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弟矢 ―四神剣伝説―

第八話 賭けの勝敗

 だが、新蔵にその言葉は許しがたいものだった。さすがに刀は引いたが、乙矢の胸倉を掴んで怒鳴りつける。
「貴様が……そうしたんだろう! 実の兄を売る貴様だ。保身のために俺達を売り渡すくらい何でもなかろう!」
 しかし、怒りの原因はそれだけではなかった。
 戦場で油断は禁物。新蔵は渾身の力を初太刀しょだちに籠めたのだ。それを、乙矢のような愚鈍な男にかわされては、悔しさも倍増であろう。
 
 乙矢は新蔵の腕を振りほどきながら、
「てめえは猪か? 俺があんたらに来てくれって頼んだわけじゃないぜ。勝手にやってきて、罠に嵌まったのはそっちじゃねえか! 確かに、俺は囮かも知れんが、魚が餌のミミズに怒るのか? 間抜けな魚に喰いつかれたおかげで……いよいよこっちもお終いだ!」
 
「で、お前はその文句を言うために、わざわざここまで来たのか? ご苦労なことだ」
 正三が溜息を吐きながら、嫌味をこめて言う。

「少々お待ちを……。あなたが爾志乙矢どのでございますか? なるほど……確かに、兄上とはまるで違う気をお持ちだ」
 弓月の前で一矢と比べられ、あまりに明白な評価に乙矢は気色ばむ。
「一矢でなくて悪かったなっ! そんなこと、一々言われなくても判ってるさ」
「いや、そうではなく……。失礼致しました。私は弓月どのの叔父で、遊馬凪と申します。この通りの盲目めしいゆえ、お許しください」
 軽く頭を下げる凪の横から、弓月が口を挟んだ。
「乙矢殿、こうして来て下さったということは、何か、この場から逃れる手段をお持ちですか?」

 どうも、弓月を真っ直ぐに見ることが出来ない。乙矢は、わざとらしく彼女から視線を外しながら答えた。
「宿場に戻る。あそこだけなら常駐の三十人程度だ。あんたら強いんだろ? それくらいどうにかしてくれるよな」
 
「ほぉーー、我らを盾にする気か! 貴様、良い度胸だ!」
 どうあっても、喧嘩を売りたい素振りの新蔵を押しのけ、長瀬が訊ねた。
「戻って何処へ向かう。街道を上るのは正気の沙汰ではあるまい」
「街道を横切って海側に抜けるか。一旦、西に下ってから北上するか。そんなことそっちで考えろよ」
 
 そこに弓月が、
「乙矢殿はどうなさいますか?」
「俺は……この連中さえ撒いて、あんたらが無事逃げ切ってくれたら、またそれなりに細々とやるさ。奴らが本当に釣り上げたいのは一矢だからな」
「弓月様! こやつは信用出来ません! 罠かも知れません!」
「だが、罠だとしてもこのまま山に籠もっている訳にも行くまい。一丁試してみるか?」
「織田さん、試して本当に罠であった時はどうするつもりですか!?」
「では新蔵。お前に、奴以上の策はあるのか?」
 正三の質問に新蔵は黙りこくる。

「姫、いかがでござる?」
 長瀬が最終決断を弓月に委ねた。全員の視線が弓月に降り注ぎ、彼女は即座に答える。
「宿場に戻ろう。我らに地の利はない。一番詳しいのは乙矢殿だ。私は、乙矢殿を信じます」
 一部渋々の者はいたが、一門の宗主代行たる弓月の決断に、異を唱える者はいない。
「承知致した。乙矢殿、おぬしの言葉を信じて宿場に戻ろう。だが、我らが逃げ切るまで、おぬしにも同行してもらうぞ。万一、罠だと判ったその時は――姫より後に死ねるとは思うな」
 そう長瀬が念を押した。
「……好きにしろよ」
 
 夜明けまで間がない。

(もう少し――顔を見せるなよ、お天道さん)

 空を見上げて、口の中で呟く乙矢であった。


〜*〜*〜*〜*〜


 今、目の前にいるのは許婚の一矢ではなく、弟の乙矢である。
 何度も……何度も、弓月は自分の胸に言い続けている。この縁談は、慣例に従い、両家の宗主が決めたことだ。一年前には弓月自身も結納式に立ち会い、一矢を生涯の夫と定めたはずであった。
 それなのに……先夜、暗闇に乙矢の顔を見た瞬間、一矢と出会った時とは比べ物にならないほどの衝撃を覚えた。
 それ故に、弓月は当初、一矢が身を守るために弟のふりをしているのに違いない、と思ったほどだ。しかし、落ち着いて考えると、自尊心と自信の塊のように見えた一矢が、生きるためとはいえ命乞いなどするだろうか?
 答えは『否』だった。
 
 そう思ってみると、あちこちの印象が一矢とは違うことに気付く。次第に、弓月は必死になって、兄弟の相違点ばかり探そうとしていた。その結果、やはり一矢ではないと思うたび、胸が高鳴るのだ。それが何を意味するのか、彼女自身に認められるはずがない。
  
 目の前の男は、およそ情けない姿を晒している。打ちのめされ、小便を漏らして命乞いをする様など……普通なら、百年の恋も冷めようというものだ。
 ところが、弓月は、そんな乙矢に駆け寄り庇いたい衝動に駆られた。「そなたを守って差し上げる」あの言葉は、そんな想いが、つい口を突いて出てしまっただけだった。
 凪があの場にいたなら、完全に悟られていたであろう。正三は何となく察したようだ。しかし、そちらの方面には疎い二人が、気付くことはなかった。
 
 皆が落胆を口にする中、表面上は同意しながらも、弓月の心はそれに反し続けている。
 一矢の姿には、確かに、運命を感じた。しかし、彼と話すたび、その心を知るたびに、弓月の胸に違和感が降り積もって行った。その正体が、一年も経って、しかもこんな状況で判ったとして、どうなると言うのだろう……。
 
 それを知りつつ――もっと乙矢のことを知りたい。このまま離れたくない。張り詰めた心の隙に芽生えた、小さな娘心を打ち消す事の出来ない弓月だった。


〜*〜*〜*〜*〜


 乙矢が一人で駆け上がって来た獣道を、今度は六人を率いて静かに下りて行く。小さな山とはいえ、月の灯りくらいでは、そうそう見つかることはない。
 先導する乙矢のすぐ脇を進むのは、常に一団の先頭を歩くことになっている正三だった。
 
「お前は、本当に兄貴と正反対なんだな」
 歩きながら、正三が小声で乙矢に話し掛ける。
 乙矢より十歳ほど年上の、織田正三郎と名乗った男は、剣士・師範代というより、巷では女にもてそうな伊達男といった感じであった。
「まあね。生まれる時に、一矢が全部持って行っちまったんだ。仕方ないだろ」
 乙矢の拗ねたような返事に、正三は意味深な笑顔を浮かべた。
「知ってるかい、坊や。残り物に福があるって言うんだぜ」
 何か含みがあるのか、曖昧な口調だ。
「どういう意味だ? 一矢が、弓月殿と一緒になるのが不満な訳か?」
「さあな。あの時は、一門を挙げて喜んだが。今は……状況が変わっちまったからな」
 正三の砕けた口調に、乙矢もついつい釣られる。
「守るべき家も神剣もないもんなぁ。……なあ、この手勢で、本気でどうにかなるって信じてるのか?」
 正三はさっきより軽く笑うと、
「どうにかなる、ではなく、どうにかするんだ」
「精神論で岩は動かんぜ」
 乙矢は溜息混じりに呟いた。――正論だ。正三はそう思ったが、口には出せない。

「賭けだったんだ」
「え?」
「西国まで危険を冒してやって来たのは、お前が爾志一矢で『白虎』の主だと信じた。それに賭けたんだよ、私達は」
「……本気で信じてるのか? 一矢が『白虎』に選ばれる、と」
「神剣に選ばれた勇者が現れぬ限り、私達に未来はない。一矢殿が駄目なら、後は、領地内に身を隠したと言われる皆実家の宗主、宗次朗殿を探すしかあるまいな」
「で、神剣を抜いてくれって言うのか?」
「危険なことは判ってる。だが」
「俺はイヤだ」
「乙矢」
「一矢が見つかっても、『白虎』が戻っても、神剣を手に戦ってくれなんて言えない。一矢を鬼にはさせたくない!」
「ではどうする? このまま、殺されるのを待つか? それとも、一生ドブネズミのように、這いずり回って逃げる気か?」

 一呼吸置いて、乙矢はボソッと言った。
「逃げたら……駄目なのか?」
「お前はいいさ。だが姫様は、何年掛かろうと『青龍一の剣』奪還と敵討ちのために、一生を費やすだろう。そしてそれは……そう長い一生ではなかろうな」

 その時、木々の間から建物が見えた。弓月らが泊まっていた宿だった。彼らは再び、宿場町に足を踏み入れる。夜明けとともに……それは、乙矢にとって、戦いの始まりだった。


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