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弟矢 ―四神剣伝説―

第六話 逃げ道

 正三の耳に届いたのは、刀が風を斬る音だった。
 力強く、気合に任せた振り方だ。どうやら、まだ怒りが冷めぬらしい。正三は苦笑いを浮かべる。

 案の定、宿の裏手で刀を振り下ろしていたのは新蔵だった。機嫌の良い時は、刃先がきれいな弧を描くが、感情が高ぶるとすぐに力んでしまう。子供の頃から変わらぬ、新蔵の悪い癖であった。

 
 正三と新蔵は五歳違いだ。兄弟もおらず、早くに両親を亡くした正三にとって、新蔵は弟のような存在である。いささか単細胞で喧嘩っ早い新蔵に比べ、正三は妙に大人びた少年だった。
 正三の父が生前言い続けたこと、
「遊馬のために生き、遊馬のために死ね。それが遊馬の血を引くお前の宿命だ」
 ――それを頑なに、今も守り続けている。

 
「誰だっ!」
 正三が垣根越しに真後ろまで来たとき、新蔵は声を上げた。
「遅い。それでは見張りにならん」
「織田さん……あっ! すみませんっ! ちゃんと見張ります!」
「もう良い。交代だ。少し眠れ」
 新蔵は苛立ちを刀にぶつけ、見張りを怠ったことを心底反省した。だが、それもこれも、あの腰抜けのせいだと思うと、少しも怒りが納まらない。

「あれが本物の爾志乙矢なんでしょうか?」
「顔を見たであろう。一矢殿と瓜二つであった。間違いないだろう」
「あんな男に会うために、我々はこんな危険を冒したなんて……」
 一年前、新蔵は一矢に負けている。二十歳で最年少の師範となった天才肌の彼にとって、わずか十七歳の少年に敗れたことは、相当な屈辱であったろう。しかも相手は、女神のように崇める弓月の許婚だ。

「弓月様は優しすぎる。あんな役立たずを一緒に連れて行こうなんて。同情にも程があると思いませんか?」
「さぁて……同情だけかな?」
「織田さん? それはどういう」
「しっ!」

 風が変わった。二人の表情は一変し、身を翻したのだった。


〜*〜*〜*〜*〜


 深夜、大勢の人間が宿を取り囲んでいる。
 蚩尤軍西国部隊第六分隊の約三十人だ。彼らは弓月らの一団を、国家の平安を妨げる『あやかしの剣』を持ち、幕府転覆を謀る反逆者の残党、と教えられている。
 彼らにとって、反逆者を駆逐・掃討するのは、間違いなく正義であった。

 しかし、第六分隊の連中が踏み込んだ時、すでに布団は冷たくなっていたのだった。


〜*〜*〜*〜*〜


 逃げるだけなら乙矢も負けてはいない。この一年、敵の油断を誘いながら、距離を取って逃げ続けて来たのだ。乙矢を捕らえろ、と命令された連中が、屋形船の残骸に踏み込んだ時、すでに影も形もなかった。
 
 やはり、宿場は出ねばならない。蚩尤軍の、それも精鋭部隊と目される男たちに襲われたことを知り、乙矢は事態の急変を察した。
 逃げる極意は敵の動向を知ることである。闇雲に逃げたのでは打つ手も限られる。屋形船が見える位置に陣取り、乙矢は蚩尤軍が立ち去るのをジッと待っていた。
 
「山狩りに合流せねば……西国に逃がす前に……乙矢のことはあの方に報告を……すでに始末は済んだ……」

 川を滑る夜風に乗り、乙矢の耳に届いたのはこれらの言葉であった。
 奴らが立ち去った後、少し思案する。これで最後なら、おゆきに世話になった礼を言って行きたいが……。この宿場での動向が知られてるなら、彼女に近づくことは甚だまずい。おゆきを、危険に巻き込みかねなかった。それに、始末は済んだ、という言葉も気になる。

 その時だ。乙矢の目に、ぼろ布の塊が映った。よくよく目を凝らすと、川岸で倒れるお六の姿であった。
 連中の気配は消えた。すでに、この近くにはいないはずだ。だが、乙矢は充分に警戒しつつ、お六の元に駆け寄り、ぐったりした体を抱き起こした。

「お六! お六ばあさん、どうしたんだ! 誰にやられ……」
 そこまで言って、さっきの連中の言葉を思い出す。お六は『始末された』ということだろうか? しかし、それは裏切りを意味している。
 お六は虫の息で乙矢を見上げると、掠れた声で笑った。

「バチが当たった、よ。あんたを、訪ねる人間がいたら……報告しろって……金が欲しかった、のさ……」
「金はもらえたのか?」
「これまで……ちょっとずつ貰ったよ。……でも、最後に、これさ」
 お六は手を動かし、斬られた仕草をして見せた。乙矢は唇を噛み締める。
「わ、るい。悪い。俺のせいだ。すまない」
「何、言ってんだい。あたしゃ……あんたを売ったんだよ。謝るやつが……いるか、い」
「俺が関わったせいだ。悪い、何もしてやれない。俺には、仇を討ってやる力もないんだ。ごめん、お六ばあさん……」
 
 また、だ。また、自分のせいで人が死ぬ。良かれと思ったことは全て裏目に出る。その度に、乙矢自身ではなく、周りの誰かが犠牲になるのだ。申し訳なさに涙がこぼれた。
 お六はそんな乙矢を見つめ、そっと頬に手をあてると涙を拭ってやる。
「あんたの兄貴を、探してた……浪人たちは……あんたの味方かい?」
「味方かどうかは判んねえけど、敵じゃない。あいつらがどうかしたのか?」
「裏の山に追い込んで、一斉に刈るって言ってた……。山の出口は、大軍で固める……ってさ。乙矢……助けて、おやり、よ」
 ゴボッとお六は血を吐いた。
「お六っ! 無理だ。俺には、誰も助けることなんか」
「自分を売った……ばばあのために、泣けるやつは……あんたくらい、だ。良い奴だ、ね、おと、や」
 それきり、お六の口が開くことはなかった。

 
 全部、自分のせいなのだ。乙矢はそう思っている。
 幕府軍とは別に、蚩尤軍と言われる連中が暗躍し、国家の安全装置となっていた四天王家は崩壊した。恐怖政治で外様から幕府は上納金を巻き上げる。当然、庶民の生活は逼迫し、貧富の差は開く一方となり……。民のためと反抗した心ある藩主の元には、神剣を手にした鬼が送りつけられるのだ。

 もちろん、それらの全てが乙矢の責任ではない。だが、最も重い部分を負わねばならない彼が、逃げ出したのは事実であった。
 
 
 弓月には一門の師範が付いている。刀の一本も持たぬ乙矢に、出来る事は何もない。第一、彼女は兄の許婚で……。
 乙矢は脳裏に弓月の姿を浮かべていた。
 月明かりに照らされた肌は、亡き母の持っていた真珠の色によく似ていた。乙矢の目の前で踏み潰され、砕け散った玉の色に――。
 胸の奥に響く警告音は、八年前と同じだ。それは「逃げろ」と言う意味か、はたまた「逃げるな」と言っているのか……乙矢にはまだ、己の進む道が判らず、ただ、立ち尽くすのみだった。



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