませんか?」
 おずおずと、新蔵が一番聞きやすそうな正三に尋ねてみた。しかし、その答えをくれたのは凪だった。
「失礼ですが、乙矢どのに比べ、一矢どのの名は蚩尤軍にもよく通っております。彼らは当座、我らを見つけてもすぐには攻めて来ないでしょう。万に一つも噂が真実なれば、神剣の持ち主と戦うことになるのですから」
「しかし、乙矢も言った通り、次は神剣で鬼を作り上げ、奴らは襲ってくるんじゃありませんか? そうなったら」
「そうだよ、凪先生! こいつじゃ、あの武藤なんたらって奴だって倒せないぜ。はったりじゃ蚩尤軍には勝てませんよ!」
 我慢できず、弥太吉も口を挟んだ。しかし、そんな逃げ腰の二人に、正三は痛烈な一言を浴びせる。

「新蔵、弥太。我らの目的はなんだ? 逃げることか? それとも生き延びることか?」
「それは……」


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