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弟矢 ―四神剣伝説―

第三話 弱き勇者

「うわぁっ!」
 乙矢は大袈裟に驚くと、後ろにひっくり返った。
 
 年の頃は四十過ぎであろうか。髭面の顔は恐ろしく凶暴に見え、まるで冬眠前の熊に思える。
「いやあぁぁっっ!!」
 川面が震えるような大音声で気合を入れ、乙矢に斬りかかる!

「ま、待て……ちょ」
 その太刀筋は乙矢を甚振る……いや、試すかのようだ。男が本気なら、丸腰の乙矢など、あっという間に千切りになってるだろう。
 尻餅を突いたまま、必死で後退し、男の刀から逃れる。乙矢の頭上を紙一重でよぎった刀は、屋形船の柱を一閃し、半壊状態であったそれを見事に全壊させた。まさに熊並の怪力だ。

 男は一呼吸置くと、乙矢に詰問する。
「おぬし……爾志和鳴にしかずなるが嫡子、乙矢だな」
「し、知らねえよ。そ、そんなもん」
 後ろに、人影が……一人、二人、三人いた。いずれも相当な手だれであることは間違いなさそうだ。

「刀はどうした。このまま座して死を待つか」
「そんなもん持ってねえよっ! 俺は……」
「なるほど、得物などなくとも、爾志の直系に遠慮は要らぬということか。では、参るぞ。――たあぁっっ!」
 
 今度はもう一歩踏み込んで、着物ではなく、薄皮一枚を斬り付けてくる。乙矢はされるがままだ。男に翻弄され、倒れた後は地面に這いつくばった。

「待てって……何だよ。何が知りたい? でも、俺の知ってることは、前の奴に全部話したんだ。一矢がどうなったかなんて、俺に判るわけないだろっ! 助けてくれるんじゃなかったのかよぉ」
 
 爾志家の男子にあるまじき言葉であった。四人は顔色を失う。そして、ひと際小柄な……少年だろうか? 一歩踏み出すと、呻くように乙矢に訊ねた。

「おぬし……実の兄を売ったのか?」
 場違いなほど涼やかな声に一瞬心を奪われる。声変わり前なのだろう。しかし、それにはあからさまな侮蔑が籠められていた。

「言わなきゃ殺すって言ったのはそっちだろう! もう勘弁してくれよぉ」
 乙矢は反射的に言い返すものの、強気な様をすぐに翻し、へつらい始める。まるで、負け犬の遠吠えを聞くようだ。
 
 乙矢を取り囲む全員の顔に絶望の色が浮かんでいる。最後の、祈りにも似た想いで乙矢を探したのだ。疲れ果てた心に、終焉の鐘の音が響いていた。

「貴様ぁ! 四天王家の面汚しが――それ以上、生きて恥を晒すなら、この俺が引導を渡してやる!」
「止せ、新蔵しんぞう!」
 小柄な少年に新蔵と呼ばれた男は、乙矢より二つ三つ年上だろう。熊ほどではないが、比較的細身の乙矢に比べ、ふた回りは大きく感じた。筋肉の鎧を身に着けているようだ。
 長く重そうな刀を抜くと、乙矢に飛び掛る。新蔵の殺気は本物だった。だが……肝心の乙矢は逃げるどころか、抵抗すらしようしない。

「立てっ!」
 新蔵は乙矢の襟首を掴み引っ張り上げた。そして、抜いた刀を逆手に持ち替え、心の臓を一突きにしようと腕を振り下ろす。
 その腕を止めたのは『青龍二の剣』だった。
 
弓月ゆづき様っ! 邪魔はなさらないで下さい。このような男に、爾志の名を持つ資格はない!」
 腰ではなく、背負った剣を鞘ごと突き出し、新蔵を制止させたのだ。それは、先ほどの少年であった。
 
 『弓月』の名に、乙矢は心の臓を鷲づかみにされたほどの衝撃を受ける。
 
「己の意に染まぬ……期待にそぐわぬと言って、丸腰で無抵抗の者を殺すなら、その剣は蚩尤軍しゆうぐんと同じだ!」
 その瞬間、月の光が川面を照らし、少年の顔も照らした。乙矢より小柄で細い体をしている。だが瞳は、大の男を相手にしても退く気配もない。その名の通り、弓張月の凛とした強さを湛えていた。
 
 新蔵はハッとなった。自分が襟首を掴み上げ、強引に立たせた男は……固く目を瞑り、足元を濡らして震えている。
 口惜しさを飲み込むようにして、新蔵は手を放した。その男……乙矢は、自らが垂れ流した水溜りに力なく座り込む……。あまりの無様さに、その場にいた全員が言葉を失った。

 弓月は軽く頭を振った。込み上げる失望を胸の奥に押し返し、『青龍二の剣』を背中に戻す。
 そのまま、乙矢に一歩近づいた。
「怖がらせてすまぬ。もう一度聞く。そなたは爾志家のご次男、乙矢殿か?」
「だ、だ、だったら……な、なんだ」
 震える声でようよう答える乙矢に、弓月は静かに語りかけた。

「私は、遊馬家宗主、遊馬渡あすまわたるの長女、弓月です。名前くらいはお聞きになっておられぬか?」
「し、知ってる。――俺になんの用だ?」
 さすがに失禁を見られたのは恥ずかしかったのか、横を向き顔を赤らめながら答えた。

「そなたは一年掛けてようやく出会えた、四天王家の生き残りです。蚩尤軍を倒し、奪われた神剣を取り戻すため、我らと共に……」
「断わる!」
 即答する乙矢に横から新蔵が怒鳴りつけた。

「貴様は、父上や母上の仇討ちがしたくないのか? 神剣を守るのが宿命であろう!」
「俺は知らん。俺は……刀なんか持ったこともない。第一、四天王家ったって、宗主は皆殺しにされたって聞いたぜ。残党かき集めたって蚩尤軍を倒せるわけがないだろ? お前らおかしいんじゃねえのか?」
「なんだとぉ!」
「新蔵、止さぬかっ」
 弓月は止める一方だ。その時、横から最初に乙矢に斬りかかった熊のような男が口を開いた。

「遊馬家師範代、長瀬賢悟ながせけんごでござる。先ほどは失礼した。――だが乙矢殿、おぬしが拒んでも、体に流れる血を奴らは見逃すまい。腹を見せて降参しては、斬られるのは必定。よろしいのか?」
 そんな長瀬の言葉に、乙矢はクッと笑った。

「強い人間には判んねえよ。弱かったら、腹を見せようが斬りかかろうが、どっちみち殺されるんだ。この血がなんだってんだ……好きで爾志に生まれて来たんじゃねえよ。親父も一門の連中もそうだった。あんたらも、蚩尤軍も皆一緒だ! 刀を取って戦わないと生きる価値もないのか? 強いってことはそんなに偉いのかよっ」
 口元の血を拭いながら、乙矢は顔を歪めてそう叫ぶのだった。


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